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青木ケ原
石原慎太郎
 俺はもう四十にもなって青年団は卒業したし、今年か
ら村の議員にもなったからあの仕事はもう止めにしてく
れといってたんだけど、消防の方からほかに慣れた人間
がいないから、今年で最後ということで村から出かける
仲間の指揮をたってと引き受けさせられてしまったのよ。
 年に一度、富士五湖周辺の町や村の消防団あげての作
業だがあまり楽しいともいえない仕事だしな。一日ただ
働きで三、四百人もの働き手を揃えるのは大抵のことじ
ゃない。
 しかし、とにかくみんなしてあの中に入ってみれば、
年によったら十人をこす遺体が見つかるんだからな。季
節を問わずわざわざあの中に入っていくもの好きなハイ
カーや、自衛隊のレインジャーの練習なんぞで、のべ何
十もの遺体が上がるんだ。
 俺は読んじゃいないが、もうだいぶ昔なんとかいう作
家があの森のことを聞いて、あそこを主人公が自殺する
舞台にしたてた小説を書いてから変な流行りになっちま
い、どうせ死ぬならあそこでということになったんだ。
 しかしそれが読まれたことで、なんであそこが自殺の
メッカになっちまったのか、何につけ世の中には流行り
ってもんがあるんだな。
 まして五、六年前「自殺マニュアル」なんてふざけた
本が出て、その中にもあの森にいけば旨く死ねるなどと
書いてあるもんだから死人が急増して、去年なんぞ前の
年の五十五人から七十四人にまで増えちまった。それと
て全部見つけられたという訳じゃない。
 確かに、いつか誰かが持ってきてた磁石を使ってみた
ら、溶岩が爆発の時に帯びた強い磁力のせいで磁石の針
がくるくる回ってしまって方角が全くわからなくなる。
だから一人であの原生林に入ってしまったら簡単には元
に戻れない。
 昔は自殺の名所は熱海の錦ケ浦だったが、今じゃすぐ
その横を拡幅された県道が巻いて通っているし、すぐ手
前には大きなホテルも建ってしまってあれじゃ身投げす
る方も気が散るだろうからすっかり流行らなくなった。
代わりに、東京から近いということで、今じゃあそこが
名所になっちまった。

 あの森で収容した遺体は事件性がない場合は「行旅死
亡人」として発見場所の自治体が引き取ることになって
る。樹海にくっついてる南都留郡の鳴沢、足和田、西八
代郡の上九一色の三村が火葬した後引き取って保管して
いる遺体はそれぞれ毎年少なくとも十から多い年は二十
を越すんだよ。鳴沢じゃ納骨堂が満杯になっちまって去
年スペースを拡大した。
 足和田じゃ八年前に納骨堂を建てたが今までに六十箱
の骨を預かってる。内の二つは身元がわかったのに遺族
が、こんな奴もう家族じゃねえって引き取らないんだそ
うだ。死んだ奴も浮かばれねえわな。何にしたって地元
には迷惑な話だよ。

 青木ケ原ってのはどこからどこまでという区分がある
訳じゃないが、富士スバルラインの三合目辺りの展望台
から見下ろした北西麓斜面に広がってるおよそ三十五平
方粁ほどの原始林だけど、たしかに眺め下ろしてみると、
なんかこう引きこまれるような気がしないでもない。自
分で死んでしまおうなんて気になった人間でも、やっぱ
り場所を選びたくなるのかね。どうせなら錦ケ浦の断崖
の下の綺麗な水だとか、青木ケ原の真っ青な樹海だとか
さ。
 そうなんだ、あそこにしても、あの樹海が紅葉を過ぎ
た頃にはもう死にに入る人間は少ないそうな。やっぱり
樹海が青々してる時が最適ということらしい。

 あの晩、俺、富士吉田の親戚に用事があって出かけた
ついでに久し振りに月江寺のカッちゃんのバーにいった。
奥のテーブルに三、四人の客が一組、そしてカウンター
には吉田の市会議員の古株の中村のトミさんが一人でい
て、先輩面されていろいろ説教を聞かされてまいった。
適当に相手を立てて聞いていたらいい気になりやがって、
明日ゴルフをつき合えという。