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海虹妃(かいこうひ)
――亡き従兄、鄭圭漢将軍の思い出に
宮本徳蔵
  一

 億代(オクテ)はいつもより入念に化粧した。
 同じ年ごろのふつうの娘と比べると、身を飾ることに
は構わぬほうである。とりわけ、二年まえ母の潘蓮(パ
リヨン)が急の病いで死んでからは、そんな傾きが強い。
その母は、億代が女ながらも読書に熱心になり過ぎるの
を、縁遠くさせる原因のひとつとして、つねづね心配し
ていた。それでいて叱りつけたり、ましてや本を取り上
げたりするためしはなかった。一方ではその賢さが自慢
の種でもあり、同時に、化粧など施さずとも天成の美し
さを備えていることをよく知っていたからである。
 でも、今日はふだんとは違う。――億代はもともと色
白の肌に、不必要なほど厚く白粉を刷いた。当然ながら
長びくと覚悟せねばならぬ戸外での行動のあいだに、み
ぐるしく剥げるのを防ぐためだ。眉は毛抜を使って抜き、
短かめに黛で描きなおした。こうしたほうが目はかえっ
て生き生きとし、魅力を増してくるにちがいない。
 瞳がぱっちりと大きく、つねに臆することなくみひら
かれている。初対面の人など、ついたじろがせるくらい
なのだ。といってもけっして無作法な性ではない。むし
ろあまりに純で、俗世間のことを知らなさ過ぎるところ
から来ている。相手はひとこと二言交わすうちに自分の
勘違いに気づき、それからのちはこの娘がいっそう可憐
しくもいとおしくもなる。期せずして対人関係における、
ある種の武器めいた役割を果たしてきた。
 こう言うと、億代がさも頻繁に他人に会っているよう
に聞こえるだろう。だが実際は父や使用人たちを別にす
れば、かの女の顔をじかに見た者はめったにいなかった。
その点では、他の両班(ヤンバン)の箱入娘とさして変
わってもいない。田舎の屋形の、しかもいちばん奥まっ
た房(パン)(部屋)に閉じこもり、ひねもす陽に当た
らず暮らしている。
 丸く愛くるしい瞳が、ごく稀に黄いろがかった光を帯
びてくることがある。瞼が吊りあがり、横から眺めると
三角形に似て険しい印象を与える。平素の無邪気さとは
まるきり逆なので、見る者はいっそう不吉な感じに捉わ
れてしまう。だが、それとてほんの一瞬にすぎず、瞳は
たちまち穏かさを取り戻し、そうした感想を抱いた当人
が錯覚であったかと、我と我が目を疑わざるを得ない。
 父が漢城(ソウル)を去り、この屋形にひっこんでの
ちは、訪なう客もめったになかった。慶州からさらに十
里も谷間に入った村は、それほど辺鄙なのだ。したがっ
て、娘の瞳のふしぎな特質に気づいた人間といっては、
これまでのところ指を折って数えるにも足りなかった。
 億代じしんはむろん、そんな現象を自覚してはいない。
母がまだ生きていたころは、それでも、伴われて仏まい
りやトゥルノリ(野遊び)に出かける機会が少なくはな
かった。遠出の目的には天地のへだたりがあろうとも、
家を離れられると思えばある種の解放感を抑えられない。
場違いに、浮きうきした気分さえ湧いてくるのが、我な
がら不謹慎に思えた。
 唇に紅を点しおわると、毛里(モリ)の名を呼んだ。
 房の外にずっと控えていたらしい毛里が、うやうやし
い返辞とともに入ってきた。目を真っ赤に泣き腫らして
いる。端近にひざまずき、女主人を仰ぎ見た。億代が笑
みを浮かべているのを認めると、ぎょっとした表情が幼
さの残る顔を過った。
 毛里はモムチョン(身従、侍女)である。齢は十八の
億代より一つ、二つ下だろうが、正確なところは本人も
知らない。はるか南の巨済島の出であるともいうが、人
買いの手で売られてきた。女主人の身の回りの世話を一
切つとめ、いわば手足のような存在となっている。のみ
ならず、いずれ億代が適当な相手を得て嫁ぐさいにも、
一緒に婚家に移る。死におよぶまで己れを空しくして仕
えることを義務づけられている。
「お父さまはもう庭(マダン)に出て、お嬢さまのいら
っしゃるのをお待ち兼ねでございます」
 毛里は巨済訛りのまじる丁寧な言葉で言った。女主人
の奇怪なほほえみに、今日の遠出の先行きに関する凶兆
めいたものを覚えたが、はしたなく口に出したりはしな
い。ただ、語尾のかすかな震えが、少女の内心の動揺を
あらわしていた。
 房を出るとき、振り返ろうとはしなかった。久しく愛
用してきた燭台、鏡台、化粧品箱。壁には櫛入れが掛か
