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新潮◆FORUM

Special 「新潮」レイアウト、HP大幅リニューアル
 ミレニアムを機に、小誌の表紙は藤原新也氏の写真へと大胆に変身したが、この四月号より、本文レイアウトもそれにふさわしく、ほぼ全面的に一新することとなった。狙いは、シャープさと現代性、加えて大胆さと新鮮さ。
 もとより小誌の生命は、掲載する作品の質にある。新しいレイアウトが、今後、掲載予定の作品にも、ふさわしいものと願っている。
 もう一つ、小誌のインターネット上のホームページも、デザイン、内容とも一新した。毎号の目次全部を掲載。紹介するコンテンツも大幅に拡充した。
 従来の「編集長より」や、巻頭作品の冒頭紹介に加えて、シリーズ「21世紀への対話」では、対談者の音声が聞けるようにし、当コーナー「新潮FORUM」を、思い切って全文紹介することとした。
 また、新潮新人賞、三島由紀夫賞といった文学賞に関しても、進行にしたがったきめ細かなフォローをおこなう予定である。
 このほか、随時、コラムや記事の全文公開を可能な限り進めていきたい。
 更に今後は、寄稿者のプロフィールや、近況、著作の紹介、メールによる投稿の受け入れ、作家のホームページへのリンクなども視野に入れ、更なる充実を目指す所存。
 装いを新たにした「新潮」のホームページをぜひ一度訪ねてみて下さい。
(http://www.shincho.net/magazines/shincho/index.html)

Interview 分断国家を見つめる視線
 現代韓国の代表的小説家のひとりである、李浩哲(イ・ホチョル)氏が、小説『南のひと北のひと』(姜尚求訳・小社刊)刊行にあわせ来日した。李氏は一九三二年咸鏡南道(現・北朝鮮)生まれ、朝鮮戦争の争乱期の生活を描いた「脱郷」で文壇デビュー、日本では『韓国短篇小説選』(一九八八・岩波書店)等で作品が翻訳されている。また、民主化運動にかかわり、七四年、八五年に二度の投獄も経験している。来日は五年ぶり。
 作品は、十八歳のときに勃発した朝鮮戦争下で、北朝鮮人民軍に強制動員され「政治・思想教養事業」に従事するが、その後韓国軍の捕虜となって釈放後越南した戦争体験を描いた自伝的連作小説で、既にポーランド語に訳され、近く英、仏、独語版も刊行される。「私らの子どもの頃は、みんな教育勅語を暗記してましたよ」と笑う李氏は流暢な日本語で自作を語った。
「この作品は一九五〇年六月から十月までの、私の体験が背景になってますが、しかし十八歳の自分の経験だけを並べたものじゃなく、描かれる人間像とか人間をみる作家の目に、今の南北関係が示唆される。この点はうぬぼれかもしれないが、自信をもっている」
 朝鮮戦争終結後二十年ほどは、軍政下の韓国で人民軍出身の作家として創作をするには、多くの制約もあったという。本作は八三年頃から執筆を始め、完結までにおよそ十年が費やされた。韓国軍の空襲で燃えくすぶる肉片、人民軍上層部の腐敗、捕虜の身に降りかかる韓国軍憲兵たちの横暴。著者は同胞同士が銃を向け合った過去の悲劇をありのままに描くが、その読み味はどこかおおらかで、明るい。相反するイデオロギーをぶつけあう人間同士の精神の底にも、必ず同じヒューマニスティックな土台があるという信念が全篇に浸透しており、戦時下の精神状況の特異さはむしろ抑制した筆致で描かれる。
 小説の終盤、元人民軍捕虜たちは、夜の冷たい中庭への移動を命じられる。誰もが死を予感し、韓国軍上官との縁故を楯に次々と命乞いをはじめた捕虜たちを傍目に、主人公はふと見上げた星の美しさに心奪われ、決して自分は死なないだろうと思う。同胞は引き金を引かない。処刑は行われなかった。
「一昨年、北に行ってきた。体制に対する嫌悪感が最初ありました。しかし、酒をいっぱい飲んでね、何日か経ったらもう兄貴兄貴って(笑)。五十年の時間はいつのまにか飛び越えていた。私が確信をもつのはイデオロギーじゃなく、文学者、文学が南北に寄与する部分は大いにあるということなんです」
「韓国の民主化は過程にすぎません。私の文学は脱郷から始めて帰郷に至る。帰郷とはつまり統一です。今の南北問題を解くために、統一に参与する朝鮮人としての品格を回復しなければならないのです」

