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【脱・葬式仏教!】日本一若者が集まる、「革命的寺院」の軌跡。

葬式をしない寺―大阪・應典院の挑戦―

秋田光彦/著

756円(税込)

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発売日:2011/02/17

読み仮名 ソウシキヲシナイテラオオサカオウテンインノチョウセン
シリーズ名 新潮新書
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 207ページ
ISBN 978-4-10-610407-7
C-CODE 0215
整理番号 407
ジャンル 宗教
定価 756円
電子書籍 価格 648円
電子書籍 配信開始日 2011/08/05

「檀家ゼロ、葬式・法事は一切しない」――。大阪にある浄土宗・應典院は、これまでのお寺の常識をひっくり返す、革命的なコンセプトを持つ。モダンな外観、NPOによる運営、劇場を兼ねる本堂……、それは、閉鎖的な葬式仏教からの脱却をはかり、お寺本来が持つ力と信頼を取り戻すための試みだった。はたして今、社会から求められるお寺とは何か――。改革を担った僧侶自身がつづる、「寺院再生のシンボル」應典院の挑戦。

著者プロフィール

秋田光彦 アキタ・ミツヒコ

1955(昭和30)年大阪生まれ。浄土宗大蓮寺住職、應典院代表。パドマ幼稚園園長。相愛大学人文学部客員教授。1997年、大阪・應典院を再建。「檀家ゼロ、運営はNPO、葬式・法事はしない」という斬新なコンセプトが評価され、以降「寺院再生のシンボル」として注目を集める。

目次

はじめに
こんな寺、ありなのか?/寺とは何をする場所なのか
第一章 葬式をしない寺
あんた方が、ぼやぼやしてるからや/なぜ寺ではなくオウムだったのか/新しい寺史を創る/應典院プロジェクト/がんばれ、お寺!/お寺の「場」の力/バブル時代の廃仏毀釈/「世界のNPOの原点は、日本の寺にある」/「学び」「癒し」「楽しみ」/寺の本卦還り
第二章 寺は死んでいるのか
大震災の衝撃/「所属」に逃げ込まない/宗教者は沈黙したのか/ふたりのアジア僧との出会い/寺は死んでいる/オウムとNPОの若者たち/縁起を生きる
第三章 呼吸する寺
ここにいていいでしょうか/開かれたお寺とは何か/水曜トークサロン/つなぎ手としての僧侶/生きる意味を探す/演劇の應典院/劇場も寺も他者と出会う広場/迷いこそ自分への種まき/わかりにくさから出発する/箱庭の中の應典院
第四章 日本でいちばん若者が集まる寺
フリーター寺院・應典院/お布施は出世払いでいいですか/元祖フリーターの自分史/震災チルドレン/ジョブ寺/アートな仕事/僧侶は悩める仕事人/反転する力/智慧と慈悲
第五章 寺こそ、生死をつなぐ拠点
消えた承継者/リストラされる葬式仏教/お坊さんはオプションか/自分らしい最期とは/エンディング見本市/生前個人墓「自然」/エンディングサポートという社会実験/死んでからではもう遅い/墓場で詩を読む
第六章 寺の明日、仏教の未来
フリースタイルな僧侶たち/お寺のNPO事業と利他行/布教の成果を求めない/愚者の自覚/三学の器に非ず/社会参加仏教の陥穽/二十年後、お坊さんしてますか/社会から求められる寺とは/慈悲のチカラ
あとがき

