お知らせ

「群像」8月号、
『美しい顔』に関する告知文掲載に関して

 本日「群像」8月号が発売され、「群像」6月号に掲載された北条裕子氏『美しい顔』に関して、石井光太氏の著作『遺体 震災、津波の果てに』を参考にしながら、参考文献として未掲載だったとの説明、及びそれに対する謝罪がなされました。また、本来であれば「群像」6月号に掲載されるべきだった参考文献一覧も、あわせて掲載されました。

 ここに至るまでの経緯の概要をご説明いたします。現在も協議は続いているため、やり取りの詳細などは控えさせて頂くこと、ご了承ください。
 5月7日発売の「群像」6月号で上記の問題が生じたことを認識した講談社から、5月14日にまずは石井光太氏へ、両作品を比較した類似箇所のリストの提示、それを元にした事情説明と謝罪がありました。また『遺体』の版元であり、石井氏の代理人である弊社には、5月29日に同様の事情説明と謝罪がありました。29日の協議で、代理人である弊社が講談社に要望した主な点は以下の5点です。

①発端となった「群像」の誌面で、何らかの回復措置を講じて頂きたい。
②参考文献掲載は当然のこととして、実際に複数の類似箇所が生じていることに関しては、今後の『美しい顔』の単行本化の際、参考文献を記載すれば済む話ではなく、類似箇所の中でも、特に酷似した箇所の修正が必要と考えている。
③『遺体』は、石井氏が取材をした被災者に、掲載の許諾を取るなど丁寧な手続きを経てまとめた作品。石井氏との信頼関係があったからこそ話し、文章化を許可して下さった内容のはずが、単なる参考の域を超え、酷似する箇所まで生じてしまっている。石井氏を信じて取材に応じてくださった被災者の方々への対応を考えて頂きたい。
④北条氏自身からは、未だ何の説明もない。ご本人から書面などで説明頂きたい。
⑤講談社は、類似箇所が生じてしまった経緯、類似箇所に対する認識も含めて、今回の件についての社としての見解をまとめて頂きたい。

 この弊社からの要望をもとに、5月29日以降、講談社と協議を進めました。講談社には前向きに弊社の要望を検討頂いたことで、問題は徐々に解決に向かいました。
①については、7月6日発売の「群像」8月号に告知文掲載の対応を頂きました。内容についても、講談社、石井氏、弊社の間で協議を済ませた内容となりました。
②については、『美しい顔』の単行本化が可能であれば、今回生じた複数の類似表現の修正を、石井氏に確認しつつ進めたい、との対応を頂きました。
③については、まずは「群像」告知文にて対応頂きました。一方で、『遺体』の主たる登場人物である2名に対し、手紙または面会の上で説明をする機会を頂きたいとの、講談社側から示された対応等については、積み残しとなりました。
④については、6月13日に石井氏と弊社にあてた北条氏の謝罪文を受け取りました。
⑤については、何度かのやり取りを経た後、6月27日付で、「群像」編集長から石井氏へあてた「お詫びと経緯のご説明」という形で、見解とお詫びを頂きました。
 協議が進んだ結果、「群像」8月号が発売される7月6日を見据えつつ、北条氏と講談社、石井氏と弊社の間に残された着手すべき課題は②と③の積み残しとなりました。この時点で、こうした協議を続けなければならない課題はありましたが、講談社と弊社との間で大きな見解の相違はなかったという認識でした。「版元間 かみ合わぬ議論」「新潮社は反発」との一部報道も後に見受けられましたが、そのような状況ではなかったと認識しております。

 そうした中、6月29日の読売新聞朝刊に、「小説に参考文献つけず 「群像」おわびと一覧掲載へ」という記事が掲載されました。前日28日に講談社が取材に応じ、その結果、同日夕方弊社にも取材が入りましたが、協議継続中のため取材には応じませんでした。29日の読売朝刊記事には弊社のコメントは掲載されておりません。
 29日の読売新聞の一報を受け、新聞、通信社、テレビ各社の取材が、29日午前から弊社に集中し、コメントを求められる事態となりました。それに応じる形で、29日午後に石井氏、弊社のコメントをリリースという形で報道各社に向けて発表いたしました。現在生じている問題を、今後の報道を通じてはじめて知ることになる方々に対して、これまでの協議の経緯、内容、そして②と③の一部の課題が残されている状況を踏まえて、石井氏、弊社の考えを簡潔にまとめたのが、29日付の「「美しい顔」参考文献未掲載報道について」と題した弊社からのリリースです。石井氏、弊社のコメントは以下の通りでした。