Legend ハイエクの復権
 フリードリッヒ・フォン・ハイエクという経済学者・思想家をご存知だろうか。かつて、ケインズにその理論を「私が今まで読んだ中で、最も恐ろしい支離滅裂な理論の一つ」と貶され、マルクス主義者たちからは、「荒野の予言者」とか、「荘厳な恐竜」と揶揄され、一九七四年にノーベル経済学賞を受賞した際には、「まだ生きていたのか」と驚かれた、“長く忘れられた”経済学者である。
 ハイエクは、一八九九年、オーストリア=ハンガリー帝国(当時)の首都ウィーンに生まれた。哲学者ヴィトゲンシュタインは従兄にあたる。ハイエクは、「市場こそ、常に商品やサービスを発展させる最も有効な方法である」「自由な競争を創出できるところでは、その競争を信頼すべきである」という信念を持ちつづけた。経済を統制しようという試みは、ファシズム国家に於いても、社会主義国家においても失敗に終わるという「予言」の正しさは、その後の歴史が証明する事となる。ハイエクは、一九九二年に亡くなるが、一九八九年のベルリンの壁崩壊に際しては、テレビ中継を見ながら、息子に「言った通りだろ」と優しく微笑みながら語りかけたという。
 このハイエクが、目下、経済的繁栄を謳歌しているように見えるアメリカで再評価され、復権を果たしている。「THE NEW YORKER」(二月七日号)は、「価格の予言者」と銘打った八頁にわたる特集を組んでいる。暴騰を続ける株式市場の説明にハイエク理論を援用しようというのである。シカゴ大学出版局も現在、全22巻に及ぶハイエク著作集を準備中である。何やら御都合主義のようにも見えるが、我が国でも、新装版「ハイエク全集」が既に一九九七年より刊行(春秋社)されている。こと経済に関しては、日本は世界の流行に敏感という事か。

Multimedia ネット時代と文字表現
 二月二十二日、東京北青山テピアホールで、日本文藝家協会主催の「活字のたそがれか? ネットワーク時代の言論と公共性」と題するシンポジウムが開催された。
 会場は全国から集まった会員を始め、情報産業、マスコミなどからも多くの人が集まり満員の盛況。ネットワーク時代における知的所有権のあり方についての世代を越えた高い関心ぶりがうかがえた。パネリストには、現役の小説家や図書館員、弁護士、書店経営者らが顔を揃えた。報告では、情報伝達の過程で自ずと各端末に著作物の複製を残してしまうネットワークの特性に見合う、新たな著作権解釈や法整備の必要性が語られたり、また、極端な少部数にも対応できるオンデマンド出版の広がりが、初版の著作権使用料に大きく依存してきた著作者の経済生活を逼迫させかねず、出版社はこれまで以上に著者保護の姿勢を明確に打ち出す必要があるのではないか、などさまざまな課題が提起された。
 今後、データベースの構築や従来の印刷著作物の電子出版化といった、著作物の二次使用の機会がますます増えていくなかで、著者と出版社の間の契約関係が「口約束」でなされてきたこれまでの慣行を改め、ネット時代に見合う正式な契約書を結ぶ必要があるという提言もなされた。
 既に、一昨年同協会と新聞四社とのあいだでは、電子メディアへの著作物の二次使用について、「一定の書式に基づき著作者から許諾を取る」、「転載に当たっての対価の支払い方は、二〇〇〇年以降については再度協議する」など、基本合意はなされている。しかし、一概に著作物の所有権といっても、文字、図版、組版レイアウト、装丁を含むアートディレクションなどその所在は多岐にわたっており、現実には依然解決されねばならない多くの問題を含んでいる。
 問題の性質がひとり言論人だけに特定されるものでない以上、ネット上での言論のルールが確立されるためには、一方で今回のような地道な話し合いを積み重ねていきながらも、広い視野からのコンセンサス作りが必要だ。シンポジウムの冒頭で司会役の島田雅彦氏が語った「ネットワークの進歩が出版界に重大な変革を迫るのは間違いない。著作権を含めたこれまでの仕組みが一旦見直される必要もあるだろう。しかし、テーマの『たそがれか』のあとの『?』を見逃さないで欲しい。ともあれ私自身はこの不安を楽しみたいと思う」という言葉が印象に残った。

