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発言 森が壊れていく
立松和平

 春になると、私は毎年足尾の山に植林をしにいく。古い仲間が母体になり、広く人々に植樹への参加を呼びかけている。足尾銅山精煉所の近くの山には、表土はまったくといってない。銅鉱石採掘の坑道の支柱をとるためと、精煉の燃料の木炭をつくるために森林を伐採し、そこに精煉所の煙突からでる煙が幼木まで枯死させた。さらに近くの村の野焼きの火が燃えひろがり、森はほぼ全滅した。
 雨が降るたび表土が流失した。その表土には、精煉所の煙として排出される亜硫酸などが染みている。また重金属を含んだ精煉かすのカラミなどもいっしょに運んで、渡良瀬川が下流一帯に鉱毒をまき散らし、田んぼや畑を作物のできない汚染された荒野と変えた。世にいう足尾鉱毒事件だ。「恩寵の谷」「毒―風聞田中正造」などの私の作品の舞台となったところである。
 土もないところに木を植えるとはどういうことであろうか。もちろん土がなければ木は生きられないので、植木の時には一握りでもいいから土を持ってきてもらう。苗木も、シャベルも唐クワも、雨具も弁当も持参できてもらって、その上に事務経費として千円いただきますという呼びかけである。もちろん主催者としても可能なかぎり準備はするのではあるが、そんな虫のいい呼びかけにもかかわらず、毎年五百人もの人がきてくれる。
 選んだのは天然林をイメージした多種多様の木で、専門家にアドバイスを受けつつ自分の木をそれぞれに植えるのだ。その木とは、ミズナラ、ブナ、ウダイカンバ、コナラ、サルスベリ、グミ、ヤマハンノキ、ヒメヤシャブシ、ケヤキ、レンゲツツジ、サクラ、サンショ、タラノメ等々である。鹿が多いのでネットを張って防御をしなければならないのだが、五年目になると禿山にわずかに緑が甦ってくるから嬉しい。
 足尾銅山は九州の八幡製鉄所とならんで、日本近代の牽引車であった。日露戦争の銃砲の弾は、多く足尾の銅が使われた。華々しく走り抜けた近代日本の百年とは、裏側から見ればどれほど山河を荒廃させたのか、足尾にきてみるとよくわかる。一握りの土もなくなるまで山林を破壊された足尾の谷の風景が、尊厳さえ感じさせて私に迫ってくるのだ。
 昨年の植林の日は土砂降りの雨で、かつては国鉄足尾線で今は第三セクターのわたらせ渓谷鉄道と呼ばれるジーゼル車は運行が停止になった。車でくるにしても途中道路が寸断されていないか、また植林中に鉄砲水がでないか、不安なことであった。それでも三百五十人もの人が集まり、手元も見えないほどの激しい雨の中を黙々と植林した。この山に木を植えたからといって、個人的に今すぐ何を得るというわけでもない。こうして集まってくる人に向かって、私は頭を下げたい思いであった。
 その日は作業が終ってから雨が上がり、私は谷の反対側にまわって植林したばかりのところを眺めた。鹿よけのネットで囲った場所は、大きな谷の中でまるで絆創膏を貼ったような感じだった。この谷全体を樹木で覆うには、たとえすべて順調に育ったところで、千年はかかりそうである。人が少々手を貸すことはできるが、結局のところ途中からは自然の治癒力を頼みにするしかないであろう。人は森を破壊させることはできる。だが本当に回復させることはできない。足尾の山々がしたたるほどの緑になるのは、まだまだ夢の中でしかない。
 足尾の植林のために、ケヤキの苗を大量に寄附してくれる友人がいる。ケヤキの実をたくさんとるためには、幹を鉈で少し傷つければいいということだ。ケヤキに生命の危険を知らせると、ケヤキは生命体としての自己を改めて認識する。生命体にとって生きる最大の目的というのは、自分の遺伝子を子供たちにつないでいくことである。自己の死の危険が知らされると、遺伝子を将来にきちんとつないでいるかという心配を持つ。生命体としての自己を再点検し、子孫を増やすために実をたくさんつけるということである。柿や栗の実をたくさんならせるため、幹を激しく打つという習俗が昔からあるが、これは理論にかなっている。
 ケヤキの実は、一度冷凍庫にいれて生命の危険を味わわせてから土にまくと、発芽率がよい。冷凍庫がなければ、木槌でたたいてやる。するとびっくりして目を覚まして、芽をだすということだ。
 山の木というのは、もちろん生命体である。私たち人間にも生きるにふさわしい環境があると同様、木には適地がある。天然材はおおむね適地適木でできている。たとえば日本の固有種である杉は、日当たりのあまりよくない水の多いところに生える。千年を超える屋久杉が生い繁る屋久島は、樹木が鬱蒼として日当たりが悪く、一か月に雨が三十五日降るといわれるほど水が豊かだ。適地適木にかなっているからこそ一説に樹齢七千二百年といわれる縄文杉が育つ。しかし、縄文杉のまわりの木は伐られてしまった。孤立した縄文杉は根まわりの土が流失する危険性さえあり、適地適木にもかなわなくなってしまった。悲しいことである。
 ことに戦後人工林に変わり、杉ばかりが植えられた森がどこにいっても目につく。もちろん適地適木など無視され、日当たりのよい乾いた山のてっぺんまでも植えられてきた。その上、木材不況となり、森の世話をする人たちの住む中山間地は過疎になった。外国から輸入してきた木材のほうが安いのである。そのため間伐もされなくなった。天然林は人が手をださなくても勝手に育っていくが、それを伐り払って多様性を喪失させ、杉や檜など一種だけを植えてきた人工林は、永遠に人の手をかけてやらなければならない。
 弱い苗はお互いに支えあって伸びる。ある程度育つと、今度は窮屈になってお互いが邪魔になる。そこで間伐をしなければならないのだが、経済万能の社会では経済価値を産まない森には手はかけられない。最近山にいってよく見かけるのは、間伐もされない息苦しい山だ。たとえ間伐がされても、切りっぱなしで丸太は放置してある。くしゃくしゃの髪の毛のような不潔さなのだ。あと十年間伐がされなかったら、日本の人工林はなんの富も産み出さない荒地になるであろう。
 杉自身も苦しんでいる。弱ってきて、生命の危機を感じている。そうすると、生命体が生きる目的としていた、自分の遺伝子を将来に確かにつないでいるかということが気になってくる。そのために子を残そうとして生殖行為をさかんにし、花粉をたくさんばらまくのである。
 日本の春、花粉症の人には惨憺たる季節であろう。森の木の悲しみと苦しみとが、人間に災いをおよぼしているのだと、私には思えてならない。