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はしがき 「金沢藩士猪山家文書」の発見
「金沢藩士猪山家文書」という武家文書に、精巧な「武士の家計簿」が含まれていることを知ったのは、まったくの偶然であった。長年、武士の家計簿を探していた筆者にとっては、僥倖そのものであった。本書は、この武士家族の家計簿に焦点をあて、江戸時代から明治・大正にかけて、武士・士族がどのような日常生活をおくったのかを描くものである。
まず「はしがき」として、この稀有な古文書が発見されたときの経緯をありのままに記しておきたい。
私が、猪山家文書に出会ったのは、平成十三年の夏のことである。暑い日であったが、私は噴き出る汗もぬぐわず、地下鉄の階段を駆け上がって、神田神保町の古書店をめざしていたのを憶えている。ポケットには現金十六万円がねじ込まれていた。言うまでもなく古文書を買い取る代金であり、一刻もはやく目的の古文書をみようと、急いでいた。そして、古書店につくなり、主人にこういった。「見せてください。目録四番の金沢の古文書です。お願いします」。
これほど慌てていたのには理由がある。
私のもとに一冊の古文書販売目録が郵送されてきた。歴史研究者の自宅には、よくこの種の販売目録が送り付けられてくる。いつものように物憂い目でパラパラとめくってはみた。古文書が商品化されるのは、あまり好ましいことではない。しかし、史料が廃棄処分から救われ、古書市場に流れて、研究者の目にとまることもある。目録のあるページをひらいた瞬間、私の目は釘付けになった。
そこには一つの古文書の写真があった。説明には「金沢藩楮山家文書 入拂帳・給禄証書・明治期書状他 天保~明治 一函 十五万円」とあった。私は直感した。(これは武士の家計簿かもしれない……。しかも、かなり大部で精密な)。急いで受話器をとって、販売元の古書店に電話をかけると「まだ売れていない」という。すぐに銀行に行って現金を引き出し、地下鉄に飛び乗って、神田神保町にあるその古書店秦川堂に駆けつけたのであった。
見るからに慌てている私とは逆に、古書店の主人は落ち着いたものである。「それです」。ゆっくりと、ゆびさした。そこには古い和紙を詰め込んだ段ボールが一つおかれていた。温州みかんの箱であった。おそるおそる近づき、その古文書をめくった私は思わず息を呑んだ。それはまさしく「武士の家計簿」であった。しかも、ただの家計簿ではない。驚くべきことに、天保十三(一八四二)年七月から明治十二(一八七九)年五月まで、約三十七年間(三十六年分)にわたって残されていた。幕末武士が明治士族になるまでの完璧な記録であった。
その日から、私と古文書との格闘が始まった。自宅の食卓が古文書を解剖する「手術台」になった。古文書の汚いホコリは不潔であり、食卓には禁物であるが、そんなことはどうでもよかった。一枚一枚めくって写真をとり複写をして解読していく。すると、いろいろなことがわかってきた。金沢藩、今日では加賀藩と呼ばれることのほうが多い。販売目録には「楮山家」とあったが、これは読み違えであり、正しくは「猪山家」の文書であること。家計簿だけでなく明治初年の家族の書簡や日記が含まれていること。毎日が発見の連続であった。古文書を調べるにつれて、この家族の経験した歴史が次第に浮かび上がってきた。驚いたことに、猪山家は、すでに幕末から明治・大正の時点で、金融破綻、地価下落、リストラ、教育問題、利権と収賄、報道被害……など、現在の我々が直面しているような問題をすべて経験していた。
古書店で購入した古文書には、すさまじい社会経済変動を生き抜いた「ある家族の生活の歴史」が缶詰のように封じ込められていたのである。
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