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新潮◆FORUM

Special 97歳、元小誌顧問・河盛好蔵氏逝く
 3月27日、河盛好蔵氏が死去した。享年97歳。小誌新年号のアンケート〈20世紀の一冊〉で、堀口大学の訳詩集「月下の一群」を挙げ、その出会いに今世紀の到来をまざまざと感じたこと、そして文学の基本は詩にあることを、衰えを知らぬ若々しい情熱をこめて寄稿されたのがついこのあいだ、脳梗塞を克服し、95歳で母校京都大学の博士号を得、小誌連載「藤村のパリ」では読売文学賞を受賞するなど、生涯現役をとおした文壇最長老筆者の大往生であった。
 氏の烈々たる文学への気迫を偲んで、次号は安岡章太郎・清岡卓行両氏の対談、庄野潤三氏ほかのエッセイによる追悼特集を組む予定だが、氏が戦後まもない時期、復刊したばかりの小誌の顧問として、縦横の活躍をされたことは、今も語り草となっている。当時の目次からその一端を紹介すると、三好達治「なつかしい日本」、坂口安吾「堕落論」、林達夫「反語的精神」、アラン「芸術百一話」等々、それまでの文壇雑誌の殻を脱して、広く知識人一般にアピールする編集内容になっていることが、特に注目される。小誌と他の文芸誌との顕著な相違が、そこにあることは今も変らない。いつもまっさきに「新潮」に目を通し、お訪ねするたび、われわれを叱咤激励してくださった大先輩に、厚い感謝を捧げたい。

A Noh Dance 瀬戸内寂聴作新作能「夢浮橋」
 去る3月3、4日、千駄ヶ谷の国立能楽堂にて、瀬戸内寂聴作の新作能「夢浮橋」が上演された。小誌の1999年10月号に掲載された短篇「髪」をもとに台本を作成し、梅若六郎・山本東次郎の両氏が演出した舞台である。装束のデザインは植田いつ子、ポスターは横尾忠則作。梅原猛氏が「これほど鮮烈なエロスの匂いを発する小説を読んだことはない」と評する名短篇を、能としてどう再構築するか。斬新な発想による企画に、ファンの期待は否応もなく高まった。
「夢浮橋」という題名は『源氏物語』の最後の巻に由来する。「髪」は、薫中将と匂宮の二人に身を許したことに悩み、宇治川の川辺で身投げした浮舟を助けた横川の僧都と、その弟子の阿闍梨の物語である。阿闍梨は出家する浮舟の剃髪を務めた者であり、源氏ではほんの端役だが、そこは作家の想像力の逞しさ。初めて手を触れ、美しい黒髪を切った女人である浮舟への恋着により、破戒僧となる男の人生を創造した。たった一人の女人に対する想いを貫くために、僧侶としての前途を捨てたという物語にない挿話を艶やかに仕立てる手腕は瀬戸内さんならではであり、その小説を「往復ハガキくらいの短さ」に凝縮して台本が成立した。
「現代的な生々しいリアルな表現ではなく、能本来の象徴的表現によって、官能の表現は可能か」(山本東次郎)という意欲的な演出であったが、満員の観衆は演者の所作の清冽なエロスに酔いしれた。中でも、阿闍梨が浮舟と匂宮の逢瀬を想像する場面で、浮舟の上衣を匂宮が脱がして上半身白装束となる刹那の度肝を抜かれる色っぽさ。瀬戸内さんに、「あれはお能の世界では裸になったことなんです」と教えられ、得心がいった次第である。また、阿闍梨の内面を問わず語りに映し出す見事な声明は20年前に瀬戸内さんが出家した際、一緒に修行した仲である僧侶・天納久和氏。豪奢かつモダンな新作能の味わいに酔いしれた一夜だった。

