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新潮◆FORUM

Special 『決定版 三島由紀夫全集』刊行開始
 七月二十七日、交通渋滞の猛暑の中を目黒にある三島威一郎さんのお宅に赴く。威一郎さんは三島由紀夫氏のご長男。この十一月に刊行を開始する『決定版 三島由紀夫全集』(全42巻)用の資料をお借りするためである。「これですよ」と無雑作に運んで来て下さったダンボール箱の中味を見て仰天。三島氏自筆の詩稿や創作ノートなどが、続々と現われたのである。圧巻は詩稿で、「VERSE NOTE/KODAMA」「A VERSE BOOK/HEKIGA」「木葉角鴟(このはずく)のうた」「笹舟」「鶴の秋」「公威詩集」I・II・III・IVなどと題された手造りの詩集が十数冊。いずれも十代のもので、裏表紙に時間割表の印刷された学習院のノートや小型のメモ帳などを用い、几帳面な字で克明に書きつけてある。目次や扉を付してあるだけでなく、カットが描かれたノートもあり、飾り罫で装飾がほどこされたものもある。「鶴の秋」は和綴だ。「詩集 馬とその序曲」に至っては布貼りの帙に納められていて、表紙にはペンで馬のシルエットが描かれ、開くと真紅の和紙を使った見返しが現われるという凝りに凝った趣向。奥付には「昭和十六年八月十五日発兌、限定本参百部、本書は其の193」とある。限定本三百部とあるが、もちろんこの一冊だけ。十六歳の三島少年が詩集の刊行を夢みて、手造り詩集の製作に没頭している様子が目に浮かぶようだ。文学を敵視していた父親の目を逃れて、自室でひとり、こっそりと作ったものかもしれない。(三島氏の父親が、三島少年が小説を書くのをいかに“迫害”したかは小社刊『三島由紀夫十代書簡集』に詳しい)早速リストを作ったが、今まで詩篇名、あるいは詩集名しか知られていなかったものの大部分がこれらの中に含まれていることが判明した。
 今度の『決定版』には、このような未発表・未公開の作品が数多く収録される。三島由紀夫文学館所蔵の原稿(昨年の開館後一年をかけて整理分析した結果、この七月六日、作品リストが公開された)、およびこの度三島家から“発見”されたものを合わせると、小説13編、戯曲6編、評論エッセイ50余編、詩歌400余編という多きに上り、これらはすべて『決定版』に収められる。未定稿・異稿等も多数収録する。また、膨大な創作ノート・取材ノートから、作品のテーマ、プロットに関わる部分を抽出して巻末で紹介し、田中美代子氏の懇切な作品解題をつけて読者の更なる理解の一助とする。さらに、旧全集にはなかった“書簡”や“音声”(自作朗読、歌唱などを数枚のCDに収める)の巻をもうけるなど、真に『決定版』たる全集にすべく腐心した。全巻購入者に画期的な〈検索CD‐ROM〉を無料で進呈するのも大きな魅力といえよう。
 なお、十一月一日の全集第一巻刊行と同時に本誌の臨時増刊として『三島由紀夫没後三十年』を発行する。未発表の小説・評論・詩・創作ノートなどの一部を全集に先立って紹介するほか、今や二十世紀の古典となった三島氏の魅力をさまざまな面から探る予定。

Memorial 田村隆一・三回忌
 8月26日、田村隆一氏の三回忌が鎌倉妙本寺で行われた。この日はちょうど命日。故人の遺志を悦子夫人が汲んで、散歩コースだったこの寺に墓所が定められ、その披露も兼ねて40名ほどの縁ある人々が集まった。吉増剛造、種村季弘、新倉俊一、大澤正佳・薫夫妻、白石かずこ、高橋睦郎、高梨豊、平出隆、佐々木幹郎、野村喜和夫、城戸朱理、田野倉康一の諸氏に、呑み仲間の編集者や法律顧問の弁護士、行き付けの本屋さんまで参集。「大田村」を偲び、思い出話は尽きなかった。
 お墓には、「田村隆一/1999」と刻まれている。「1999」は、自らが編集した最後の詩集のタイトルだ。この題の本を出し、21世紀は見ずに死ぬ、という予告を見事に実現した詩人に相応しい銘だ。「さよなら遺伝子と電子工学だけを残したままの/人間の世紀末/1999」という結びの3行を目にした時の衝撃は忘れがたい。暑かったあの葬儀から2年経ったと思えないという声が、そこここから聞こえた。
 精進落しは鎌倉華正楼にて。吉増剛造氏の献杯で幕を開き、賑やかな会となった。「28篇の既刊全詩集と未刊詩篇102篇を収録した1500頁の大冊」『田村隆一全詩集』(定価22000円)と『現代詩読本「田村隆一」』の同時刊行を果した思潮社の小田久郎氏と、元河出書房新社の飯田貴志氏が司会し、各々が温めてきたエピソードを披露する流れとなる。紙幅の都合上、印象に残ったお二人のお話を紹介する。
 まずは娘の美佐子さん。初めてお宅に田村さんが訪れた時、いきなり「御免下さい」と言って裸足で入ってきたと。それから、家で友人のバレエ仲間が集まった時も、いつも「御免下さい」と言って部屋に入ってくる。その礼儀正しさが好きだったという。遺言となったジョン・ダンの「死よおごる勿れ」の原詩を英語で暗唱した大澤正佳氏。そのお宅に泊まった時、翌朝近所の美味しいお豆腐と故郷の漬物をお渡ししたら、ことのほか喜ばれて、薫夫人を「後妻にします」と誘われたと。エピソードの尽きぬ大詩人不在で臨む21世紀は、西脇順三郎流にとても「寂しい」。

