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四人の声で語られる百年の物語。フィンランドの新鋭、衝撃のデビュー長篇。

四人の交差点

トンミ・キンヌネン/著、古市真由美/訳

2,376円(税込)

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発売日:2016/09/30

読み仮名 ヨニンノコウサテン
シリーズ名 新潮クレスト・ブックス
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 380ページ
ISBN 978-4-10-590130-1
C-CODE 0397
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 2,376円

助産師として強く生きた祖母。写真技師だった奔放な母。子供好きで物づくりに長け、若くして亡くなった父。それぞれの声で語られる喜びと痛みの記憶は、結末でやがて一つの像を結び、ある秘密を照らし出す。北国の歴史と一家の営みが豊かに響きあう、百年の物語。フィンランドでベストセラーとなった「家」をめぐる傑作長篇。

著者プロフィール

トンミ・キンヌネン Kinnunen,Tommi

1973年、フィンランド北東部クーサモに生まれる。トゥルク大学卒業後、教師として十代の若者に国語と文学を教える一方、舞台の脚本も手がける。デビュー作となる『四人の交差点』はベストセラーランキングで13週連続第1位となり、ヌオリ・アレクシス賞、キートス・キルヤスタ賞など多数の賞を受賞。すでに16か国で翻訳出版が決まり、舞台化もされている。2016年、二作目の長篇Lopottiを発表。2016年9月現在、家族とともに南西部の都市トゥルクに住む。

古市真由美 フルイチ・マユミ

東京都生まれ。フィンランド文学翻訳者。訳書に、レーナ・レヘトライネン『雪の女』、マッティ・ロンカ『殺人者の顔をした男』、マイヤリーサ・ディークマン『暗やみの中のきらめき 点字をつくったルイ・ブライユ』など。

書評

迷い子たちの家

青山七恵

 哀しみと喜び、出会いと別れ、信頼と裏切り、生と死……人間の営みに生じるさまざまなものを内包して、家はそこに暮らす人々を雨風から守る。一つ屋根の下に集う家族は寝食を共にし、互いの存在に安らぎを見出だす。しかし時として、家族を結びつけるはずの部屋の扉や壁こそが、彼らをお互いから遠く隔ててしまう。フィンランドの寒村に暮らす一家族に流れた百年の時間を描いた本作は、そんな「家」の物語だ。
 舞台はフィンランド北部に位置するオウル近郊の村。物語は大きく四つの章に分かれ、助産師のマリア、その娘で写真技師になったラハヤ、ラハヤの息子と結婚したカーリナ、ラハヤの夫のオンニの順に、それぞれの視点から秘められた家族の歴史が綴られていく。
 物語の冒頭に置かれたマリアの章は、なんとも力強い。悲しい過去を抱え、血まみれの死産の場という悲惨な局面に怯えながらも新米助産師としてその手にプーッコ(フィンランドの伝統的な片刃のナイフ)を握ったとき、彼女は自らの人生をしかと握ったのだ。以後数十年、彼女は生まれてくる赤ん坊たちのために自転車のハンドルを握り、幼い娘や孫たちの手を握り、老いて思うままにならない体でパンケーキを焼くためにコンロの手すりを握る。一生を通して助産師という職業に誇りと喜びを感じ、地に足をつけて心に決めた道を歩む彼女の存在は、自ら築いた家の内外を明るく照らした。
 しかしその娘のラハヤは違う。写真技師という最先端の職を得、家のなかでは子どもたちと夫に囲まれていても、彼女はどこか不安気ではぐれた風船のように頼りない。生まれ育った母の家でも、戦後に夫が手ずから建てた家でも、彼女は自分の居場所を探しつづけて、常に途方に暮れているように見える。一瞬の不安や疑念はみるみるうちに家じゅうに孤独の巣を張り、彼女を家族から遠ざける。迷子になった彼女がおずおず伸ばす手は誰にも握られず、むなしく宙を掴むだけだ。夫と母に先立たれ、老いてますます孤立してくラハヤのすがたは痛々しい。
 しかしカーリナ、オンニと続く章を読んでいくと、孤独を抱えていたのはラハヤだけではないと知れる。そこに暮らす誰もがそれぞれに痛みや秘密を抱え、それを分かちあえる誰かに向かって手を伸ばしていたのだ。とりわけオンニの秘密はマリアの章の前に据えられた短い病院のシーン(ここでラハヤは、おそらくはじめて息子夫婦の手を強く握っている)にも結びつき、長らく彼らの家に落ちていた影を解き明かす一つの鍵となっている。
 それぞれの心に氷河のように横たわる深い孤独を描きながら、しかしこの小説は、不思議なうす灯りに満たされている。しんとした森の木立に落ちる夜明けの柔らかな光のように、人々の営みを慈しむような著者の繊細な筆致は、そこにある影を木立に溶けこませ、朝露をあえかに輝かせる。手に入れたばかりの自転車でマリアが故郷に向かって疾走し、家族になったばかりのオンニが義理の娘のアンナとそりすべりをし、カーリナの一家が湖で水面をのぞきこむとき、その情景は、ささやかだけれど確かな輝きにあふれている。そのささやかな輝きが家路を照らす灯りとなり、彼らは共に家に帰るのだ。彼らをつなぎとめ、そして彼らをいくつもの扉や壁のなかで迷い子にしてしまう家に。
「人生は建物だと、マリアは思っている。多くの部屋や広間を持ち、それぞれにいくつもの扉がある、大きな家。誰もが自分で扉を選び、台所やポーチを通り抜け、通路では新たな扉を探す。正しい扉も、間違った扉も、ひとつとして存在しない、なぜなら扉は単に扉でしかないからだ。」
 助産師の稼ぎで精力的に家を増築していったマリアは、人生そのものを家になぞらえた。くぐりぬけていく扉の先に何が待ち受けているのか、自分がどこに向かっているのか、はっきり知ることはないまま、人は一人きりで目の前の道を歩まなければならない。本書のタイトルが示唆する通り、その道が偶然に交差する場所こそが、彼らが暮らす「家」というものなのだろうか。苦労の末にようやくたどりついた我が家は、彼らが辿る孤独な旅路の一通過点に過ぎないのだろうか。しかしその交差点で行き会った者が、互いの手を取り、抱きあい、「あたしたちふたりとも、ここにいましょう」と誓うとき、彼らは確かに、そこで共に生きている・・・・・。その声は寄り添う二人の熱を宿して輝きを放ち、刹那の交差点を永遠の「家」へと変えるのだ。


