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終戦二日前、朝鮮である異変が起きていた。小さな目と耳が捉えた貴重な記録。

降ろされた日の丸―国民学校一年生の朝鮮日記―

吉原勇/著

734円(税込)

本の仕様

発売日:2010/07/16

読み仮名 オロサレタヒノマルコクミンガッコウイチネンセイノチョウセンニッキ
シリーズ名 新潮新書
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 190ページ
ISBN 978-4-10-610375-9
C-CODE 0221
整理番号 375
ジャンル ノンフィクション、日本史
定価 734円
電子書籍 価格 648円
電子書籍 配信開始日 2011/12/28

「何で日の丸を降ろすんだろう」――昭和二十年八月十三日、朝鮮の港町・仁川に住む七歳の著者は不思議な光景を目にする。それは、当たり前の生活と秩序が崩れ去る前触れだった。玉音放送の後、優しかった現地の青年は豹変して「この家の物はオレのもの」と凄んだ。隣組では、上陸した米兵に「慰安婦」を差し出す相談が持ち上がった。仁川神社の宮司は行方不明に……小さな目と耳が捉えていた、敗戦下の貴重な記録。

著者プロフィール

吉原勇 ヨシハラ・イサム

1938(昭和13)年朝鮮京畿道生まれ。仁川で終戦を迎える。中央大学法学部卒業後、毎日新聞社入社。経済部記者、同部副部長、経営企画室委員などを経て下野新聞社取締役、作新学院大学講師を歴任。著書に『トヨタ自販の経営』『日航が立ち上がる日』『特命転勤』ほか。

書評

波 2010年8月号より 朝鮮半島で聞いた玉音放送

藤原作弥

あるパーティーで久し振りに吉原勇氏に会った。十数年前、吉原氏は毎日新聞、私は時事通信の、共に経済記者。論説委員や編集委員の溜り場、東京・丸の内の銀行倶楽部の金融記者クラブ・別室で一緒だった。ただそれだけの関係だった。
しかし、その再会で、それまでの同業他社の経済記者という“普通の関係”は一変した。話をしているうちに、氏も戦前に朝鮮半島に住んでいたことが判った。昭和十年代前半生れの一歳違いで、同じ引揚者。ある日突然、敗戦国民へ転倒した悲哀や辛酸。戦勝国アメリカやソ連から受けた侮蔑や屈辱……など異常体験の数々。
共通の話題は尽きなかったが、そうした体験談はすべて吉原氏が書いた本書に記録されている。昭和二十年八月十三日、国旗掲揚台でへんぽんと翻っていた「日の丸」がするすると降された。代わって掲揚されたのが日章旗の円の半分を巴型に青く塗りつぶした、今の大韓民国旗だった。
私も同様の体験を朝鮮族の多い南満洲の国境の町・丹東で味わっている。大韓民国旗を風になびかせながら「マンセイ(万歳)、マンセイ」と叫んで通り抜ける朝鮮族の人々。八月十五日、吉原氏は朝鮮の仁川で、私は満洲の丹東で、それぞれ聞いた玉音放送の思い出も共通している。
終戦直後の混乱の中でも、子供は子供なりに成長し、物心がついていく。例えば性の目覚め。吉原少年は同世代の日本人少女が衆人環視の中でお金欲しさにズロースを下げるシーンを目撃した。また進駐してくる戦勝国の米軍兵のための慰安婦施設のことも。私が住んでいた丹東では、お町さんという義侠心のある料亭の仲居さんが水商売の女性たちを募り、“特志挺身娘子軍”なる私設慰安所を作り、日本人婦女子の貞操を守ったエピソードが有名だ。
吉原少年の思い出話では日本に引き揚げる時、大きな朝鮮餅をプレゼントしてくれた同級生の朝鮮人・柳白哲君の友情が感動的だ。創氏改名下の植民地で差別があったことは事実だが、私の体験でも日本人と朝鮮人、モンゴル人、中国人との心の交流をめぐるエピソードは枚挙にいとまがない。
私も敗戦を満洲で迎え、翌年、日本に引き揚げてきたが、満洲移住の前は北朝鮮の清津に住んでおり国民学校一年生だった。だからこそ、本書のサブタイトル「国民学校一年生の朝鮮日記」の望郷に似た感慨がよく判り、少国民の人間形成における通過儀礼としての戦争体験も実感として共感できるのである。
吉原氏と共通する点はまだある。二十数年前、私が少年時代の体験を『満州、少国民の戦記』なるタイトルで刊行したのも本書と同じ新潮社だった。そして何よりも大事な共通点は、同じジャーナリストとして、あの戦争の記憶を風化させぬよう次の世代へ継承していく歴史の語り部としての役割り、である。

