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山田詠美

 母が首を吊ったのを見つけた時、ぼくが、まだ五歳だ
ったのは幸せなことだ。十歳だったら泣きわめいていた
だろうし、十五歳だったら心の病気にかかってた。今だ
ったらどうだろう。きっと笑ってた。二十歳。もう、ぼ
くは、人が、おかしくなくても笑うということを知って
いる。
 幼稚園から戻ったぼくは、カーテンレールにぶら下が
った母の姿をながめながら、おやつを食べた。菓子パン
と飲むヨーグルト。いつも通り、母は、それらを用意し
ておいてくれた。ぼくは、飲むヨーグルトが嫌いだった。
牛乳の腐ったものだと思っていた。体に良いのだと無理
矢理飲ませる母に、いつも抵抗していた。けれど、その
日は飲んだ。母の声が聞こえなくなった時、それは、初
めておいしいもののように感じられた。確かに体に良い
のかもしれない。それが、どのような意味かは、さっぱ
り解らなかったけれども。
 五歳で良かったというのは、記憶がちっとも将来を巻
き込まなかったからだ。ぼくは、あの時の情況を、はっ
きりと今でも思い出すことが出来るけれども、それで感
情が揺さぶられることはない。母には、子供のぼくより
もかまけなくてはならない事柄があり過ぎたのを知って
いたし、ぼくの方も、日々に大忙しだった。小さな子供
を残して、と母を非難する人々を、ぼくは軽蔑する。死
にたくなる事情がある人だっている。子供であればある
ほど、その事情に振り回されたりしない。
 ぼくは、あの日のある一瞬、母に必要とされなかった
のだ。母が、一番身勝手になれた最初で最後の午後。そ
れは、ぼく自身も生まれて初めて身勝手になれたひとと
きだったかもしれない。何も言われなければ、ヨーグル
トもおいしいのだと解ったのは良かった。母は、もう、
ぼくのためには泣かないし、怒ってぶったりもしない。
抱き締めて、ぼくの息を詰まらせることもない。何か重
大な発見をしたような気持になった。けれども、それよ
りもすごい新発見は、母の体が、カーテンレールを壊さ
ないほどに軽かったということだ。ぼくの気配でカーテ
ンと同じように揺れていた。どっちが重かったんだろう。
 大学の友人たちは、ぼくを屈託のない人間と言う。ぼ
くも、そうだと思う。育ちの良いおぼっちゃんだからと
揶揄されることもある。確かに、そんなふうな印象を与
えているかもしれない。引き取って育ててくれた伯父夫
婦が、ぼくをそう味つけた。もうあれ以上の不幸を味わ
うことのないよう、彼らが気づかい続けたのが解った。
この子は、あんな目にあってしまったのだから。無言で
労ってくれた善意の人たち。ぼくは、素直に彼らを受け
入れた。感謝したことは一度もなかったけれど。あれ以
上の不幸って何? 幼ない頭の中で思いを巡らせながら、
ぼくは行き当たるのだった。そうか。不幸とは、他の人
が決めることなのか。それじゃあ、幸福とは、まるで別
物だ。それは、いつだって、自分の言葉でしか姿を現わ
さない。
 それじゃあ幸福って何だろうと、ぼくは考える。そう
している時、ぼくは、たぶん微笑を浮かべている。楽し
そうだね、と人が言う。ふと、ぼくは、我に帰って肩を
すくめる。何を思っていたのかなど口に出すことはない。
語られるには、もうあまりにも恥しいとされてしまった
この抽象的な代物を、ぼく自身によって組み立て直す時、
匂いは立ちのぼり、期待を抱かせる。刺激された五感は、
ぼくをせかす。どれにしようかな。胸をはずませる選択
肢がそこにある。ぼくだけのために開かれた幸福のメニ
ュー。