(あおやま・ななえ 作家)
波 2016年10月号より

北の国の人々の秘められた情熱

古市真由美

 百年ほど前のフィンランド北東部。マリアは、村で最初の助産師として多くの赤子を取り上げ、自分の娘も女手ひとつで育て上げる強い女性だ。そんな母とは違う生き方を望む娘ラハヤは、写真技師として自活しながら、母が持たなかったものを手に入れようともがく。歳月が流れ、ラハヤの息子の妻となったカーリナは、意固地な姑に苦しめられる。一方、ラハヤの夫オンニが、焦がれるように求めた幸せとは。三つの世代、四人のたどる道が交錯するとき、その交差点にひとつの物語が立ち現れる。
 本書は著者トンミ・キンヌネンのデビュー作だが、フィンランドでは発表直後から大きな反響を呼び、ベストセラー・ランキングのトップに躍り出て、のちに舞台化もされた。現在までに日本を含め十五か国に版権が売れ、海外での評価も高い。著者は十代の若者に国語(フィンランド語)と文学を教える現役の教師でもある。ロシアとスウェーデンに挟まれて、そのどちらとも違う言語を持ち、独自の文化を育んできたフィンランドで、いま最も旬な作家のひとりだ。
 初めて本書を読んだとき、なんとフィンランド的な物語だろう、と思った。登場人物はみな、あふれるほどの心の痛みを抱えているのに、それを口には出そうとしない。鍵をかけた部屋に閉じこもるように、ひとり黙って耐えようとする。しかし秘められたその思いは、ときに激しく燃え上がりもするのだ。彼らの深い心の傷も、情熱も、物語の空気が温かく包み込んでいる。
 物語の中でひとつの家系が世代交替していく百年のあいだに、馬車が自動車に替わり、大きな戦争が起き、冷蔵庫やテレビが家にやってくる。深い森に覆われた北国の歴史が、物語の背景を川のように流れていく。時の流れの中、四人がそれぞれ部屋の奥に隠したものは――ドアの向こうの眺めに、読者は息を呑むだろう。