Lecture 車谷長吉氏の文学講演
 明治25年、30歳の鴎外は東京駒込千駄木団子坂上に引越し、永住の居を構えた。二階からは東京湾の潮路も眺められたところから「観潮楼」と名付けたが、その跡地が文京区立鴎外記念図書館。館内の記念室には、有名な遺言書「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」を始め、原稿、書簡、日記等が展示されている。この鴎外ゆかりの図書館を会場に、去る3月18日(土)、ご近所のよしみで、車谷長吉氏が文学講演を行った。定員百名とのことなので、開演の一時間前に駆けつけたものの、既に整理券はさばけてしまい、しかたなく30名を越す立見客のあいだに混って聴講した。
 前座をつとめたのは、夫人で詩人の高橋順子氏(本誌に「富小路禎子」を連載中)。自作詩集朗読は、「貧乏好きの男と結婚してしまった/わたしも貧乏が似合う女なのだろう……」(貧乏な椅子)、「連れ合いは小説という嘘を書くだけではなくて、つく男である。言ってみれば職業病の一種なのであろう……」(かのような)の二篇。「本日の試みが成功するなら、今後夫婦で地方巡業に出ます」と笑わせたあと、やおら登壇した車谷氏の演題は「読むことと書くこと」。数年前、新潮新人賞の下読みをした際に、9割が小説になっていなかった経験を踏まえ、ではどうすれば文学になるかを、次の例文を示して説明した。
「私たちは郊外のレストランへ行って、牛肉のステーキを食べた」は、ただの作文。傍点部分を「虎の肉」としたときに、はじめて文学になる。そのわけは日常ありふれたこと(実点)の中に非日常・反世間的なこと(虚点)を導入するところから、文学が始まるからで、その機微を承知してこそ、読解が深まるし、読むことから書くことへの転回も可能になると力説して、私小説作家といえども、事実ありのままを書いているわけではないことを、自ら証明する結果になった。
 また、何を書くかについては、生涯煩悩をかかえて四苦八苦する人間の業が小説の主題であるとして、その四と八が何であるかを詳しく、具体的に解説した。このあたり、坊主頭でだみ声の氏の熱演は、本物の坊さんはだし。とはいえ、悟達からはほど遠く、信心の道には入れそうもないので小説を書いていると弁じたのは、氏の正直な告白であったろう。

Poet 安藤元雄氏の多彩な活動
 昨秋、第7回萩原朔太郎賞を受賞した安藤元雄氏の展覧会が、「『秋の鎮魂』から『めぐりの歌』まで」と題して、前橋文学館で開催されている。詩人としてはもとより、『悪の華』やシュペルヴィエルなどのフランス文学の翻訳者としても高名である氏の多彩な活動を網羅し、見ごたえのある展示となった。
 安藤氏の名を最初に高からしめたのは、東京大学時代に日比谷高校の同級生の故江藤淳氏や多田富雄氏らと発行した同人誌「Purete´」「位置」であろう。第1号に江藤氏の「マンスフィールド覚書」が掲載されたが、その仕掛人は安藤氏である。展示された貴重な雑誌群や写真からは、ういういしい青春の香気が立ち上ってきた。
 寡作と自らいいながら、着実に世に問われた7冊の詩集。信濃追分に住む福永武彦らとの交際。時事通信社の記者としてのパリ滞在。数多い翻訳書。変わったところでは、オペラの訳詩。そして、異彩を放つのは、住民運動関係の著書である。安藤氏は、藤沢市の辻堂地区の区画整理に反対する「辻堂南部の環境を守る会」の会長をつとめ、精力的な活動によって自治体の計画を白紙撤回させた手腕の持ち主なのだ。
 清水徹氏は安藤氏について「言葉への繊細な感性、多くの読書の積み重ねられた教養、さまざまな政治的行動から受けとめた世間と人間とに対する知恵、そして大切なことに対してはあくまで緊張をつらぬこうという姿勢」と評している。文学と実社会の微妙な均衡の上に立つ暮らしぶりは、これまでの「詩人」という固定観念を静かに揺るがせた。
「僕の過去が全部持ってかれちゃってね。さびしいですよ」と安藤氏は語るが、現代に生きる詩人の姿がまるごとパックされたこの展覧会は、一見の価値がある。
(5月14日まで開催)

New Book シェイマス・ヒーニー訳「ベーオウルフ」
 北アイルランドのカトリック農民出身で詩人のシェイマス・ヒーニーがノーベル文学賞を受賞したのは1995年のこと。苛酷な政治宗教戦争に翻弄される現代北アイルランドの悲劇を、古代の神話的イメージに映し出す詩作の数々は、日本でも紹介が進んでいる。
 そのヒーニーが、7世紀から10世紀にかけて成立したとみられる古代ゲルマン文学の最大傑作といわれる英雄譚「ベーオウルフ」を翻訳、話題になっている。
 食人鬼・グレンディルが夜な夜な宮廷を襲い、人々を殺戮する。王の甥、ベーオウルフは救援に駆けつけ、素手で食人鬼と戦い、相手の片腕をもぎ取ってしまう。復讐に出る妖怪の母。グレンディルの首を切り落とすベーオウルフ……。
 竜との間で繰り広げられる壮絶な死闘。ついには、ベーオウルフは竜の毒にあたり命を落とすことになる。
 3182行の詩句(大きく2部に分かれる)からなるこの英雄譚の作者は不明で、頭韻詩の形式で書かれている。
 この力強く、陰惨で血なまぐさい作品に挑戦したヒーニーは、自らの詩才を十分に駆使した躍動感溢れる翻訳を成し遂げた。批評も「この翻訳によって、古代の島の文学が、世界文学にまで高められた」といった好意的なものが多い。しかし、翻訳作業はかなりの難行だったようで、「まるで、有史以前の巨石をおもちゃのハンマーで砕こうとしているようだった」とヒーニーは振り返って感慨を述べている。(Farrar Straus & Giroux 208頁)