インタビュー/対談/エッセイ

波 2011年3月号より お寺はまだ生きている。

秋田光彦

昨年は、お寺バッシングの風が吹き荒れた。一月、『葬式は、要らない』がベストセラーとなって、これに週刊各誌が追随、A誌では「『お寺』はもういらない」を特集した。また五月に、葬祭業に進出した最大手スーパーが「お布施の目安」をネット上に公開、最近ではコンビニ全国チェーンが、葬儀の受注を検討中だ。
仏教界の危機感にも火がついた。全日本仏教会の「お布施」シンポジウムをはじめ、各宗派・教団で俄に葬式仏教総点検が始まった。葬式を巡る議論が活発化するのは結構だが、「そもそも仏教では……」と説明を尽くしても、市民には建前にしか聞こえない。このままでは、人口が減る、檀家が減る、布施収入は減って、寺は滅びる? 日本に七万八千ある寺院のいくつが生き残るのか。ある識者は「五十年後、六千まで減る」と断言する(慶応義塾大学・中島隆信教授)。
一九九七年に、大阪の都心に新しい寺・應典院を建てた。本堂は小劇場、セミナールームやギャラリーも付設している、異貌の寺である。檀家がいないので、最初から「葬式をしない」と宣言をした。その代わり、こころの文化拠点として、若い芸術家やNPOと協働して数々の場を作り上げてきた。催しの数は大小合わせて年間百件以上。寺は夜十時までにぎわい、訪れる若者は年三万人を超える。
もちろん、私は葬式無用論に与するつもりはない。規模や形態は変わっても、葬式は日本仏教の王道であることに違いはない。ただ寺院経済と不可分となった現在の葬式は、もはや制度疲労を来たしているといっていいだろう。地域共同体や先祖供養が衰え、無縁社会といわれる今、寺院再生のためには、新たな模索が必要なのだ。
「葬式をしない寺」應典院が取り組んだものは、「寺=葬式」という凝り固まった枠組みを外して、創造資源としての寺の可能性を徹底的に掘り起こすことであった。演劇、美術展、講演会、ワークショップ……寺に、誰も考えたことのない、多種多様な場と関係性を呼び込んだ。担い手は、仕事もお金もない若者たち。ゼロから何かを創造していくプロセスで、彼らは学校や社会では教わらない、たいせつなものに出会う。フリーター、ニート、就職難民と、時代からはじかれた若者が、寺で「生き直し」を図るのだ。
「こんな寺、ありなのか」と、周囲ではいぶかる声もある。逆に私は、そもそも寺とは何をする場所なのか、と問い返す。「葬式しかしない寺」からは、仏教の何事かが立ち現れる機会は決定的に乏しい。制度と慣習に安住していては、創意も挑戦も生まれることはない。
寺は生きている。社会と向き合い、人々と対話を繰り返し、世俗と格闘しながら、寺は寺になっていくのである。
應典院は呼吸する寺なのだ。

(あきた・みつひこ 僧侶、浄土宗大蓮寺住職・應典院代表)

担当編集者のひとこと

「革命的寺院」の軌跡

「葬式をしない寺」である應典院は、大阪ミナミの繁華街から歩いて10分、「大阪の台所」黒門市場の東、千日前通りを南に下ったところにあります。しかし初めて訪れる人は、その入り口がどこにあるか戸惑ってしまうかもしれません。なぜなら、應典院はまるでお寺らしいたたずまいをしていないからです。コンクリート打ちっぱなしのモダンな外観、ドーム型の建物を初見でお寺とわかる人はそう多くないでしょう。
 変わっているのは、外見だけではありません。そのコンセプトも実にユニークです。1997年に再建された應典院は、「葬式・法事は一切しない。檀家を持たず、NPOが運営する」というこれまでのお寺の常識を覆す、革命的なコンセプトを宣言しました。それは、とうに賞味期限の切れた葬式仏教から脱却し、お寺本来が持っている「場所」としての力を再興しようという試みです。本来お寺という場所にはさまざまな機能がありました。日本の学校のルーツは、空海が京都に作った「綜藝種智院」であり、江戸時代には寺子屋もありました。能や狂言の勧進興行が行われるなど芸能を楽しむ場でもあった。そうした地域におけるお寺の力をこの現代に取り戻そう、というのが、應典院のコンセプトだったのです。
 再建当初は物珍しさもあってか、「お寺の新しい可能性を模索」とメディアにも取り上げられたようですが、実際は閑古鳥が鳴くばかり。同業のお坊さんにも「あんなもん寺やない」と批判され、決して順調なスタートではなかったようです。
 しかしそれが今や。小劇場を兼ねる本堂ホールでは、年間約40本の公演が行われ、皮肉なことに「お寺というより劇場として有名になった」ほどです。明日を夢見る若い演劇人が頻繁に出入りした結果、「日本一若者が集まる寺」と呼ばれるようにもなりました。その他にも、各種のイベントを成功させ、もはや應典院は「寺院再生のシンボル」として注目を集める存在になったのです。
 再建から14年、「改革」の中心として應典院を引っ張ってきた僧侶(筆者)が、悩み戸惑いながら、「これから社会に求められるお寺とは何か」を問い続け実践してきた、その軌跡を余すことなくつづったのが、本書『葬式をしない寺―大阪・應典院の挑戦―』です。

2011/02/25

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