新潮文庫


古道具 中野商店
川上弘美

東京近郊の小さな古道具屋でアルバイトをする「わたし」。ダメ男感漂う店主・中野さん。きりっと女っぷりのいい姉マサヨさん。わたしと恋仲であるようなないような、むっつり屋のタケオ。どこかあやしい常連たち……。不器用でスケール小さく、けれど懐の深い人々と、なつかしくもチープな品々。中野商店を舞台に繰り広げられるなんともじれったい恋と世代をこえた友情を描く傑作長編。

ISBN:978-4-10-129237-3 発売日:2008/03/01

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古道具 中野商店


 角形2号

 だからさあ、というのが中野さんの口癖である。
「だからさあ、そこの醤油さし取ってくれる」と、つい先ほども突然言われて、驚いた。
 三人で、早めの昼食を食べにきたのだ。中野さんはしょうが焼定食、タケオは煮魚定食、わたしはカレーライスを頼んだ。しょうが焼と煮魚がすぐに運ばれてきた。卓上の箱に立ててある割箸を引き抜き、ぱちんと割って、中野さんもタケオも食べはじめた。タケオは小さく「お先」と言ったが、中野さんは何も言わずにすぐさまかっこみはじめた。
 カレーライスがようやく運ばれてきてわたしが匙をとりあげたところで、中野さんは「だからさあ」と言ったのである。
「だからさあって、あの、唐突なんじゃないですか」とわたしが言うと、中野さんは丼を卓に置いた。
「だからさあ、なんて言ったか俺」
「言いましたよ」タケオが横からぼそりと答えた。
「だからさあ、そんなこと言ってないよ」
「ほらまた言った」
「あ」
 中野さんはおおげさな身振りで頭を掻いた。
「癖なんだよ、俺」
「へんな癖ですね」
 醤油さしを取って渡すと、中野さんは二きれあるたくわんに醤油をかけ、ばりばり食べた。
「声に出さないで頭ん中で喋るんだよな、俺って」
 俺の頭ん中で、たとえばAがBになってCに行くだろ、それからDに続くってわけだ。Dのことを口に出すときに、つい「だからさあ」って言っちゃうんだな。
「そういうもんすか」魚の煮汁を残ったご飯にかけながら、タケオが言った。
 タケオとわたしは、中野さんの店で働いている。学生の多い東京の西の近郊のこの町で、中野さんは二十五年ほど前から古道具屋を営んでいる。最初は中堅どころの食品会社に勤めていたそうだが、すぐに会社勤めに飽きがきて退社したらしい。脱サラという言葉がはやっていたころだったが、脱「サラ」するほど長くサラリーマンをやったわけじゃなかったし。なんとなく飽きてやめたんで、当時は肩身が狭かったな。中野さんは少しばかりまのびした口調で、店番の合間に教えてくれた。
「骨董じゃないよ。古道具なの。うちの店は」面接のとき、中野さんは言ったものだった。
『アルバイト募集・面接随時』という下手な墨書の張り紙が、中野さんの店のガラスに貼ってあった。随時、と書いてあったのに、店に入って聞いてみると「九月一日の午後二時に面接ね。時間厳守よ」と店主は言う。髭を生やして痩せてニットの帽子をかぶった妙な印象のその店主が、中野さんだった。
 骨董ではなく古道具、の中野さんの店は、文字通り古道具で埋まっている。ちゃぶ台から古い扇風機からエアコンから食器まで、昭和半ば以降の家庭の標準的な道具が、店の中にところ狭しと並んでいる。中野さんは昼前に店のシャッターを開け、煙草をくわえたまま「呼びこみ用」の道具を店先に並べる。ちょっと洒落た模様の皿小鉢の類や、アートふうデザインの手元灯、オニキスまがいの亀や兎の文鎮、古い型のタイプライターなどを、店先に置いた木製のベンチにかっこうよく並べるのである。ときどき煙草の灰が亀の文鎮の上に落ちたりすると、中野さんはいつもつけている黒いエプロンの端で乱暴に灰を払いのける。
 午後の早い時間まで中野さんも店にいて、その後はたいがいわたしが一人で店番をする。午後になると、タケオと中野さんは「引き取り」にでかけるのだ。
 引き取り、とは、文字通りお客の家から荷物を引き取ることである。一番多いのは、当主が亡くなって家財道具を始末する場合である。形見分けにもできない物品やら服やらを、一括して中野さんの店が引き取る。小さなトラック一台ぶんくらいの品物を、数千円から一万円くらいの間の値段で買い受ける。価値のありそうなものは取り置いてその残りを出すのだから、粗大ゴミとしてお金を払ってゴミに出すのよりはまし、というくらいのつもりで、お客は「引き取り」を頼んでくる。おおかたは文句もなく些少の金を受け取って中野さんのトラックを見送るが、たまにつけ値が安いとごねるお客がいて困る、という話はタケオから聞いた。
 タケオはわたしよりもほんの少し前に、引き取り要員として雇われた。荷が少なそうなときは、タケオが一人で引き取りに行く。
「値段、どうするんすか」最初に一人で行けと中野さんに命じられたとき、タケオは不安げな様子で聞いていた。
「だからさあ、適当でいいの。いつも見てるでしょ、俺の値のつけ方」
 値のつけ方もなにも、タケオはアルバイトを始めてそのころまだ三か月そこそこだった。無茶なことを言う人だと思ったが、あんがい店が繁盛しているところをみると、隅から隅まで無茶を通しているのではないのかもしれない。タケオはおっかなびっくりの様子で出かけていったが、戻ってきたときには普段の調子になっていた。
「なんてことなかったすね」などとすましている。三千五百円、という引き取り値を聞いて、中野さんは何回か頷いたが、実際に荷物を見ると、目を丸くした。
「タケオさあ、安すぎ。これだからしろうとは怖いよなあ」そんなふうに言って、中野さんは笑った。
 そのときの荷の中にあった壺は、三十万円で売れたらしい。ということもタケオから聞いた。中野さんの店ではその手のものは扱わないので、壺は神社の境内に立つ骨董市で売ったのだ。当時タケオとつきあっていた女の子が、手伝いと称して市の出店までくっついてきた。あんな汚いような壺が三十万円で売れるのか、タケオも本格的に古道具の商売を始めたらどうか、そうしたら家を出て一人ずまいもできるんじゃないか、と女の子はずいぶんタケオにせまったらしい。そのせいかどうか、タケオはじきに女の子と別れた。

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