(ふるいち・まゆみ)
波 2016年9月号より

目次

一九九六年 病院
マリアの章
一八九五年 頭巾の小路 自分にできると知らぬままに
一九〇四年 旅籠の道 往路と復路
一九二五年 階梯 広がり続ける住まい
一九三三年 色男の道 必要な人間、不要な人間
一九三六年 深い森の道 出産の場から戻る
一九四四年 鞄を運ぶ者の道 所有することのむなしさ
一九五三年 馬車の道 バランスが変わって
一九五五年 骨休めの小道 欲望の最後の炎
ラハヤの章
一九一一年 真珠採りの道 焼け跡で
一九三一年 燃える火の小道 煙が語ってくれること
一九三八年 足を取られる道 三代、四代先までも
一九四六年 地下壕の小道 狭すぎる場所で
一九五〇年 ふさがれた道 遠くにあるもの、身近なもの
一九五七年 補給廠の道 借りてきた言葉
一九五九年 寡婦の道 さびしい者ふたり
一九六七年 教会通り つながりは常にある
一九七七年 仕掛け網の道 孤独を追いやること
カーリナの章
一九六四年 木戸の道 しつこい汚れ
一九六六年 喪失の細道 新旧が並んで
一九六七年 生け簀の道 とらわれ人の物語
一九六九年 喜びの道 いらないものは捨ててしまう
一九七一年 雌牛の細道 口に合わないときもある
一九七三年 中央の小道 忘れられたいくつかのつながり
一九七七年 憩い処の小道 互いに引いた境界線
一九八〇年 荷運びの道 立ち止まれば世界は違う
一九九六年 摩耗の道 微笑みのようなもの
オンニの章
一九三〇年 求愛のさえずりの小道 思い出が生まれるとき
一九三四年 滑走の道 望むすべてを手にしたとき
一九四一年 アルプス猟兵の道 体験に結び合わされて
一九四六年 ドリルの道 新たなリズムを見いだすこと
一九五〇年 野郎の道 絶たれたつながり
一九五二年 罠の見回り 離れることの難しさ
一九五三年 逡巡の道 名前を持つことども
一九五四年 愉しみの小路 自分だけの場所
一九五五年 祈りのろうそくの道 共通項の退場
一九五七年 機械の道 植えたばかりの若木は弱い
一九五九年 オウルの道 目的地にはすぐに着く
一九九六年 屋根裏
訳者あとがき

イベント/書店情報

短評

▼Aoyama Nanae 青山七恵
その家には誰にも知られず燃やされた手紙があり、誰にも聞かれなかった叫びがあった。夏の湖の光、冬のそりすべり、子どもたちの笑い声……幸福な風景のさなかにありながら、彼らはふと、すぐ近くにいるはずの互いのすがたを見失ってしまう。苦難の道のりの末ようやく辿りついた我が家のなかで、心もとない迷い子の顔を見せる。こんなにも近いのに遠いのはなぜだろう。静謐な家族の叙事詩に浮かびあがる孤独のあわいに、「あたしたちふたりとも、ここにいましょう」そう言った誰かの声が、生々しい熱を宿していつまでも耳に残る。

▼Helsingin Sanomat ヘルシンギン・サノマット紙
最初の数ページで、非凡な作品を手にしているという感触が得られる。最後まで読み終えたとき、その感触は確信に変わっている。これほどまでに力強く揺るぎないデビュー作は、めったにない。

▼Turun Sanomat トゥルン・サノマット紙
キンヌネンの小説は、強い共感を生み出し、深い慈しみをもって人を感化する。この本を読んだあとには、社会の主流派の声はそれまでと少し違った響きを帯びて聞こえてくるかもしれない。

▼YLE フィンランド公共放送
このデビュー作で、キンヌネンは疎外感や孤独や秘密を鮮やかに描いてみせる。命の誕生、家の建設、パンケーキの作り方までも、きわめて巧みに描き出している。

▼キートス・キルヤスタ賞選評
不屈の女たちを描いた、胸に響く力強い物語。視点が入れ替わっていく構成が見事で、読者を釘づけにする。筆致は美しく、人物描写は巧みで、登場人物それぞれの運命が読者の心を引きつけてやまない。時を超えて読み継がれるであろう、すばらしいデビュー作である。

