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「その昔、娼婦は聖なる存在だった」なんて大ウソ。「売春論」の新たなスタンダード!

日本売春史―遊行女婦からソープランドまで―

小谷野敦/著

1,188円(税込)

本の仕様

発売日:2007/09/25

読み仮名 ニホンバイシュンシユウギョウニョフカラソープランドマデ
シリーズ名 新潮選書
雑誌から生まれた本 考える人から生まれた本
発行形態 書籍
判型 四六判変型
頁数 239ページ
ISBN 978-4-10-603590-6
C-CODE 0395
ジャンル 社会学、サブカルチャー
定価 1,188円

なぜ日本の「性の歴史」はかくも貧弱なのか――。「娼婦の起源は巫女」で「遊廓は日本が誇る文化だった」など、過去の売春を過剰に美化するのはなぜか? そして、現代にも当然存在する売春から目を背けるのはなぜか? 古代から現代までの史料を徹底的に検証、幻想だらけの世の妄説を糾し、日本の性の精神史を俯瞰する力作評論。

著者プロフィール

小谷野敦 コヤノ・アツシ

1962(昭和37)年生まれ。作家・評論家。東京大学文学部英文科卒業、同大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了。学術博士。著書に『もてない男』『谷崎潤一郎伝 堂々たる人生』『川端康成伝 双面の人』『日本人のための世界史入門』『頭の悪い日本語』『俺の日本史』など。

書評

波 2007年10月号より 売春史の到達点  小谷野敦『日本売春史―遊行女婦からソープランドまで―』

本郷和人

 武器を捨ててとりあえず平和になり、未来への予測や若干の向上心が育まれた江戸時代を待って、フィクションは初めて存在を許容された。吉原の粋も茶屋遊びの楽しさも、遊女たちの苛酷な境遇をよくよく知りながら、だからこそせめて、という町人たちの暗黙の約束の上にきわどく像を結んでいるように私には思えてならない。
 ところが中世はフィクションの介在する余地のない、身も蓋もない時代であった。1504年、和泉国日根野荘(大阪府泉佐野市)でひもじさに耐えかねた寡婦が少量の蕨の粉を盗み食べるという事件があった。蕨の粉はご馳走ではあるまい。何だそれくらいと私たちは思う。村人はどうしたか。大勢で寡婦の家に赴き、彼女と幼い子どもを容赦なく撲殺したのである(『政基公旅引付』)。
 中世にあって、生きる、とは相当に困難な作業であった。露命を繋ぐのが精一杯な日々の連なりの中で、仮に先の寡婦が売春に従事したとして何ほどのロマンが求められるだろう。売春という行為だけを取り出して現代の尺度で解釈しようとしても、本質は網の目からすり抜けるばかりである。中世社会への凝視の重要性を一方で説きながら、ごく少数の上層の人々との交流を根拠に「遊女=聖なるもの」との「オヤジの願望」をまるごと投影した情緒的な命題を定立し、天皇論をはじめとする自説に援用したのが網野善彦であった。「遊女の聖性とその裏返しである卑賤視」という単純な理解は、社会との連関を検討されぬまま記号化して流布し、様々な論者に便利に使用されている。
 かかる状況に小谷野敦は敢然と異議を申し立てる。歴史・考古・民俗学に君臨しいまだ批判する者とてない網野に正面切って鋭い懐疑を突きつけると共に、網野の業績に安易に寄りかかる考察の問題点を剔出していくのである。
 小谷野は日頃から統計・史実に基づく客観的な言説の構築を方法として選択し、恣意的な「私見」の横行に強烈な嫌悪を示す。彼の本質はその豊かな文藻にもかかわらず、緻密な研究者であることに求め得る。それ故に本書は読み物として抜群に面白いうえに、卓越した研究書となっている。過去にいかなる言説が展開されてきたかを過不足なく整理し提示する手際の良さはみごとの一語に尽きる。他者を理解する能力に欠ける私などは、これだけでも小谷野の才能に脱帽せざるを得ない。先人への真の敬意とは定見のない阿諛追従ではなくこのようなかたちで示されるべきものであり、厳密な方法を基礎とする彼の解釈はまさにゆるぎない。歴史学的に見ても現在の到達点を提示しており、今後の研究はここから始まらねばならない。
 一貫した日本売春史を記述することによって、(不誠実な)論者を追い詰めることが、私の目論見だった。小谷野は最後にそう明かす。彼の放った矢が彼らののど元に突き刺さる音を、私は確かに聞くことができた。



