プリンシプルのない日本



 八方美人が多すぎる

 戦争の災害(戦災とかいう様な一部分的のことでなく一般的に言うのだが)を蒙って、その影響から未だに抜け切れない欧洲に行って見て痛感することは、日本の復興のたどたどしさである。
 占領中に司令部の米軍高官が日本の復興の目覚しさを謳歌した。この宣伝は彼等の本国向けの放送であると私は思った。米国民にはこの放送がどの位有効であったかどうか知らないが、この放送を日本の国民が大部分みな鵜呑みにしたのではないだろうか。当時司令部の云うことは全部信じると決心していたらしいから。あれだけの戦争をやって、国力を殆ど全部消耗してそんな「目覚しい」なんていう様な復興など有り得るとは思わない。現在の日本の復興ぶりなどということは、言わばクリスマス・ツリーみたいなもので、飾り付けて豆電気がついて色々のものがぶらさげてあって、見ると本当に綺麗なものだが悲しい哉あのクリスマス・ツリーには根がない。あの木は育たない、あの木はきっと枯れる。本当はツリーでなくてただの枝みたいなものだから。
 日本の復興のたどたどしさの根本の原因は、日本の国民が現在彼等のおかれている環境に対して、殆ど盲目であることだと思う。この感覚の甘さから来ているのだと思う。この甘さを一番露骨に出しているものが、現在の政治界であり経済界であると思う。今一番大切なことは、戦後の日本と戦前の日本とは政治的にも経済的にも違うと言うことを、最も真剣に認識することだと思う。
 吾々は敗戦の結果総てを失ってペチャンコになったのだ。言わば戦前吾々の住んでいた家は焼失して、かすかに残っているものは、その土台の石だけだ。その土台も地下何米(メートル)と岩盤にとどいている様な本格的な土台でもない。大急ぎで外国流を真似て作った土台に過ぎない。然し土台はある。問題は家がない。そのない家にある様な気分を出して住んでいるのが、日本の国民の現状ではないか。殊に指導者層の人にこういう妄想を抱いている人が多いのには、唯驚くばかりだ。
 政府の行政面に於てもこういう現象はいくらもある。やることは大体に於て総花式で、摩擦回避主義で、真剣も熱も見当らない。政府が毎年々々巨額に出している土木の費用にしてもそうだ。例えば災害復旧のための支出にしても、あちらこちらと少しずつ出して何処も満足な復旧工事は出来ない。一時しのぎの間に合せで、政府としては一応各地の当事者連中に顔は立つかは知らないけれど、一年経てば又もとのもくあみで、こういうことを永久に繰り返すばかりだ。こんな貧乏な国でも、復旧費の全額は相当の巨額になろう。その巨額をもっともっと重点的に使えないのだろうか。
 大体八方美人的のことが多すぎる。評判を気にしたり、みなに評判がよくなりたい様な御歴々も多過ぎる(この議論をほんとはもっともっとやりたいのだが、我田引水論的にとられると片腹いたいから好い加減にしとくことにする)。今や我が国は存亡の秋に直面しているのだから、ほんとに国家のことを考えて、ガムシャラに邁進する様な人々が指導者の地位に就くべきではないだろうか。私の知っている人々でも、皆が好い人だと賞め過ぎて悪口を言われない様な人々は、おしなべて馬鹿に限るようだ。オシャカ様やキリストの様な人物がおるのなら喜んで例外を認めるが。

血税濫費の「御接待」

 日本が今日世界有数の貧乏国であるということでよく思い出すのは、毎年々々の国家の予算の審議である。議会は国民を代表しているので、議会は国民そのものだとも言える。近年日本の国では政府の提出した予算を議会で増額することが多い様だが、何処の国で国民が政府の支出の増加を決議する処があるか。支出の増額は何かの形に於てとどのつまりは税金の増加である。国民は税金の増加を希望しているのだろうか。
 議会は国民なのだから現象は正しくそうである。それとも議会と国民は無関係なのか。吾々の常識では議会は政府の予算を削る処で、増やす処ではない筈だ。こんなことが平気で起る所以のものは議員だけが悪いのではない。国民の注視が足らないというのも、日本の国がほんとに破産しているという認識が足らないからではないだろうか。破産しているなけ無しの財布からしぼり出した税金なのだから、もっと関心を持つべきだと思う。
 予算のことの話の序によく思うことは、議会で予算案が決議され、その金が各々の役所に渡ったが最後、この金が如何にして使われてその金がどんな形に変ったかと云うことは、その役所の当事者以外は誰も関心を持っていないようだ。殊にその金を現実に支払い出す大蔵省に於ても、殆ど無関心であるというのは言い過ぎか。役人は役所の数を増すことは大好きで大熱心の筈だから、この行政整理流行の世の中でも、各省に割当てられた予算額が如何にして使われたかということを、最後迄見届けることを任務とする役所位創ったらいいと思う。それも商売人が自分の事業に投資する金を、一銭一厘、飽迄執念深くつきつめてやっている様に、役所の会計を監督する会計検査院の様に御座なりの検査で、表面だけ帳簿が合っていたらそれでよし、なんていう様なことでは駄目で、すぐ又行政整理の対象にされるだろうが。
 会計検査院の話の序に又々嫌なことを言わして貰いたい。会計検査院が役所に出張して会計を監査する時には、何かの形の「御接待」が必要なりと常識の様になっていると聞く。「御接待」も豪遊の類ではなさそうだから、このこと自体は大したことではないかも知れぬが、私の一番不愉快に思うのは国民の税金でやっている役所が、これ又国民の税金でやっている役所を、国民の税金を使って「御接待」するとは、何事だということだ。これと同じ事は、政府が予算を編成する時に、各省が大蔵省の予算関係官を「御接待」することだ。前にも言ったが、事は小さいがこれ程国民をナメていることがあるだろうか。こんな事こそ議会の「怖い」委員会で取上げるべきではないだろうか。

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