訳者あとがき

 人生は建物だと、マリアは思っている。多くの部屋や広間を持ち、それぞれにいくつもの扉がある、大きな家。誰もが自分で扉を選び、台所やポーチを通り抜け、通路では新たな扉を探す。(中略)自分で選んだ扉を開け、それらを閉めて、助産師学校という部屋や、薬剤師という部屋や、苦境を切り抜けるという部屋をも通ってきた結果として、マリアはここにいる。(本文より)

 これは家を建てる人々の物語だ。彼らが建てようとするのは、煉瓦や木材を積み上げて作り上げていく居場所としての住まいであり、同時に、人生という名の家でもある。物語の中で、ひとつの家系の三世代、四人の主人公が、あるいは家を建て、あるいはそれを受け継ぐが、四人のたどる道のりは、読者の前に容易にはその全貌を現さない。助産師のマリア、その娘で写真技師のラハヤ、ラハヤの息子の妻カーリナ、ラハヤの夫オンニ。それぞれの視点から切り取られた物語が、順に語られ、互いの空白を埋めていくうちに、この家族に何があったのかが少しずつ明らかになっていく。そして、四人の道が一瞬交わる交差点に、すべてのピースが見事にはまり込む結末が待っている。
 物語はおよそ百年前のフィンランド北東部から始まる。出産で母子ともに命を落とすことが珍しくなかった時代、若くして助産師の資格を取ったマリアは、多くの赤ん坊を取り上げて周囲の信頼を獲得しながら、未婚のまま娘を産み、女手ひとつで育て上げる。強い女性の代名詞のような彼女が建てる家は、建て増しに次ぐ建て増しを経て、横へ横へと広がっていく。地上での居場所を確保しようとするかのように。一方、のちにマリアの娘の夫となったオンニは、戦争で灰燼に帰した村に、自らの手で高くそびえる家を建てようとする。村のどんな建物よりも高さのある家を欲した彼には、そうせずにいられない理由があった。ふたつの家のいずれにも住むのが、マリアの娘であり、オンニの妻となるラハヤだ。彼女は母親とは違う人生を手に入れようとするが、思うようにはいかない。母の家を出ていくことはできず、夫の建てた家では充足感を得られずに、いくつもある部屋を苛立ちと陰鬱さで満たしてしまう。そんな姑のもとに嫁いだカーリナは、大きいばかりで陰気きわまりない家に新たな風を呼び込もうと、彼女なりの闘いを挑む。しかし、やがて時が経ち、彼女もまたまぎれもなく同じ家族の一員――秘密をけっして口に出さず、大きな家の部屋の奥に隠しておく家族の一員になっていたことが、はっきりとわかる瞬間が訪れるのだ。
 本書を訳しながら、何度も思った。窓もドアもすべて開け放ち、助けてほしい、と叫んでしまえたら、彼らはどれほど楽だったろう、と。何かあったとき、とりあえず大声で人を呼ぶ、という選択肢もあるはずなのだ。けれど彼らはそれを選ばない。選びたくても許されない場合も含めて、ひたすら口を引き結び、秘密はすべて部屋の奥に隠して、鍵をかける。四人の中には、頭を高く上げて誇り高く歩む者もあれば、抱えているものの重さに押し潰されそうになって打ち震える者もある。けれど、胸の奥底に何があるかを口に出さないのは誰も同じだ。大声で主張しないぶん、彼らの秘めたる叫びは深く痛切な響きをもって読者の心に食い込んでくる。むしろ、叫ばないからこそ、かすかなささやきだからこそ、よく聞こえる声もあるのではないか。四人の歩む道のりを日本語で表現する言葉を探しながら、そんな考えが幾度となく頭の中をよぎっていった。
 秘密を部屋の奥にしまい込み、誰にも打ち明けないということは、その重荷は自分ひとりで背負う覚悟を決める、ということでもある。人はひとりで生きていくものだ、という前提をまっすぐに受け入れる彼らの姿は、潔いというか、強いというか、強情というか、もう少しだけ心のうちを誰かに吐露してもいいのに……と思わないでもないのだけれど、そこになんともいえぬフィンランド人らしさを感じる。黙って、ひとりで、闘う人々なのだ、彼らは。いつだったかフィンランドの友人に、この国で盛んなクロスカントリースキーの魅力はどんなところにあるのかと尋ねたことがある。「誰もいない森の中で、たったひとりになれるんだよ。すばらしいじゃないか」それが友人の答えだった。スポーツの楽しさとして、ひとりになれること、をさらりと挙げる人々。彼らの国で、この物語は書かれた。本書はフィンランドでベストセラーとなった作品だが、現地の読者にとっては“われらの物語”として受け入れやすい素地があるのではないかと思う。そんなフィンランド的な物語を外国人であるわれわれが読むとき、深い森に覆われた北の大地の風景が目の前に広がり、さえざえと冷たい空気の匂いが鼻孔に届き、そこに生きる人々のひそやかな息づかいを肌で感じることができる。