Poetry recitation 朗読者と阿波踊り
 8月25日、東京・下北沢のライブハウス「The Alley」で、小説家・多和田葉子氏による朗読パフォーマンス「カタコトのうわごと-言葉と音の響きとひび」が行なわれた。
 朗読の多和田氏と、高瀬アキ(p.)、斉藤徹(b.)の三人による編成。こぢんまりと落ち着いた会場は満員の盛況で、ワインやオードブルを片手にくつろいだ雰囲気のなか、まずは最新短篇集『光とゼラチンのライプチッヒ』(講談社刊)を中心に朗読がはじまった。
 伴奏をバックに客席を歩きまわる多和田氏は、観客に無作為にページを開かせては作品の一節を次々読みあげていく。本の奥付けを指した意地悪な客には平然として、「定価はカバーに表示してあります」と返し会場の笑いを誘う。別の作品では、日本語とドイツ語を交互に読み上げたり、「かける」という言葉が空欄にされた詩を、ピアノの弦を直接指で弾く高瀬氏との掛け合いで埋めていくといったアクロバティックな朗読も披露し、パフォーマーとしての成熟も感じさせた。
 乾いたドイツパンをおろし金で磨り下ろす擦過音をリズムに、食パンを妻にする男たちの日常を読む最後の詩では、ベースにぶら下げた鈴が鳴りピアノからは音が出るたびピンポン玉が飛び出すにぎやかさ。二時間があっという間に過ぎた。終演後「日本の蒸し暑さでパンが上手く『鳴る』か心配だった」と笑う多和田氏。当日は下北沢のお祭りと時間が重なり、阿波踊りのあまりの大音量に開演を一時見合せるハプニングもあったが、理屈ぬきに言葉と音を楽しんだ夜となった。十二月には東京で新作の芝居も行なわれる予定。

Return 〈流竄の天使〉齋藤愼爾・全句集
 かつて京城と呼ばれた外地の都市で生まれた齋藤愼爾は、敗戦の翌年、中国満州から父の生家がある山形県酒田市の西方三十八キロに浮かぶ日本海の孤島・飛島に引き揚げた。
  植民地で過ごした時間を封印し、贖罪にも似た生活を送る両親の傍らで、少年は幼時の記憶を絶ち、日本本土への怨念と憧憬をこめて句作に熱中した。
  体温計を振る北斗の柄の方へ
  日蝕や父には暗き蟻地獄
  凍ててゆく過去現在未来夜番の柝
 だが、21歳の年に安保闘争と出会い、デモの戦列に加わるのと時を同じくして「俳句」を棄てた。吉本隆明、谷川雁、村上一郎、井上光晴らとの交友は、やがて「深夜叢書社」の設立へと繋がる。編集・出版・営業と社主ひとりだけのこの超ミニ出版社が刊行した書籍は、宍戸恭一『現代史の視点』、春日井建全歌集『行け帰ることなく』など。
「日本のランボー」と呼ばれた、この〈魂の夭折者〉は、しかし、一九七九年『夏への扉』、八九年『秋庭歌』、九二年『冬の知慧』、九八年『春の羇旅』でもって、見事に俳句へ帰還した。
  少年の髪白みゆく桜狩
  身の中の肋を支へて白芒
  鰯雲いづこに身捨つるほどの国
 未完句集のほかに、上野千鶴子による解説「反時代的な贈り物」や、倉橋由美子、五木寛之ほかの論考・帯文を収めた本書(河出書房新社刊)を通読すると、「断念」の形式のうちに前衛と古典を同居させる彼の手法は、まさに〈編集〉のそれと変わらぬことを教えてくれる。