(ほんごう・かずと 日本中世史)

目次


まえがき
第一章 売春に起源はあるのか
売春に「起源」は必要か/売春は日本独特の「文化」か/「聖なる娼婦」をめぐって
第二章 古代の遊女は巫女が起源か
遊部=遊女という飛躍について/『万葉集』の「遊行女婦」は高級娼婦か?/「強姦」観のいまむかし/売春の“史料”史――大江氏と遊女/なぜ西洋の娼婦は歌舞を行わなかったのか/再び、「聖なる娼婦」批判
第三章 遊女論争――網野善彦による「密輸入」
網野善彦と遊女/遊女聖性論をめぐって/遊女にも階層があった
第四章 「聖なる性」論の起源
平安から鎌倉期までの遊女/「聖なる」「性」それぞれの語の由来/誰が中世の「聖なる性」を語ったか/アイドルまでも「聖なる性」を備えた存在か
第五章 中世の遊女と網野史学
寡少な中世後期の遊女史/職人歌合に残る中世の遊女/拡大する遊女間の格差/菩薩はいつから「女」になったのか/差別される「藝能人」
第六章 近世の遊女史
私娼の撲滅と公娼制度のはじまり/吉原・新町・島原/娼婦の妊娠・性病、人気娼婦/色道の事始/傾城とその客/男娼の歴史/藝者の誕生
第七章 岡場所、地方遊廓、飯盛女
江戸の岡場所/江戸時代の地方遊廓/江戸時代の飯盛女
第八章 日本近代の売春――廃娼運動と自由恋愛
日本の夜明けと廃娼運動/廃娼運動を担った者たち/文士と登楼/「からゆきさん」から従軍慰安婦まで/恋愛は売春を駆逐できるのか
第九章 現代日本にも存在する売春――カフェ、赤線、ソープランド
世界の「ゲイシャ」/志賀直哉は娼婦買いを「放蕩」と表した/カフェの出現――大正~昭和初期/赤線・青線の時代――戦中~戦後の売春史/売春防止法への反対/トルコからソープへ――ポスト赤線時代/一九八〇年代、「風俗」の誕生/一九九〇年代以降、風俗嬢の意識/虚妄の売買春論争/現代の売春を語らずして……

あとがき
関連年表
参考文献
索引

担当編集者のひとこと

日本売春史―遊行女婦からソープランドまで―

その昔、娼婦は聖なる職業だった――なんて大ウソ!
幻想ばかりの売春論に喝。新しい日本の「性の歴史」! なぜこれまで日本には、売春にまつわるすぐれた通史がなかったのか。
 そして売春について記述したものが、客観性の欠如したものばかりで、必ずある種の「歪み」が生じてしまうのはなぜか。
 文芸評論とともに、『もてない男』や『恋愛の昭和史』など、日本の恋愛や性についてすぐれた論考を発表してきた著者が、こうしたわだかまりをストレートにぶつけ、まとめ上げたのがこの一冊です。
 売春を語ると生じる「歪み」というのは、ひとつは、それが「美化か糾弾か」の二元論に陥ってしまうということです。結果、「娼婦の起源は巫女」や「遊廓は日本が誇る文化」といった幻想を語ったり、あるいは中世の遊女にあてはまることがそのまま無批判に近世にも援用されたり、精緻な議論がこと売春に関してはすくない。しかし議論の是非はともかく、「売春がこれまでどう語られてきたか」を考えることは、そのまま日本人の性に対する意識を明らかにすることであり、それが「幻想の産物ばかり」というのは、ある意味では興味深いことではあります。その意味では、本書は日本の性の精神史としても読めるでしょう。
 そしてもうひとつの「歪み」は、売春の歴史を語る人間の多くが、現代の売春を無視していることです。ご承知のように、現代の日本で売春は合法化されていません。しかしだからといって、現代に売春は存在しない、という人もいないでしょう。なぜ昔の遊女を崇めるばかりで、現代の娼婦たちを無視するのでしょうか。それは大変な欺瞞ではないか。
 こうした「歪み」を是正するべく、というと大げさですが、著者は「誰も書かないなら俺が書く」という気概をもって、本書の執筆に挑みました。著者自身が読みたかったものを自身でものす。これが良書の条件であることは言わずもがなですが、さておき、本書が日本の性の通史を記述した新たなスタンダードになることは間違いないでしょう。

2016/04/27

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