Millennium 三十六年ぶりの復活、塔晶夫「虚無への供物」
「私は、さしあたって乙女座のM87星雲――反宇宙が存在するというそのあたりへ旅立って、おずおずとこの本を差し出すほかはない。これは、いわば反地球での反人間のための物語だからである。」――
 閏年の一九六四年二月二十九日。こんな後書きの付いた本が刊行された。著者、塔晶夫。タイトル、「虚無への供物」。この作品は、元々、一九六二年の江戸川乱歩賞(第八回、この年は、戸川昌子「大いなる幻影」と佐賀潜「華やかな死体」が受賞)の候補作だったが、なんと未完のまま提出されたという。結局は落選したが、この作品を担当者が、「余りに惜しい」と出版したというのが事の経緯である。
 塔晶夫の本名は、中井英夫。短歌雑誌の編集者として寺山修司、塚本邦雄、中城ふみ子といった多くの新人を見出し、その後、「悪夢の骨牌」(鏡花賞)「黒鳥譚」「黒鳥の囁き」などの短編集や、日記四部作などで、確固とした独自の世界を築いた、異色の作家である事は周知の通り。中井英夫は、一九九三年十二月に急逝、享年71歳だった。
 さて、この塔晶夫「虚無への供物」が、今世紀最後の閏年である今年、それも二月二十九日の奥付けで、三十六年ぶりに復活した。刊行したのは、中井英夫全集(文庫版)を出している東京創元社。建石修志の装丁で、豪奢な一冊に仕上がっている。それに、この本を担当したのが、同社の戸川安宣社長自身というのも異色である。
「中井氏とは20年来の知り合いでした。作品自体は過去に中井英夫名義で出てはいるのですが、塔晶夫名義では三十六年ぶりです。二十世紀最後の閏年に、推理小説という事ではなく、二十世紀文学の傑作として紹介したいと思ったのです」(戸川社長)
 推理小説が溢れかえる今、今一度、「反推理小説の傑作」の「毒」を味わってみてはどうだろうか。

Welcome オンダーチェ初来日
 1943年にスリランカで生まれ、52年にイギリスに渡り、62年からはカナダに移住して、詩、小説の両分野で活躍、92年のブッカー賞を始め、カナダ総督文学賞など世界各地のさまざまな文学賞を受賞している作家、マイケル・オンダーチェが国際交流基金の招聘で初来日する。氏の両親はともにオランダ人、タミル人、シンハラ人の混血で、書き言葉はシンハラ語、話し言葉はタミル語で育ったが、現在は英語で作品を書いており、『ビリー・ザ・キッド全仕事』、『イギリス人の患者』、『バディ・ボールデンを覚えているか』などの邦訳がある。カナダ大使館は、3月16日午後6時半から8時、東京青山のカナダ大使館シアターにて「朗読とお話の夕べ」を催すが、この夕べに「新潮」の読者を招待してくれる。希望者は左記へ、氏名、電話番号、ファクス番号、同伴希望者の氏名、「新潮」の読者である旨を明記の上、3月10日までにファクスでお申し込み下さい。
 カナダ大使館広報文化部「オンダーチェ係」
 ファクス:03-5412-6249

New Book 「武満徹著作集」刊行開始
 武満徹が亡くなってはや四年。没後一年間だけでも全世界で一千回を超える武満作品の演奏会が行われたと聞くが、CDもコンスタントにリリースされており、人気のほどがうかがえる。最近では、武満作品のみを集めたCDだけでなく、他の古典的な作曲家のものとカップリングされることも多くなったのが目を引く。例えば、アバド=ベルリン・フィルをバックにした、ザビーネ・マイヤーの一枚。この中にはモーツァルトの「クラリネット協奏曲」、ドビッシーの「クラリネットと管弦楽のための第一狂詩曲」と共に、武満の「ファンタズマ/カントス」が収録されている。つまり、“タケミツ”は古典としての地位を完全に確立しているということであろう。
 さて、小社で二月から刊行を開始した「武満徹著作集」(全五巻)について一言。武満自身、音楽家がなぜ文章を書くのかという問題について、「私を音楽に向かわせ駆りたてる感動を、内的力として把えなおすために、言葉の杖によって思索の歩をすすめる」と言っている。武満にとって文章は、音楽と不可分のものであり、音楽創造の核心に関わるものであったということだ。
 ストラヴィンスキー、ケージ、シュトックハウゼン等も多くの文章を残しているが、武満ほどには多くない。これだけの規模の著作集は世界でも珍しい。かつて大江健三郎氏は武満に次のようなオマージュを捧げた。「武満徹の文章を、およそ同時代の芸術家によって書かれた、最上の文章のひとつとする」。詩的で自在無碍、深い洞察にあふれた武満の文章を味わう絶好の機会といえよう。(著作集のカタログは弊社読者係にご請求ください)