 もうひとつ、物語の中で印象に残るのが、女たちの見せる強さと激しさだ。女たちは、激情に駆られて洗い桶を投げつけ、ハンマーで戸棚を打ち壊し、場合によっては猫を叩き殺すことさえある。男であるオンニだけが、壊すことを好まず、釘抜きのついた金槌を使うことさえ嫌って、一心に家を建てようとする。女たちが、ときに暴力的とさえ呼びたくなるような行動を起こすのは、たとえ壊してもものごとには再生する力があることを知っているからではないだろうか。対するオンニは、壊してしまったらすべて終わりだ、とおびえているふしがある。オンニの名には“幸い”という意味があるのだが、築き上げていくことのかなわぬ幸福を求めた彼の人生を考えると、この名は皮肉だ。それでも、オンニが子どもたちに注ぐ愛情の深さ、まじりけのなさには、読んでいて心を打たれる。いつも父親でありたかった、という彼は、女たちとは違うやりかたで、幸福という名の家を建てたかったのかもしれない。
 本書が作家としてのデビュー作である著者トンミ・キンヌネンは、一九七三年、フィンランド北東部のクーサモに生まれた。現在は南西部の古都トゥルクに在住し、教師として十代の若者たちに国語(フィンランド語)と文学を教えている。本書では各節のタイトルが道の名前になっているが、これらの道はすべて、著者の故郷クーサモに実在する(した)ものだという。著者はさまざまな意味をこめて道の名前をひとつひとつ選んだそうで、日本語版では、ときには直訳し、ときには隠された著者の意図を表すことに重きを置きながら、それぞれの名を日本語で示した上で、原語のつづりを添える形を採った。フィンランド語の表記は、多くの読者にとって初めて目にするアルファベットの組み合わせではないかと思うが、英・独・仏・露語などヨーロッパの主要言語とはまったく異なるこの言語の持つ雰囲気を、いくらかなりとも感じていただければうれしく思う。また本書の原題Neljäntienristeysは“四つ辻”の意で、やはりクーサモにある、四つの古い街道が交わる場所にちなんでつけたタイトルだという。四つの道は、北の北極海、東の白海、南のカヤーニ、そして西のオウルへ続く道だそうだ。
 道の名前のほかにも、北東部の高原地方らしい気候風土や、西海岸の都市オウルが最も近い都会だという地理的条件など、クーサモを思わせる描写は随所に登場する。ただし著者は、本書を実在するクーサモの年代記として読まないでほしい、と発言している。主人公たちが暮らす場所は一貫してただ“村”とだけ呼ばれ、その名が語られることはない。物語が扱う百年のあいだに、作中の“村”と同じような運命をたどった村や町は、実際に数えきれないほどあった。そのどれかが、あるいはそのどれもが、この作品の舞台であり、フィンランドの普遍的な物語としてとらえてほしい――著者はそんな思いを抱いているようである。
 著者が身近なところから題材を得ている部分はほかにもある。その強さと優しさがたいへん印象的な助産師マリアは、クーサモで長く助産師として活躍した著者の曾祖母がモデルになっているとのこと。マリアがオウルまで自転車を買いに行き、帰りは自力でペダルを漕いで二百キロの道のりを走っていく、読んでいても心が躍るエピソードなどは、曾祖母にまつわる実話を下敷きにしているという(ちなみに、海沿いのオウルから標高の高いクーサモへは、全行程が上り坂といえる、なかなかにハードな道だ)。また、著者の実家は代々写真館を営んでおり、父も写真技師だった。家族の思い出は常に写真として記録され、そんな写真の中から本書の構想が芽を吹いたと著者は語っている。古いアルバムをめくるように、少しずつ過去の物語が立ち現れてくる本書の構成にも、著者の出自が影響を与えているのかもしれない。
