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目次 第1話 人殺しから五十二年 第2話 暗愁のハムレット 第3話 恋はロミオとジュリエット 第4話 黒いからオセロー 第5話 まどろむ夏の夜の夢 第6話 ベニスの商人もりだくさん 第7話 ジュリアス・シーザーに追悼 第8話 史実の中のヘンリー四世 第9話 騎士とウィンザーの陽気な女房たち 第10話 悪の楽しみリチャード三世 第11話 花とマクベスの丘 第12話 リア王は乱れる
ギネス・ブック'98年版によると世界で一番人を殺したのはインドの強盗団の一員で、紐を使って生涯にざっと九三一人を殺害したとか。数は多いが、動機や殺人方法がいろいろであったとは思えない。 そこへいくとシェイクスピアは謀略、発狂、嫉妬、情死……あのドラマでもこのドラマでもたくさん人を殺している。動機も方法もさまざまだ。 かくてヒトゴロシ・イロイロ。シェイクスピアは一五六四年に生まれ一六一六年に死んでいる。ただの語呂合わせだが、いつ頃の人であったか、何歳まで生きたか、一応の目安がつくのは便利である。五十二歳の死は当時としてはそこそこの年齢であった。ちなみに言えばシェイクスピア劇三十七篇のうちには、いくつかは人の死なない芝居も含まれている。 が、それはともかく日本歴史では一五六○年代と言えば織田信長の台頭が著しい時期、そして一六一○年代は豊臣秀頼が夏の陣で敗れて自害、徳川家康はシェイクスピアと同じ年に死んでいる。徳川の治政が根をおろし始めていた。私たちには相当に古い時代である。 シェイクスピアの本国たるイギリスはどうかと言えば……これはもう少し詳しく述べておかねばなるまい。 十五世紀の後半に薔薇戦争(一四五五~八五)があった。ランカスター家側は赤い薔薇を、ヨーク家側は白い薔薇をつけ国家を二分して戦った内乱は貴族階級を著しく衰退させ王家の立場を強化することとなった。ヘンリー七世(在位一四八五~一五○九)が即位してテューダー王朝を開き、ヘンリー八世(在位一五○九~四七)はローマ教皇と訣別してイギリス国教の首長者となり絶対王制への道を歩み始める。 そしてエリザベス一世女王(在位一五五八~一六○三)の登場となり、これはおおむねシェイクスピアの生涯と重なっている。 すでにヨーロッパは大航海時代へ突入していた。女王はスペインの無敵艦隊を撃破して制海権を握り、一気に重商主義的な政策を押し進めてイギリスの富を増やし、大きな繁栄を国家にもたらした。 「イギリスは女王のときに繁栄する」と、私自身も若い頃に聞いた覚えがあるけれど、二十世紀の大英帝国を見ていてはさすがにこのアフォリズムは言われなくなってしまった。だが、前の二回は正真正銘その通り。いま述べたエリザベス一世時代とビクトリア女王(在位一八三七~一九○一)の二つ。後者はイギリスをして七つの海を支配する世界第一の国家にのし上げたが、これとても淵源は前者にあったと言ってよい。シェイクスピアの時代はイギリスを世界の大国家たらしめた初めての輝やかしい時代であった。商業も栄え市民階級も力をつけ、中世の気配を残しながらも、いっさいが近代の歩みを進め始めていた。新しい演劇にとってもよい時代であったろう。ウィリアム・シェイクスピアはこんな時期にロンドンから二百キロ足らず北西に位置するストラットフォード・アポン・エイボンに生まれた。ストラットフォードは街道の交差するところを意味しており、同じ地名がいくつかあって紛らわしい。そこでエイボン川沿いのストラットフォードと呼ばれていたわけである。 父はジョン、母はメアリー。ウィリアムと名づけられた新生児は第三子の長男であった。 誕生日は四月二十三日と推定されているが、定かではない。一般にウィリアム・シェイクスピアはイギリス第一の有名人と言ってよい人物なのに、その生涯については謎の部分が多過ぎる。シェイクスピアは実在しなかった、という説まであるくらい……。同時代の哲学者フランシス・ベーコンの別名だという説はよく言われるし、複数の書き手の共同の名前だとする説もないではない。 しかし、まあ、いきなり異説を持ち出しても混乱するばかりだ。ここでは定説に従って若い時代を略述しておこう。 父は皮革加工業者。小作農の長男であったらしいが、時代の気運を鋭敏に感じ取り製造業者の徒弟となって技術を身につけた。手袋の製造から始めて、いくつかの商売を成功させ、町会議員から町の収入役、ついには町長にまで上りつめている。晩年は事業に失敗して不遇な日々を送ったが、まずはこの時代に誕生した市民階級の典型のような人生であった。母のメアリーは裕福な農家の末娘、八人の子を生んだが、ウィリアムの姉二人は夭折、第三子の長男には五人の弟妹がいた計算になるが、すべての消息がつまびらかになっているわけではない。若くして死んだ者もあり、この先、劇作家との関わりで言えば、少し年下の妹ジョウンだけを記憶に留めればそれでよいだろう。 当時のストラットフォードは人口二千人くらい、美しい自然に囲まれた田園の町であったが、交通の要路を占めていたからおのずと新しい時代の気運が染み込んで来る。人々は鋭敏にそれを感じ取り、町には自由な雰囲気が漂っていた。そこそこに豊かな新興階級の長男として育ったウィリアムは町の文法学校(グラマー・スクール)へ通う。この学校では英語はもちろんのことラテン語など古典の学習を含めて相当に厳しい授業を課していた。朝から晩までほとんど丸一日詰め込まれる。生徒は立ったまま高い机を前にして勉強した。 ウィリアムが何歳から何年間ここに通って学んだか、それもつまびらかになっていないのだが、彼が受けた正式な学校教育はこの時期のものだけである。 シェイクスピアの作品から判断して、この劇作家の知識がとてつもなく広く教養の深いことは確かだが、その一方で、 「シェイクスピアの学問なんかたかが知れている。ラテン語少々、ギリシャ語はなにもわかっていない」 という評もあり、これはこれであながち間違った指摘とも言えないようだ。 言ってみれば、ある時期の日本の大衆小説家のようなものだろう。たとえば吉川英治を思い浮かべてみよう。知識は舌を巻くほどに広い。しかし、専門の学者に言わせれば、 「結構つまらない間違いはありますよ」 であり、学者の知識と創作家の知識はおのずと異っている。シェイクスピアはストラットフォードで若干の基礎的な学習を体験し、あとは実社会で学び、必要なものをその場その場で独習して身につけた、という事情だったろう。 二十一歳までは確実にストラットフォードに暮らしていた。学業を終えたのち、しばらくは父の仕事を手伝っていたのではあるまいか。 おっと、いけない。大切なことを忘れていた。 十八歳でアン・ハサウェイと結婚している。八歳年上の新妻……。アンの実家は隣村で農業を営む中流家庭で、ウィリアムの家からは徒歩で三十分ほどの距離であった。 どういういきさつで二人が知りあったのか、これもわからないけれど、この三十分の道のりを若いシェイクスピアが熱い思いを胸に畳んで何度か通ったことはまちがいない。 |