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はじめに――『桃太郎』の文章術
この本でお伝えするのは、職場や学校で「使える」文章を書く技術です。「使える」というのは「伝わる」ということです。それも、書き手の感情よりも情報やメッセージを伝えることです。
多くの文章指南の本では、ときに欲張って、読み手を感動させるような文章まで書かせようとします。しかし、日常生活でまず必要なのは情報を伝えることです。
そのために大切なことのひとつが、「短い文を書く」ということです。そのよい例として、桃太郎のお話をあげてみましょう。
桃太郎を始めとする日本のおとぎ話を体系的にまとめて編集したのは、巌谷小波(いわやさざなみ)(1870~1933年)という人です。日本おとぎ話の創始者といっていいでしょう。その名前は『広辞苑』にも掲載されています。
1894(明治27)年、巌谷小波によって作られた『桃太郎』の一部をご紹介します。
『桃太郎』
むかしむかし或る処(ところ)に、爺(ぢぢい)と婆(ばばあ)がありましたとさ。或る日の事で、爺は山へ柴刈に、婆は川へ洗濯に、別れ別れに出て行きました。
(途中、長すぎるので中略)
婆さんは適宜(ほどよい)処に盥(たらひ)を据ゑ、其中(そのなか)へ入れて来た、汗染みた繻絆(じゆばん)や着古した単衣(ひとへ)を、代る代る取り出しては、底の小石から小鮎の狂ひまで、手に取る様に見え透く清流(ながれ)に浸して、頻(しき)りにぼちやぼちや行(や)つて居りますと、
(ルビ、下線は筆者による)
途中、相当量の文を省略してもこの長さになります。ここでやっと桃が流れてくるシーンになるわけです。
とくに、下線の部分は、現代の『桃太郎』からは想像しがたい、悪くいえば冗長、良くいえばのどかな、スローライフの典型のような表現です。
では、ここでもうひとつの『桃太郎』を紹介しましょう。1920(大正9)年に森鴎外らによって発表された作品です。
『桃太郎』
ムカシ ムカシ アルトコロニ、オジイサントオバアサンガ イマシタ。毎日オジイサンハ 山ヘ 柴カリニ、オバアサンハ 川ヘ センタクニ 行キマシタ。アル日 オバアサンガ 川デ センタクヲ シテイマスト、
(原文では漢字にカタカナのルビ付き)
これが鴎外らが編集した『桃太郎』です。私たちが馴染んでいるのはこちらの文章です。
文のひとつひとつが短くなっただけでなく、冗長箇所が皆無になり、現代文そのものといえます。
巌谷小波の作品は、話しことばを文の形にした作品であり、大人が子どもに聞かせるための大人用です。巌谷小波は、言文一致運動を提唱した尾崎紅葉などと親交が深く、新文学を推進した作家の1人です。その影響がおとぎ話の制作にもでているのです。これは、巌谷小波の他の作品をみても同じです。
小波には、7名の子どもがいました。教育という観点からおとぎ話を聞かせたのでしょう。そして、子どもを対象にした口演(講演ではない)を通じて、子どもたちにおとぎ話(文学)の素晴らしさを伝える活動をしていました。これは関連資料の写真などから明らかです。
そんなところから言文一致の文体が自然に生まれてきたのだろうと推測することができます。
その文体そのものは、現在私たちが使っている文章のもとになっていて、言文一致運動は大変な意義のあるものでした。しかし、話しことばというのは往々にして余計な情報が入り、冗長になりがちです。巌谷版の桃太郎にもそのきらいはあります。
それに対して、鴎外らのものは、書きことばに徹しており、子ども自身の読み物として制作したことがわかります。ちなみに、この本の末尾に提示した主要参考文献の中に、「森林太郎」とありますが、鴎外の本名です。鴎外はそのほとんどの作品にペンネーム「鴎外」と記すことなく、林太郎で通しました。
鴎外らの『桃太郎』は、私たちが書く現代文にいろいろな教えを授けてくれる名文といっていいでしょう。その一番の魅力は「一文の短さ」です。
その短さは、以下のルールから生まれました。
| (1) |
ひとつの文にひとつの事だけを書いている。いわゆる「一文一義主義」を貫いている。 |
| (2) |
修飾表現を極端に削っている。すなわち形容詞や副詞などの使用を避けている。
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| (3) |
接続助詞を使わないで、終止形で文をとめている。接続助詞を使うと文全体が長くなる。(接続助詞=ば、ど、ども、が、ところが、のに、ものを、も、し、と、から、けれど、けれども等)
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この本では、「短く書く」ことをキーワードとしてとらえて、講を進めています。とくに60字という数字を目標にしています。
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