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ラーメン屋vs.マクドナルド―エコノミストが読み解く日米の深層―
竹中正治

アメリカ人はマックに頼り、日本人はラーメンを究める。大統領は希望を語り、総理大臣は危機を語る。アメリカ人は対面でディベートし、日本人は匿名でブログする。日本に「ビル・ゲイツ」はいないが、小金持ちならたくさんいる……。日米双方の事例を照らし合わせると、それぞれの強みと弱み、そして社会の特徴がくっきりと浮かび上がってくる。世間にはびこる通説をデータと実例で覆す、目からウロコの日米文化論。

ISBN:978-4-10-610279-0 発売日:2008/09/16

立ち読み

714円(定価)


ラーメン屋vs.マクドナルド―エコノミストが読み解く日米の深層―



 はじめに


 2003年12月、日米同時に封切られた一本の映画が、ワシントンDCの日本人と知日派アメリカ人の間で話題になった。トム・クルーズ主演、渡辺謙共演の映画「ラスト サムライ(The Last Samurai)」である。
 当時、銀行のワシントン事務所の所長であった私は、大のアメリカ映画好きということもあって、封切り早々にワシントンの映画館に見に行った。この映画は明治維新直後の時代背景を想定し、西南戦争をモデルにしたフィクションだが、時代考証にも力を入れて製作されたと評判だった。
 19世紀後半に幕藩体制が崩壊し、明治新政府が樹立した後、日本には政治的に不安定な時期があった。多くの「不平士族」が明治政府に反旗を翻し、大小の「士族の乱」が全国に起こった。その最大のものが西郷隆盛をかついだ西南戦争だった。明治政府は西洋化・近代化政策を採り、廃藩置県を実施し、中央集権国家の体制を整えたが、それは同時に士族階級の経済的・政治的な基盤を破棄することを意味した。映画はこうした時代を背景にしている。
 しかし、映画の中の反乱士族の武装と戦闘スタイルが、どう見ても19世紀後半のものではないのだ。まるで16世紀の戦国武者の様相である。しかも反乱士族が拠点にする村落が、明治政府の送り込んだ「忍者集団」によって攻撃されるに至っては、時代考証はどこかに吹き飛んでしまっている。アメリカ人にとっては「サムライ」と「忍者」は対をなすイメージなのであろうが、日本人には全く奇妙である。
 これだけではない。映画では「サムライ」は、農村で土地を耕して生計を立てながら武術の修行をする人々として描かれている。確かに武士も、平安朝後期に階級として勃興した時代には、戦士であると同時に、土地と農民を領有し自らも農耕に関わる存在だった。しかし、17世紀から19世紀の江戸時代の武士階級は、農耕からは完全に分離された都市生活階級である。
 また映画の中で新政府の権力者は、日本に不利になることを承知で米国と売国的な不平等条約を締結しようとしたものとして描かれている。しかし、不平等条約としてその後問題になる日米修好通商条約を締結したのは幕府の井伊大老の時で、不平等な条約内容を修正させるのに積年の苦労をしたのは明治政府である。
 欧米から軍事顧問を受け入れ、開国・西洋化政策を進める新政府が売国的であり、新政府に抗う武士勢力が愛国的という構図にすると「わかり易い」。実は、この「わかり易い」という点に私達の認識の罠が潜んでいる。話はたかが映画のストーリーに止まらない。世の中には受け入れ易く、わかり易くデフォルメされた多くの虚構が「真実顔」して流布しているからだ。
 映画「ラスト サムライ」が史実を大きくデフォルメしていることは、日本史を学んだ日本人なら簡単に判ることだが、多くのアメリカ人は映画のイメージを現実の日本の歴史イメージに重ねてしまう。

 ここまで考えて、「どきっ」とした。わが身を振り返ると、果たして私達はアメリカのことをどれほど理解できているのだろうか?
 戦後の日本は、アメリカ流の改革を進める主張と、それに反発・抵抗する主張の間を揺れ動いてきた。しかし、アメリカを巡る日本の議論自体が、いつの間にか私達の間に生じた「わかり易い虚構」の上に成り立ち、不毛なものになってはいないだろうか。
 例えば、「アメリカの家計では銀行預金から株式や投資信託など投資へのシフトが進み、資本市場の成長と経済成長のダイナミズムの源泉となっている。日本も金融・投資教育を進め、貯蓄から投資への流れを推進すべきだ」などということが、政策論議の場でも経済メディアでもしばしば語られる。
 日本で金融・投資教育の推進が必要であることは、筆者も大いに同意する点だ。しかし、このようなステレオタイプな主張には、日本に比べてアメリカの家計の株式保有比率が高い「本当の理由」の認識が抜け落ちている。それが見えていないので、「日本人が銀行預金や郵便貯金ばかりしているのは投資教育が足りないからだ」とか、「日本人はリスク回避型の国民性だからだ」などの通俗的な言説がまかり通ってしまう。
 あるいは、アメリカの企業モデルは「株主至上主義」だと日本ではイメージされている。ところが、アメリカで議論されている問題は、企業経営の実態が「株主至上主義」ではないことなのだ。すなわち、本来は株主の利益の執行役であるべき経営者が自己利益の実現に走り、株主の代理として執行役を監督・監視すべき取締役会が相応しい機能を果たしていないという、いわゆる「エージェンシー(執行代理人)問題」が1980年代から繰り返し議論されてきた。
 また、「日本企業の従来型の経営では内輪の役員間の馴れ合いで経営規律が弛緩して非効率や不祥事が隠蔽される。これを改善するためにはアメリカのように社外取締役を増やして企業経営に規律をもたらすべきだ」という主張がある。確かにアメリカでは、企業経営者はCEOをトップとする執行役員と彼らの働きを監督する取締役に分かれ、取締役の過半は社外取締役であるケースが多い。それを真似て日本でも社外取締役を増やすコーポレート・ガバナンスの改革が行われた。
 しかし、ご本家アメリカの経営学の実証分析では、「社外取締役の増加がコーポレート・ガバナンスの強化に役立っていない」ことが大いに問題になっているのである。アメリカの情報はあふれかえっているはずなのに、なぜ、かくも奇妙な理解の行き違いが起こるのだろうか?

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