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蛇 行
唐 十郎

 ベニヤの十字架が風にしなった。
 百人町の中ほどにあるプレハブ二階の教会は、昼飯前
には、壁も扉も微かに震える。二階の窓に、電気洗濯機
が置かれているのが見え、賛美歌の中で、その錆びた洗
濯機は蠕動していた。
 小窓の真上に屋根を越える十字架が取りつけられ、そ
れはオレンジ色のペンキに光って、空に突きでる。十字
架を赤に塗らなかったのは、赤十字社と見られることを
避けるためか、日輪をなぞるためかは分からない。
 洗濯機が震えると、十字架を止めた鋲も甘くなって、
揺れながら、逆時計回りに傾く。
 それを見上げていると、おれの首も左にかしいだ。
「ホザナ、ホザナ、ホザナ高らかに
 主よ、あなたの、御名崇めます
 賛美に満たされて、ホザナ高らかに」
 五、六人の控えめな合唱が、堂内からホザイて響く。
 敬虔なオルガンの音に後ずさり、おれは路地を曲がっ
て肛門科で有名な病院の方へ向かった。お前は、この世
の尻の穴、尻めど辺りでホッとする。社会保険中央総合
病院の前まで、ホザイて来ると、病室の窓に一人の看護
婦が立ち、窓ガラスを鏡代わりにして、口紅を塗ってい
た。唇を閉じ合わせて、紅をなじませるために頬ふくら
ませ、唇つきだす。
 見上げているこちらの目に気がつくと、一気にカーテ
ン引いていた。漏斗状の尻めどが、カーテンの開いた二
階や三階の窓ガラスにかたつむりのように這っていはし
ないだろうか。
 おれは首を伸ばして、炎天下の病窓を見回しつづけた。
 肛門はホザかない。
 おれはまた世界神睦教会の前に戻ると、震える十字架
に向かってうなだれる。開いた扉の前は、軽トラ一台と
められそうな空地があって、片側には、缶ジュースのボ
ックスとコインロッカー、その反対側には、こうもり傘
が転がって、ホームレスが集めた古雑誌が積んである。
 貧しくも悩める者に、いつも門戸を開く教会なのであ
ろうが、三十もの鍵があるコインロッカーが、そこに設
置されてある理由は解けない。
 扉の横にある、立て看板には、夏の日曜日にふさわし
い牧師の題目が、墨字で踊る。英語は横に、その訳は従
字となって、力んで撥ねた。
「And Jesus came to them and said.
  All authority has been given to me in heaven
and on earth.
 神は、ここに来てそう言われますぞ。
 天上においても、この地においても
 いっさいの権威は、私に授けられたと」
 十字架は揺れる。
 その根元で蠕動する電気洗濯機の回転力は、なにもか
も、謳い込めた権威の腕力であった。
 踊る文字の居丈高さと、安っぽい十字架は、どこから
みてもつり合わない。が、二度もその前に立つと、重苦
しくなってきて、ジュースを詰めた自販機の横にある公
衆電話にとびついた。