石井光太氏コメント
 本件について、私も説明を受け、複数の類似点を確認した上で、北条裕子氏、講談社からの謝罪文を受けとりました。
 東日本大震災が起きた直後から現地に入り、遺体安置所を中心として多くの被災者の話を聞き、それぞれの方の許諾をいただいた上で、まとめたのが『遺体 震災、津波の果てに』(新潮社)です。
 北条裕子氏、講談社には、当時取材をさせていただいた被災者の方々も含め、誠意ある対応を望んでいます。

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編集部のコメント
 北条裕子氏、講談社からは、「群像」6月号に掲載された『美しい顔』に関して、石井光太氏の著書『遺体 震災、津波の果てに』を参考にしながら、参考文献として未掲載だったとの説明、謝罪を受けました。
 しかし『美しい顔』に、『遺体』と複数の類似箇所が生じていることについては、単に参考文献として記載して解決する問題ではないと考えています。北条氏、講談社には、類似箇所の修正を含め、引き続き誠意ある対応を求めています。

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 石井氏のコメントは残された課題③に重きを置いた内容で、弊社のコメントは課題②に重きを置いた内容となっています。これまで説明してきた経緯をご承知頂ければご理解頂ける通り、石井氏、弊社のコメントともに、5月29日の協議以降、一貫して北条氏、講談社に要望してきた内容を報道各社向けに発表したにすぎません。

 しかしながら、7月3日、突然、講談社より「群像新人文学賞「美しい顔」関連報道について 及び当該作品全文無料公開のお知らせ」と題したリリースが発表されました。そしてその中で、「6月29日の新潮社声明において、「単に参考文献として記載して解決する問題ではない」と、小説という表現形態そのものを否定するかのようなコメントを併記して発表されたことに、著者北条氏は大きな衝撃と深い悲しみを覚え、編集部は強い憤りを抱いております」と記されるなど、弊社に怒りの矛先を向けた内容でした。

 この講談社のリリース内容に、弊社はただただ驚くとともに困惑するばかりでした。弊社のコメントを再度お読み頂ければお分かりのように、「小説という表現形態そのものを否定する」記述などどこにもありません。また、講談社が怒りの矛先を向ける「単に参考文献として記載して解決する問題ではない」という弊社の見解も、5月29日以降の協議ごとに講談社側にはお伝えしてきたもので、今回のコメントではじめて弊社が表明したものではないことは、これまでの経緯からご理解頂けると思います。

 6月29日の読売新聞による報道以後、『美しい顔』という作品、また北条氏に対して、インターネット上で誹謗、中傷が激しさを増しているとすれば、弊社もそうした状況を良しとするつもりなど決してありませんし、同情申し上げるしかありません。
 しかしながら、そうした状況をつくり出した原因があたかも弊社にあるかのような講談社の声明は、本末転倒としか言いようがありません。そもそもの原因は、参考文献を掲載せず、類似箇所を生じさせた講談社側にあるのではないでしょうか。講談社には、版元として冷静な対応を望みます。

 繰り返しになりますが、北条氏、講談社に対して、石井氏及び弊社が望むのは、残された課題②と③の一部への速やかな対処です。つまりは、参考文献掲載のみならず、特に酷似した箇所の修正であり、『遺体』で描かれた被災者の方々への引き続きの誠意ある対応です。講談社は『美しい顔』の全文掲載に踏み切りましたが、残念ながらこれらについては対処頂けていないままです。
 また、今後『美しい顔』の単行本化があるとすれば、その際にはこれまでの交渉経緯を踏まえて対応頂けることを願うばかりです。
 なお『美しい顔』が芥川賞の候補作であることについては、石井氏、弊社はコメントする立場にはありません。

 ノンフィクション作品が小説執筆時などに参考とされることはこれまでも多々あったでしょうし、これからもあることかと思います。しかしながら、それらノンフィクション作品は、単に事実を羅列しただけのものではありません。その一行一行を埋めるため、足を使い、汗を流して事実を掘り起し、みずからの感性で取り上げるべき事実を切り出し、みずからの表現で懸命に紡いだ、かけがえのない創作物です。
 ノンフィクション作品が様々な創作物の参考となることは、ある意味光栄なことではあります。しかし参考文献として作品巻末などに記したとしても、それを参考にした結果の表現は、元のノンフィクション作品に類似した類のものではなく、それぞれの作家の独自の表現でなされるのがあるべき姿ではないでしょうか。
 それぞれの作品を必死に紡いだ著者の努力に思いを馳せていただき、敬意をもって接して頂ければ幸いです。