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「猛毒大国」中国を行く
鈴木譲仁

化学物質まみれの偽食品工場、劇薬すれすれの漢方薬、各地に点在する「癌村」……日本では考えられない杜撰な食の安全基準と環境汚染。「冷凍ギョーザ事件」は起こるべくして起きたのだ。十年以上にわたって現場に足を運び取材を続けてきた著者が、発がん性薬品で漂白する春雨、本物そっくりに作り上げる人造卵、冬瓜に合成着色料を入れて作られた月餅など、猛毒大国の驚くべき内情を徹底的に暴く――。

ISBN:978-4-10-610267-7 発売日:2008/06/16

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714円(定価) 購入


「猛毒大国」中国を行く


 漂白剤の核心に迫った瞬間に――
 私は急いでもう1軒、約束していた工場に足を進めた。こんな小さな村で噂が広まるのは時間の問題だ。「ヘンな日本人が嗅ぎまわっている」という情報が村役場にでも伝わるとややこしい状況になってしまう。そうなる前に、もっと話を訊き出したかったのだ。
 車を近くまで走らせ、工場に入った。中には誰もいなかったが、数分もしないうちに運転手が主を連れてやってきた。近くの畑で作業をしていたらしい。
 白髪混じりの老翁は、昨日と同じ様に銜えタバコで立っていた。やはり今日は天気が悪いので作業はしないらしい。田舎の人間はよそ者を警戒するが、いったん打ち解けると胸襟を開くのも早い。2日続けて訪問した我々を陋屋の裏にある3畳ほどの部屋に案内してくれた。一箱、日本のタバコを手に渡すと、深く刻んだ皺をぐっと盛り上げ、人懐っこそうな笑みを零した。私は慎重に相手の表情を窺いながら、同じような質問を再び投げかけた。
 「昨日も言ったけど、うちは加工するだけだ。材料は会社の人間が持ってきて製品を卸業者が回収に来る。この村はほとんど下請けだ。自分で材料を仕込む家もあるが彼らもどこかの下請けだ。加工賃は500グラム3.3角だよ。うちで作った春雨は広州で『双喜』っていうブランドで売られている。確か500グラム1.9元から2.3元だったかな。白い春雨の方が良く売れて儲かる」と旨そうに吸い込んだタバコをくゆらしながら話した。私は先ほどの若社長の工場について訊いてみた。すると意外な答えが返ってきた。
「あの会社はほとんど全部、村の小さな工場に作らせてるよ。ほとんど親戚や一族の知り合いにね。あそこはただ取り纏めてるだけだ」
 やはり、私の推測どおりだった。すると、「小さな工場は無許可で質が悪く、着色料や添加物を使っている」と言う若社長の説明はまさに自らの墓穴を掘ったことになる。その製品を包装し「色素・明礬無添加!」「無公害特産品」と意味不明のラベルを貼って出荷しているのだ。しかもそれが堂々と県や市の検査に合格しているという訳だ。
 私は先ほどの老夫婦から聞いた話を彼にも確認してみた。様々な澱粉を混ぜて作ったり、質の良い物と悪い物を作るなど製造の実態は皆おなじなのだろうか。
「ああ、それはどこも同じだ。昔から変わらない。うちも何種類か作っている。好きな色も選べるよ。材料や作り方は皆一緒だ。それしかできない。でもうちは白い春雨が一番多いなぁ。この村は20年ほど前から春雨を作るようになったのさ。最初は農家ばかりで自分の家で食べる分だけ作っていた。そのうち数軒が作ったものを外に売り出したんだ。それが売れて儲かったんで皆が真似して作り出したって訳だ。二つある大きな工場も最初は小さな家で作っていた。彼らは親戚や親族が多いから大きくなったのさ。そのうちのひとつの方も、最初に摘発された時は小さな工場だったんだよ」
 彼は警戒心が消えたのか、ぽろっと摘発の件も口元からこぼれ落ちた。若社長のとは別のもうひとつの大きい工場が摘発されていたのだ。しかも摘発後、成長して大きくなったという。私はいよいよ核心に迫ったな、と感じたと同時に、彼は案外私の意図を見透かしているんじゃないか、という甘い期待が胸裏を掠めた。そう思わせるほど、まるで自戒の念を込めた「自白」のように滔々と話してくれる。私は思い切って「吊白塊=ロンガリット」の事を訊いてみた。
「漂白剤かい? うーんそれはちょっと言えないなぁ。なんともね。色々入れてるけどね。いま世間がうるさいからなぁ。まあね。それはね」と薄笑いを浮かべながら言葉を濁してしまった。しかし、その眼元は私に向って「わかるだろ。使っているけど言えないに決まっているじゃないか」と訴えているようにしか映らなかった。
 私も阿吽の呼吸で小さく頷いて返した。そして「じゃ、ちょっと材料だけでも教えてくれないか」と質したのだ。実は直ぐ隣の部屋に置いてある袋の「工業用添加物」という文字が眼に映っていたのだ。隣の部屋に行けば必ず見つけられる、そう踏んだのだ。彼が「いいよ」といいかけた途端、背中のほうで大声が聴こえた。

