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寺山修司・遊戯の人
杉山正樹

 プロローグ

 第1信〈春一番の日〉

 電話であなたの声を聴いて、返事の手紙を書くことに
しました。これは私にとって、はじめての経験です。
 さっき電話でもいったように、私は寺山修司と三度か
かわりを持っています。最初はかれが「短歌研究」の〈
五十首詠〉に入選し、『チェホフ祭』で歌壇にデビュー
する十八歳のとき。つぎは〈演劇実験室・天井棧敷〉旗
揚げのころ、文藝雑誌の編集者だった私はその立ち上げ
を見せてもらい、そして三度めは、未完に終わったかれ
のドキュメント『路地』と不運なあの覗き事件に、新聞
社にいた私が関係していたのでした。
 いわば私はかれの人生の曲がり角に立ち会うめぐり合
わせになったわけで、だから、そのことだけでも書いて
おく義務があるはずだと執筆をすすめられ、口約束して
からもう十年近くになりますが、さっぱり手がつかぬま
ま現在にいたっています。
 たしかに私は、かれの生涯とその作品についてあらか
た知っています。自作の俳句を作り換えて短歌にしたり
(いや、他人の句もまじっていた)、歌を詩に、詩をラ
ジオ・ドラマに再構成しながら、演劇や映画へとジャン
ルを越境して行った過程も見ているし、あらゆる既成の
表現を引用して変幻自在に転化する、テラヤマ独特のメ
ソッドについても心得ているつもりです。だからこそ私
は、「寺山と私」とか「寺山修司の思い出」とかいう式
の文章だけは書く気になれなかったんですね。そんな単
純な方法では、到底かれの肖像を描くことができないか
らです。
 そうでなくてもかれ自身、自伝や回想記、履歴書にい
たるまで何度も自分の手で過去を書き直しています(な
にしろ、現実に起こらなかったことも歴史のうち、過去
はいくらでも修整できる、という思想の持ち主ですか
ら)。だから、書かれた事実が実際にあったかどうか調
査して突きとめても、あるいは、かれの生涯にかかわり
あった人たちに話を聞いたり、手紙やノートのようなか
れの私的資料とか学籍簿や身上書といった公的記録をた
どったりして、どんなに綿密に事実のディテールを積み
かさねてみても(もちろん、それらが評伝の基本になる
わけですが)、それだけではまだ、かれの全体像をとら
えるのに不十分なのです。事実を事実としてありのまま
に書いても、かれの実像は描けない。だいいち、かれの
実際の生年月日は戸籍とはちがっているし、死んだ時で
さえ死亡診断書の日時とは異なるといってもいい。誕生
日だけではなく命日まで(つまりその生も死も)現実の
公的な記録と微妙にくいちがう人物を、寡聞にして私は
他に知らないのです。
 だからといって逆に作品だけを切り離して論ずるには、
私生活的な要素があまりにも強すぎる。例の母と子の濃
密な絆という、かれが終生にわたって繰りかえし展開す
る主題ひとつを考えても、あなたならきっと了解してく
れるでしょう。かれの作品には、かれだけが味わったに
違いないきわめて個人的な体験が、どこかに投影され、
刻印されているのです。しかも、きまって、事実あるい
は現実そのままとは異なるかたちで引用されている。こ
れを要するに、かれの全体像をつかまえるためには、わ
れわれが接しているこの目の前の現実という局面だけで
なく、かれの夢あるいは想像力の領域にまで手を伸ばさ
なければならず、こちらにもそれなりの用意や仕組みが
必要になってくるわけですね。
 だから、これまでいろいろな雑誌や週刊誌から質問さ
れたり証言を求められたりしても、私は応答しないで来
ました。べつに勿体ぶってではなく、的確にうまく答え
られないからなのです。ましてや、修士論文のためにか
れのことを教えてほしい、などという貴信に応じるはず
もなかった。その上、だしぬけの押しかけ電話なんて言
語道断じゃないか。にもかかわらず、どうして返事を書
こうと決心したのか。ほかでもない、電話のなかのあな
たの言葉遣いが中学生のころまで私が住んでいた土地の
街ことばだったからで、話している最中に突然、
「いやぁ、花が散ってるぅ……」
 という短い叫び声に胸を衝かれて、不意に昔が今にな
った(あるいは今が昔になっていた)。電話を切ったあ
とも私は、しばらく茫然として胸の動悸を抑えていまし
た。テレビの画面から響いてくる関西弁とはまるでちが
う、はんなりおっとりした難波ことば。ちょうどそのと
き私も、突風に吹かれて点々と庭土に撒き散らされる紅
梅の花びらを窓越しに見ていたので、ひどく切羽つまっ
た懐しさの感情の虜になってしまい、どのくらい息をつ
めて佇んでいたでしょうか。やがて、深海の底から浮上
した潜水夫みたいに、ふうっと大きくひと呼吸できて、
そうだ、この機会にこのひとに答えるかたちで、ひとつ
寺山修司の肖像――その夢と現実を書いてみようか、と
思い立ったのです。
 はたしてあなたの修士論文のお役に立つかどうか、そ
れは保証の限りではないけれども、私なりの寺山像をお
伝えすることにしましょう。あくまで個の内部に退行せ
ず、そうではなくて、この私もまた一個の他人であるか
のように書かれる記録、あるいは虚と実を一体化して往
還する、時制や因果律といった既成の陋習にとらわれぬ
年代記をパロールで、他者に向かって開かれたかたちの
〈話体〉でポリフォニックに物語ること――。おや、な
んだか口調までテラヤマみたいになってきたぞ。
 どうかそちらからも、訊ねたい事項を具体的にあげて
質問してきてください。
 では、とりあえずご返事まで。
   一九九九年三月五日
       (春一番が吹いた日に)