 作中で百年という長い歳月が流れる本書の物語には、フィンランドの歴史がさりげなく織り込まれており、それもまた魅力のひとつといえるだろう。たとえば、第二次大戦中、大国ソ連を敵に回し、やむなくドイツと手を組んで戦った、通称“継続戦争”が重要なエピソードとして使われ、戦時中の強制避難や戦後の荒廃と復興のさまが生々しく描かれる。強制避難のため、人生をかけて建てた家を離れなければならないマリアの心の揺れは、読者の心をも強く揺さぶる。“継続戦争”でフィンランドは敗北し、ソ連の要求によりそれまで友軍だったドイツ軍に銃を向けることとなるが、戦場にあるオンニとドイツ兵との交流は、名状しがたい切なさを伴って読者の胸に迫ってくる。一方で、かつて人気を誇ったテレビ番組、ヒット曲や商品名など、その時代ならではのささやかな日常のひとこまが、そこここにちりばめられてもいる。カーリナの章で、テレビの画面に“司会者のヘイッキ・ヒエタミエス”が映っている場面があるが、彼は『土曜日のダンス』という人気番組の司会を長年務めた人物である。さまざまな歴史的背景のうち、日本の読者にはわかりにくいと思われる点をひとつ、簡単に説明しておきたい。フィンランドでは長いあいだ、同性愛行為は男女ともに刑事罰の対象となる犯罪であり、この法律が撤廃されたのは一九七一年で、北欧諸国の中では最も遅かった。その後、同性愛を病気の一種に分類することが廃止されたのは一九八一年になってからである。このような社会の事情を踏まえて本書を読むと、作中で描かれる登場人物たちの苦しみが、いっそう立体的に感じられることと思う。
 登場人物はみな心に深い傷を負っている。しかし物語はその傷を癒やす手立てを提示してはくれない。愛という名の薬を塗れば、家族の絆という名の薬を飲めば、きっと傷は癒える、といった安易な解決法は与えられず、物語はただ、人生の重荷は自分の力でたったひとり背負っていくしかない、と登場人物たちを突き放す。その厳しさは容赦がないと言っていい。北欧の長く厳しい冬のように。けれど同時に、傷を抱えた彼らを黙ってそっと抱擁するような、控えめな温かさが全編を包んでいるとも思うのだ。静けさをたたえたそのぬくもりは、華やかに燃え盛る太陽とは違う、凍てつく夜に遠くで輝く星にも似た、北国で生まれた物語ならではの感触ではないだろうか。
 本書は二〇一四年に発表されるとたちまち大きな反響を呼び、デビュー作ながらフィンランド国内のベストセラー・ランキングで十三週連続第一位に輝くなど高い評価を得た。フィンランドでは二〇一五年のヌオリ・アレクシス賞など複数の賞を受けたほか、舞台化もされ、フィンランド独立百周年のメモリアル・イヤーである二〇一七年にはオペラ化の予定もあるという。また現在までに版権が十六か国に売れており、海外でも注目を集めている。著者は二〇一六年に、第二作となる長編Lopottiを発表。これは、本書に登場する盲目のヘレナと、彼女の甥でカーリナとヨハンネス夫妻の次男トゥオマスを主人公に据えた物語で、こちらも発売直後にベストセラーとなり、複数の国に版権も売れて、第一作に続き好評を博している。これからどのような作品を世に送り出してくれるのか、まだ四十代前半の作家の今後が非常に楽しみだ。
 なお本文中、オンニの章の冒頭でドイツ語の歌が効果的に挿入されているが、歌詞の日本語訳については、保坂一夫氏によるものを使用させていただいたことをお断りしておく。このすばらしい日本語訳を物語の中に採り入れることができたのは大きな喜びであり、深く感謝申し上げる。
 本書の翻訳にあたっては多くの方々のお力添えをいただいた。訳者の質問に丁寧に答えてくださった著者トンミ・キンヌネンさん、本書を日本の読者に紹介する機会をくださり、的確なアドバイスで訳者を導いてくださった新潮社出版部の佐々木一彦さん、そして、さまざまな形で助言と励ましを与えてくださった日本とフィンランドのみなさんに、心からの感謝を捧げたい。

 二〇一六年八月

古市真由美

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