 正体がバレて絶体絶命のピンチ
「おい! 余計な事を話すんじゃないぞ! こいつら新聞記者かもしんねえぞ!」と我鳴り声を上げながら厳つい顔をした親仁が玄関に仁王立ちしている。一瞬、私の背中は凍り付いてしまった。しかし、そんな気持ちはおくびにも出さずに、「いや、何を言ってるんですか。私は日本からわざわざ春雨を買い付けに来たんですよ」と堂々と笑って会釈した。こういう局面では焦らず面張牛皮に徹するしかない。驚いた様子の老翁に背を向けて、睨みつけている親仁に向って私は歩いた。そして、握手の手を差し伸べようとした途端、道路の向こう側に停まったモスグリーンのジープが視界に入ったのだ。
 運転席から肩肘を出し、あの若社長がうっすらと微笑みを浮かべてこちらをじっと見つめている。しかし柔らかな口元とは対照的に、眼光は鋭く射るように私に向けられていた。私の背中は再び凍り付いてしまった。
 どうやら、先ほどの老夫婦からあっと言う間に噂の火が広まり、彼の下に及んだらしい。いままでにも何度か中国の新聞やテレビの取材攻勢を受けていたのだろう。だから潜入取材にも敏感に反応しているのだ。しかし、これは絶体絶命だ。この期に及んで幾ら知恵を絞ってあれこれ策しても無理だろう。こうなったら一刻も早く退散するしかない。私は、落ちついて老翁を眼で追いお礼の会釈をして工場を出た。若社長へは黙止を決め込み、青年に急いで祁東に向かうよう指示をした。もっとも青年は十分この状況を把握していた様だ。ドアを閉めたとたん車は彼らの厳しい視線を尻目に勢い良く走り出した。
「もう少しだったのに残念だった。が、しかたないな」。合板のような固い座席に身を委ねながら大栄村への潜入取材のあっけない幕切れを私は悔やんでいた。しかし、この村に存在する「公然の秘密」の扉に手を掛けた確かな手ごたえは十分感じていた。
 そんな思いを巡らせながら、ふっとバックミラーを覗くと、後ろにぴたっとモスグリーンのジープが我々を追走していた。なかなか執念深い模範青年だ。おかげで我々はその後、1時間近く、抜きつ抜かれつのカーチェイスを味わう羽目になってしまった。幸いな事に、追いかけてくるのはジープだけで公安や役人と思しき車の姿は無かった。
 しかし、さすがに、彼の車は裏道や抜け道を熟知していた。消えたかと思うと先回りして待機していたり、と執拗に追いかけまわす。漸く祁東に入って信号待ちをしている間に私は運転する青年に突然「ここで降りる」といって、一目散に街中に紛れ込み、流しのタクシーを拾って衡陽のホテルに逃げ込んだ。
 私はホテルのロビーで一息入れながら春雨村の実態を考えていた。模範青年の工場は当然、村と密接な関係があるに違いない。これは村民委員会の下に管理された「公然の秘密」なのだ。おそらく大きい二つの工場は地元の宗族系企業、と言うことだ。そこが親族、同族を中心とした小さな村工場に丸投げ生産させているのだろう。他のいくつかの工場は同様に外部のメーカーの下請けだ。作り方の指導も受けているに違いない。農民だった彼らはその指示に従っているだけなのだろう。
 中国の地方都市や農村部は中央政府の統制もままならない。郷鎮政府と党の地方支部、そして、村民委員会という地元の組織が手を組んで牛耳っているからだ。
 ロンガリットの混入現場は押さえられなかったが、そこには、何度摘発されても一向に改善されない春雨村の「闇の構図」がくっきりと浮かび上がってきたのだ。

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