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陸蟹(おかがに)たちの行進
又吉栄喜
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 自治会長は六月十四日の夕方六時、奥浜集落自治会事
務所が入っている、鉄筋コンクリート二階建ての公民館
を出た。門の両側に大きなワシントンヤシがそそりたっ
ている。公民館の屋上から「埋め立てで奥浜集落を活性
化しよう」という書記が作った垂れ幕が下がっている。
自治会長はどうも陳腐なスローガンだと思った。
 奥浜集落は沖縄本島の北部のK村にあり、三方をイタ
ジイやヤシなどの亜熱帯の木が密集した山に囲まれてい
るが、東に広がっている広大な珊瑚礁の原は沖縄でも珍
しかった。砂浜から珊瑚礁の原をつっきり、ふいにすと
んと十数メートルの深さになる珊瑚礁の縁の外洋に出る
までにはエンジン付きのサバニ(小舟)でも数分かかっ
た。県と村はこの、満潮時には一、二メートルの深さに
なるが、干潮時には干上がってしまう珊瑚礁の原に目を
つけた。
 火葬場建設はどこの地域でも激しい反対にあい、最終
的にこの奥浜集落に持ち込まれてきた。村も県も必死に
なっていた。先月のある日、二人のK村役場の担当者だ
と名乗る自治会長の知らない男が自治会長を名護市のリ
ゾートホテルに呼び、一人二万円もするご馳走を出し、
酒を飲ませ、「火葬場を造らせてくれたら、老人ホーム
と診療所も同じ埋立地に造ってやる」という約束もしな
がら、すかし、多少脅した。
 家に送り届けられた後、お土産の和菓子を食べながら、
自治会長は、火葬場がすぐ近くにできたら俺の仕事も容
易になると考えた。なにしろ自治会長の仕事の大半は葬
式の段取りや設営なんだ。今の状態だと曲がりくねった
上り下りの激しい舗装がされていない山道を葬式のたび
に三十何キロも離れた別の村の火葬場に行かなければな
らないのだ。この奥浜集落は人口は少ないが、老人が多
いから葬式もたびたびある。亡くなった人の家族や親戚
はうちひしがれているから、俺がずっとついてまわらな
ければならない……。担当者の話では火葬場の隣に葬祭
場も造るというから、すべてがとどこおりなく行なえる。
葬祭場にはちゃんとクーラーもあり、ボタン一つ押せば
立派な百脚の椅子が出てきたり消えたりするという。真
夏の暑い陽を浴び、また真冬の冷たい海風にあたり、立
ち尽くさなくてもすむようになる。参列者の老人たちが
命をちぢめなくてもいいようになる。俺も亡くなった人
の家に公民館から大きなテントを運んだり、香典返しや
焼香台などの準備もしなくてもすむようになる。また、
葬式というのは身内の女たちの負担も気の毒なほど重た
いもんだ。俺が火葬場建設に賛成すれば、集落中の女た
ちの長年の気苦労がとれるだろう。
 自治会長は夏背広の上着を手に持ち、鈍く光る海石の
石垣に挟まれた路地から奥浜集落一番の大通りに出た。
大通りに沿い、少し傾いたまま立っている電信柱に今朝
まではなかったビラがべたべたと貼られている。数人ず
つ連れだった人々と何度も出会った。彼らは鉢巻きをし
たり、ビラをくばったりはしていなかったが、私たちを
支援してくれといわんばかりに自治会長に頭を深く下げ
た。
 今年三十歳になる自治会長はガジュマルの大木の脇に
ある小さい雑貨店に入り、餡パンを買い、頬張りながら
砂が表面をおおった海岸沿いの細い道を通った。
 自治会長は、土手の蔓状の海浜植物を踏み海岸に降り
た。色とりどりのビラやポスターが浜の岩にもサバニに
も貼り付けられていた。「賛成したら、シャッターが降
りている店も栄える。今がチャンスだ。賛成に諸手を」
とか「村営団地ができたら、子や孫が親やおじい、おば
あの近くに住むようになります。楽しみです」とか「埋
め立ては奥浜集落興しの最後のチャンスです。子や孫に
職場を確保し、豊かな生活を推進しよう」などという、
埋め立てに賛成の立場をとろうと考えている自治会長も
ほとんど知らない県庁や村役場の執行部が画策した賛成
派のビラが目立った。自治会長は反対派のビラを探した。
「埋め立てに使う石は昔、琉球国王の石棺になったもの。
由緒あるもの」というビラを見つけた。朱塗りの棺桶を
国王から贈られたという自分の先祖の誇りにもどこかつ
ながりそうだが、どうも少し神懸かりした人が作ったビ
ラのようだと自治会長は思った。実際に昔、この近くの
石が石棺に使われたかどうか知らないが、自治会長がK
村役場から得た情報では、埋め立てにはこの奥浜集落か
ら二十キロほど離れた隣村の山道を切り開く時に出る土
や石を使うという。
「埋め立てられたら、もうここに座って、海を見る楽し
みはなくなります」と書かれた小さいベニヤ板が立てら
れた岩の上に父の勲が座り、煙草をふかしていた。五十
一歳になるが、緑色のランニングシャツを着け、カウボ
ーイハットをかぶっている。
 勲の傍らに自治会長は座った。勲が煙草を、自治会長
がパンをすすめたが、お互いに首を横にふった。