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新潮◆FORUM

Profile 九○歳の性豪作家・宮 林太郎氏
 去る九月十五日は、本号の巻頭一挙掲載「サクラン坊とイチゴ」三○○枚の作者、宮林太郎氏の誕生日だった。明治四十四年生まれだから、当年九○歳。敬老の日にシドニー・オリンピック開幕日も重なって、世界中が氏の誕生日を祝うかのようだった。
 冒頭の一行からして、カフカも目を剥く奇天烈な性小説の作者のパワーは、並でない。知る人ぞ知る宮氏の横顔を簡単に紹介させていただく。
 氏は徳島市生まれ。東京医科歯科大学を卒業後、目黒区祐天寺に医院を開業した。二十代より同人雑誌に小説を発表し続けて、長篇は十五作、短篇は無数。故石川達三氏とは戦前より「星座」の同人仲間で、第一回の芥川賞受賞作「蒼氓」(昭和十年)は、同誌が初出。石川氏の主治医として信頼が厚かった。
 同世代の親しい作家は、ほかに故椎名麟三、梅崎春生、八木義徳氏ら。「硝子の中の欲望」「女・百の首」「卵巣の市街電車」「日本の幻滅」「タヒチ幻想曲」など、著書は十数冊。既に六巻まで本になっている「無縫庵日録」の分量は、永井荷風「断腸亭日乗」の三倍を超え、その続きは今も「星座」に連載中である(ちなみに、小誌が宮氏にアプローチしたのは、たまたまこの「日録」を読んで、本作の存在を知ったからであった)。
 愛読書は、ロレンス、ヘミングウェイ、ヘンリー・ミラー、ノーマン・メイラーなど。絵も大好きで、玄関や居間には、パリで購入したピカソのエッチングやアイズピリのリトグラフが、いくつも掛かっている。異様に大きな目をみひらいて、夜の広場に立つ裸婦像で知られるベルギーの画家ポール・デルボーにも傾倒しており、「清らかな淫蕩」ともいうべきそのシュールな作風は、相通じるものが感じられる。
 とにかく、貧乏臭いのは大嫌いで、一日中セックスのことばかり考えているとのこと。最近では、ハロルド・ジェフィ「ストレート・レザー」(小誌掲載)に、わが意を得たというから、筋金入りだ。わが日本にかくも優雅で、型破りな性豪作家が生息していたことは、奇跡に近い。改めて氏の誕生日に乾杯!

New Phase 萩原朔太郎賞の新風
 新聞などで既に報じられている通り、第八回萩原朔太郎賞は江代充氏の『梢にて』に決定した。詳しい選考過程は、選考委員の選評を参照して頂きたいが、際立った点は、受賞者が大きく若返ったことだ。天沢退二郎委員は、江代氏を徹底的に擁護した上で、「若ければいいというものではないでしょう」とニヒルに笑っていたが、「現代詩の未来」(同委員・記者会見にて)に賭けた選考は、今後の詩壇に大きな影響を与えることだろう。
 江代充氏は、現在品川ろう学校で働く先生である。1952年生の48歳。しかし、詩をオープンな場所で発表するようになったのは40歳を過ぎてからで、早熟の才で注目を集めるタイプの詩人ではない。「詩というより言葉を、20歳頃から、聖書と朔太郎を並行して読みながら書き始めた」と語る氏は、特に難解な言葉を用いずに、震えるような微妙な世界を細心に描いてゆく。梢に止まるつがいの鳥の目から見たこの詩集の言葉も、選考委員からさまざまな長短は指摘されたが、その「新しさ」は折紙付きだ。
 この賞ではつねに、朔太郎を『月に吠える』を書いた言語革命者と考えるか、近代日本を代表する大詩人と考えるか、という議論が潜在的に戦わされてきた。もとより、朔太郎がそのどちらも兼ね備えていたのは当然のことだが、賞の選考の場ではどちらかを採らなくてはならない。富岡多惠子委員も「詩の選考は難しい」と唸っていたが、結果的に、作品の力が新風を選び取ることになったのは、賞にとっても画期的であった。
 江代氏は現在重度の障害を持つ小学生を教えている。「毎日詩を書くことが自分にとって必要です」と穏やかに言い切る強さは、かれこれ30年近く書き続けてきた者だけが持てるものだ。かつては、草野球の名2番打者として、俊敏かつ個性溢れる(四球か死球でいつも塁上に生きる!)プレイで鳴らした氏の、さらなる活躍を期待したい。

