はじめに
第一章 死生観と医療の不確実性
死を受容できない/『渋江抽斎』の時代/不老不死という幻想/不確実性を許容できるか/十時間を超える説明/武士道からみた現代人/割り箸事件/期待と結果の混同
第二章 無謬からの脱却
医療と検察の「無謬」/「過つは人の常、許すは神の業」/治療は常にリスクを伴う
第三章 医療と司法
賠償命令は非難を含む/判決は過誤を反映しない/賠償金とモラル/自白を強要する慣習/過失は罪か/架空の「免許皆伝モデル」/警察、検察の能力の質/異状死ガイドライン/暴走する世論/合理性をめぐる衝突/誘発されたエラー
第四章 医療の現場で~虎の門病院での取り組み
山梨医大での問題提起/医師の行動規範と安全のかなめ/インシデントとオカレンス報告制度/精神的負担のない「密告」制度/「死に至ることもある」という一文/〈医師のための入院診療基本指針〉
第五章 医療における教育、評価、人事
インパクト・ファクターという仮想現実/大学院は責任感を希薄にする/医局制度の落とし穴/「不等なるものは不等に扱わるべし」/医局は過去には戻れない
第六章 公共財と通常財
コストとクオリティ/患者は消費者ではない/開放系倫理と閉鎖系倫理/市場原理の医療の怖さ/アメリカの思想的起源/機会均等という国是と幻想/結果平等をめざす村社会/過大な自由と適切な自由/日本人は競争に耐えられるか/立ち去り型サボタージュ
第七章 医療崩壊を防げるか
医療事故を防止する/医療事故はなくならない/組織整備と法制度の改正を/『全体主義の起原』と『大衆の反逆』/医師の応召義務と緊急避難/緊急に国民的議論を
あとがきに代えて――「厚労省に望むこと」
「世論」の危うさ
著者は無責任なメディアの自動反復現象が、世論の暴走を生んでいることを危惧しています。優れたアフォリズムを数多く残した芥川龍之介は、『侏儒の言葉』の中で、「輿論(よろん)は常に私刑であり、私刑は又常に娯楽である。たといピストルを用うる代りに新聞の記事を用いたとしても」と記しています。90年代末から急増した医療事故報道、ひいては医師バッシングは、このところ、外科系医志望者の激減、医師や看護師の不足など、医療の窮状を伝えるものに変わりました。芥川はまた、「輿論の存在に価する理由は唯(ただ)輿論を蹂躙(じゅうりん)する興味を与えることばかりである」とも書いていますが、『医療崩壊』の危機はすでに限界にきているようです。
掲載:2007年6月25日