り、白磁の瓶からは切口をのぞかせた果物が薫りを放っ
ている。何もかも、ふだんのままだ。でも、もしかする
と二度とここには戻れぬかもしれない。
 すぐ隣は、釜屋(プオク)(台所)になっている。土
間に漆喰で固めたカマドが五つ、六つも並び、使用人を
含めた大人数の食事をつくる。藁や枯枝がぱちぱちと弾
け、重い鉄の蓋を押しあげんばかりに釜の中身が吹きこ
ぼれるさまに、幼いころから親しんできた。忙しく立ち
働いている饌母(チヤンモ)(炊事婦)の姿は、今はな
かった。七、八人はいる女どもに、父が昨日のうちに暇
を出したからだ。当座食べるに困らぬほどの米と銭は、
めいめいに与えた。とはいえ、近郷に肉親のある者はま
だいい。住み込みの下女などはどこへ行ったのか。
 広びろとした真土の上に出た。数百坪の敷地に、いく
つもの建物が散在している。肘木、飛檐【たるき】が技
巧を凝らして組み合わされ、西に傾きかけた春の陽ざし
に白木の美しさをひけらかしていた。全体がゆるやかな
傾斜地をかたちづくっており、東の丘の頂きに祠堂があ
る。四代前までの先祖の位牌をまつる、儒者にとっては
もっとも大切なところだ。すぐ下に小さな蓮池が横たわ
って、塘が盛りあがり竹が植えられている。楼閣と呼ぶ
には背の低すぎる欄干つきの棟が水の上にせり出してい
るのは、父の詩文を練る場所である。雪を破って梅の蕾
のふくらむころ、月見のころ、夜もすがらここに閉じこ
もって推敲にいそしむ後ろ姿を、戸のあいだからそっと
透見するのが億代は好きだった。
 たくさん持っている靴(シン)のうち、考えぬいた末、
牛革に刺繍をほどこしたかわいいのを選んで穿いてきた。
舟の舳先のように反りかえった尖端が何ともしゃれてい
る上に、歩くにつれてキュッキュッと小鳥の鳴声に似た
音を立てる。
 二、三歩おくれて、毛里が付きしたがう。どうした考
えからか、木履(モギ)を穿いている。先が反りかえり
形こそ似てはいるものの、そもそもが雨天の折りのもの
である。底に太い歯が二本刻み出されているせいで、た
いそう重い。かつてお下がりを与えたこともあるので、
ふつうの布靴も持っているはずだ。若い女主人は訝しく
思ったけれど、あえて理由を尋ねようとはしなかった。
 行廊棟(ヘランチエ)の前を過ぎる。倉庫と、奴婢の
住まいを兼ねた細長い建物で、つい昨日まではおおぜい
の人間の醸しだす生あたたかい気配が辺りに満ちていた。
しんと静まりかえっているのが異様に感じられる。二人
は何かに追い立てられるように、脇目もふらず足を速め
た。
 暖くなったためにもはや煙を吐かぬオンドルの煙突の
角を曲がると、行廊庭(ヘランマダン)だ。屋形のなか
ではとりわけ広い庭で、たまに都から来客のあるときな
ど、その従者や車駕を待たせるほかはめったに使用され
ない。
 でも、今日はすべてが異例ずくめだ。樹一本植わって
いない白じろとした空間に、背の高い男がぽつねんと立
ちつくしている。――父の崔徳祚(チエドクソ)だった。
 こちらを振り向いた。いつになく化粧し盛装した億代
を眺めると、美しさに驚いたらし。わが娘ながら、ちょ
っと眩しいような目つきをした。
「夜来の雨が朝には上がった。天気が良くなって、めで
たいな」
 至極のんびりした口調で言った。周囲の者を無用に緊
張させまいと配慮したというよりも、徳祚が生まれつき
備えている人柄の温かみがおのずと滲み出ているように
思えた。
 儀式張るのが嫌いな父が、十幾年ぶりだろう、鶴【し
ょう】衣(かくしょうい)をまとっている。鶴の羽毛で
織った白地に、黒で縁どりし、胸前には太い黒帯を巻く。
儒者の礼装であるとはいいながら、ずっと衣裳戸棚に納
めたままになっていた。日常の外出であれば、簡便な道
袍を着るだけでいいではないか。頭には黒紗の冠をいた
だいているが、これも普段なら馬の毛で編んだ黒笠で間
に合わせるところだ。
 まだ五十を二つ、三つ超したばかりなのに、鼻下から
顎にかけての鬚は半ば以上も銀いろに変わっている。少
食のせいで胸板は薄く、頬骨は尖り、贅肉を削ぎ落とし
た長身がやはり鶴を連想させる。爪先に黒い飾りのある
白鞋(しろぐつ)が、鱗を持った水鳥の趾にどこやら似
ていることと相俟って、頼りなげな印象を強めた。
『まるで王宮へ参内しようとしていらっしゃるみたいだ
わ』
 と、億代は考えた。むろん、不躾けに口に出したりは
せず、浮かびあがった言葉は胸のうちに封じ込めたが、
その瞬間なぜかゾッとした。