(ふじわら・さくや ノンフィクション作家)

目次

まえがき
第一章 なぜ日の丸を降ろすんだろう
一九四五年八月十三日、ボクは国旗が降ろされるのを見た。入れ替わりに昇っていく、見たこともない旗。「何か大変なことが起きるよ」というケンちゃんの予感は当たる。
第二章 仁川の港は世界一
きれいな玉砂利が敷かれた神社、白亜の校舎、無数の釣り場。日本人の多い旭町の生活に足りないものはない。だが、崖地の下の朝鮮人集落からは時おり泣き声が聞こえていた。
第三章 玉音放送は分からなかった
「負けたということかもね」――いま聞いた内容を確認しようと、防火水槽の周りに集まる近所の大人たち。ここに住み続けられるのか? ここまでソ連軍は来るのだろうか?
第四章 うちの母さんが慰安婦に?
米軍が仁川に上陸してくる。女の人たちを守るためにお上が考えついたのは、慰安婦を差し出すことだという。隣組では誰か一人を選ぶため、女の人全員がくじを引く――。
第五章 朝鮮人には、本当の名前があった
大潮の日、兄とボクは家を抜け出す。神社の高台から目を凝らして見つけた白い点は、見る間に軍艦の群れになった。数え切れないほどの戦車と米兵が町を塗り変えていく。
第六章 「公設慰安所」がお向かいにできた
女学校を卒業したばかりの満枝姉さんの家に、米兵が押し入った。隣組組長の説得で家は公設慰安所になる。姉さんは米軍中尉と結婚できるかもしれない、なんて嘘だった。
第七章 柳君がくれた大きな朝鮮餅
広島へ向けて家族七人が出発しようという朝、思いがけなく柳君が訪ねてきた。もし彼が来なかったら――。引揚船を待つ人々でいっぱいの釜山港で、ボクは家族とはぐれる。
あとがき
主要参考文献

担当編集者のひとこと

あと数年遅くても、早くても

 7月新刊『降ろされた日の丸―国民学校一年生の朝鮮日記―』の著者、吉原勇氏は7歳の時、現在ソウルの玄関口として知られる仁川(インチョン、かつてはジンセン)で終戦を迎えました。
 随分幼い頃の体験記ということに驚かれるかもしれませんが、子供だからこそ見る現実もあります。自分の力では何をどうすることもできないかわりに、その状況をはっきり記憶する、と言えるでしょうか。例えば、玉音放送の直後、よく面倒をみてくれていた朝鮮人の青年が著者を見つけ、「この家の物はオレのものになる」と凄みます。また、自宅で寝ていたところ、米兵が夜中にお向かいの「満枝姉さん」宅へ押し入る一部始終を聞いてしまいます。こんな辛い体験をする一方で、朝鮮人の長老に手招きされて「日本の軍艦がロシアの軍艦をやっつけたのを見たときは、大喜びしたもんだ」という昔話を聞いたり、一家で引き揚げる日の朝、朝鮮人の同級生から思いがけない好意を受け取ったりすることもありました。
 興味深いことに、筆者の経験のなかには、もし数歳遅く生まれていたら、あるいは早く生まれていたら、立ち会えなかったものが数多くあります。
「あの夏」の記録といっても、読後は不思議な爽やかさを感じられる一冊、ぜひページを繰って頂けたらと思います。

2010/07/23

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