Retrospective 井上靖展開催
 東京・世田谷の世田谷文学館では、4月29日(土・祝)から6月11日(日)の間、開館5周年記念「井上靖展」を開催する。平成3年に83歳で生涯を閉じた小説家の足跡が、原稿、書簡、取材メモ等充実した資料群、総数約四百点から再構成される。
 展示の軸となるのはシルクロードと靖とのつながりの深さを示す品の数々。「天平の甍」「蒼き狼」「おろしや国酔夢譚」「孔子」など壮大なスケールで描かれた作品の熱気を湛える生原稿の展示をはじめ、創作の背景にある膨大な取材ノート、取材先で本人が撮影した写真を紹介するほか、西トルキスタン、敦煌などの取材をつぶさにまとめたシルクロード《旅日記》などが初めて一般公開される。
 とくに今回注目されるのは新発見資料の多さである。無名時代に「冬木荒之介」「城島靖」などの筆名で投稿した習作20数篇のうち、探偵小説「謎の女」(昭和6年)「夜靄」(昭和7年)など、入選作として雑誌掲載された一部を除き、ほとんどが未発表作品であり、ジャンルを横断した多彩な語りの才能の萌芽が確認されるという。
 また、既に新聞紙上などでも紹介されているが、こちらも初公開となる、毎日新聞記者時代の元同僚に宛てた書簡12通では、昭和25年の芥川賞受賞前後、記者職と小説執筆の両立で苦悩する心中を「茨木の小宅に帰るのは九時頃、それからパンをかじり、三時頃まで仕事です」「来年中にはどうしても新聞記者の足を洗いたいと念願しています」と率直に綴って興味深い。昭和32年に転居後、終生を過ごした世田谷の地で行われる本格的な回顧展。この国民的小説家の素顔に改めて触れる絶好の機会といえよう。
 会期中は、曾根博義、椎名誠両氏の記念講演会も催される。入場料は一般五百円、高校・大学生三百円、小・中学生二百円。お問い合わせは世田谷文学館(電話03-5374-9111)まで。

Theatre ホフマンの「黄金の壺」が「尿瓶」に変わり
 本号に370枚の野心長編「蛇行」を発表している唐十郎氏。そのエネルギッシュな創造力は、一読して頂ければお分かり頂けると思うが、早速、この4月から、「唐組」の新作演劇に取り組むことになった。
「マヌカンの手に触れる時、君は訪ねる人形の都へ」と副題のついた今回の劇のタイトルは「夜壺」。「ホフマンの「黄金の壺」を思い浮かべながら書いた戯曲です。ホフマンが書いた壺は、実は、壺は壺でも夜壺のことで、夜壺とはドイツ語で尿瓶のことです。本来、この題名にすべきだったのです」(唐氏)
 倒産寸前のマヌカン工場の女子工員・織江は、清掃車に飲み込まれそうになっていたマヌカンの手を救い出してくれた清掃局員・有霧にガラスの尿瓶を贈る。尿瓶から漏れた小便の染みがもたらすもう一人の物語。織江が心を寄せる二体の人形「ヴェロニカ」と「ゼルペンティーナ」……人形と人間の交感、繰り広げられる幻影と現実の暗闘。
 今回、唐氏が演じるのは「ホストクラブ〈ヒアシンス〉のパトロン夫人」。前回の公演「秘密の花園」で、久々の舞台復帰となった大久保鷹が、今回は前回とは違い重要な役として登場する。
 幕開きは、4月21日。大阪の廃校になった小学校(精華小学校)の校庭が舞台になる。「淋しい廃校のがらんとした校庭。倒産したマヌカン工場にはぴったりの場所でしょう」と唐氏。唐的世界の新展開が期待できる。
(東京公演は4月29日花園神社他。問い合わせ先 唐組03-3301-7826)