Archive 辻邦生氏の資料整理始まる
 昨夏、辻邦生氏が急逝してから、早くも一年が過ぎた。故人の誕生日にあたる9月24日、高輪の住まいに近いホテルで、「しのぶ会」が開かれ、50人近い作家、編集者、大学関係者が集まった。清水徹、小島千加子、大岡信の各氏がスピーチに立ち、ヨーロッパ旅行での思い出等を披露して、その晴朗な人柄を懐かしんだ。
 しばし歓談の時が持たれた後は、高橋英夫氏が挨拶し、辻邦生氏の著書、蔵書、関連資料がすべて保管されることになった学習院大学の史料館について紹介した。同史料館には、江戸時代の古文書や、大鳥圭介、西田幾多郎に関する文献、法律学者中川善之助が寄贈した資料など、地味だが貴重な史料が大切に保存されているが、ダンボール箱にして70を上廻る辻氏の資料は、とりわけきらきらと輝いていたと言って、参会者一同を肯かせた。資料の整理はまだ始まったばかりで、その閲覧方法等は未定だが、いずれ公開されれば、古今東西に渡るその膨大な文献は、辻文学研究のための必須の資料として役立つだけでなく、文学・歴史・芸術の宝庫として、氏の作品に劣らぬ貢献をすることだろう。
 辻氏の遺影と没後刊行された四冊の本(「のちの思いに」「薔薇の沈黙」「言葉の箱」「辻邦生が見た20世紀末」)を背に、最後に挨拶に立った夫人の辻佐保子氏が、残された膨大な日記を読んで、いつも笑顔を絶やさずにいた氏が、涼やかな水鳥が水面下で水を掻き続けているように、常に死について考えていたことを改めて痛感したと述べたのが、印象的だった。

Private Life 娘から見たサリンジャー
 永遠の青春小説として今なお、人気の衰えない「ライ麦畑でつかまえて」が刊行されたのは一九五一年。著者J・D・サリンジャーは、この作品で一躍人気作家の仲間入りを果たすが、その後、病的なまでに頑なに世間に背を向け続けた。写真すら公表を拒む彼は、〈隠者〉と呼ばれるようになり、謎めいた私生活は、マスコミの好餌にされ、作品もその後、「ナイン・ストーリーズ」「フラニー」「大工よ、屋根の梁を高く上げよ」「ゾーイー」「シーモア―序章―」が発表されただけで、一九六五年の「一九二四年ハプワス一六日」を最後に長い沈黙に入ってしまった。
 そして、この〈隠者〉の私生活が、遂に、内側から暴かれることになる一冊の本が出版された。実の娘、マーガレット・A・サリンジャーの「Dream Catcher:A Memoir」がそれである。
「私の子供時代は、偽りの物たちで満ち満ちていた。木の精霊、妖精たち、想像上の友達の隠れ家、何処かにある〈太陽の東〉や〈月の西〉という国の事を書いた本……
 しかし、現実の生活は、両親が織った繊細な糸の上で、夢と悪夢の間で宙づりにされていた。落ちていく体をつかまえる確固とした地盤のリアリティを欠いたまま」
 サリンジャーは、実際に、娘を小説の登場人物の名前(Phoebe)で呼ぶことを望んだ。彼女の少女時代は、自らを聖徒とする父の祭壇に無理やり捧げられた供物だったという。
 親にかくあって欲しいと夢見られた自分と、本来の自分との折り合いを探し求めるこの本のテーマは、普遍的なテーマでもある。
 (Washington Square Press刊400頁)

Philosophy ポール・リクールの半世紀
 構造主義・現象学・精神分析・解釈学・聖書学―リクールの哲学の対象は極めて広範な問題領域に及んでいる。フランスの文学雑誌「マガジン・リテレール」は、デビュー作「意志的なものと非意志的なもの」の刊行50周年を顕彰してリクールの特集を組んでいる。
「生きた隠喩」「時間と物語」などで、プルースト、ウルフ、マン、ボードレールといった文学に果敢に挑戦した彼は、空想上の架空の対話という形式で、アリストテレス、プラトン、ヘーゲル、レヴィナス、ハイデガーといった哲学者の思想にも分け入っている。新著「記憶、歴史、忘却」(スイユ社刊)はリクールの半世紀の思索を振り返る自伝的な要素が色濃い。「私には、これが私の哲学だといえるようなものはない。私の本はどれも攻撃の対象にされた。私は常に問題の境界で考えてきた」とインタビューに答えるリクールは、「哲学が永遠であるためには、哲学は時間に抵抗しなければならない」とも語る。リクールが拓いた地平は、多様な世界に向けて広がっている。

〈読者からの手紙〉
貴誌がゴルフ小説特集とは、おもしろい! 私は、ゴルフは一度もしたことがなく、ルールも覚束ない。けど、分かり易く訳してあるのか、難なく小説世界に入ることができました。特に、リング・ラードナー「ミスター・フリスビー」の痛快でスカッとした読後感にまいりました。私もグリーンに出たい。語り口がアップテンポで人間観察の鋭さが際立っていたように思います。この作家は野球小説も多く発表しているとのことですが、日本で読める訳書を教えてください。(埼玉県・宇野和夫)

 編集部より お便り有難うございます。なぜ「新潮」がゴルフ小説を? という訝りの声は社内からもあがりました。しかし、作品を読んで頂ければ、小誌の意図を理解して頂けるのではとも考えていました。ちなみに編集部でゴルフを嗜むのは一人だけです。ラードナーの長編野球小説「おれは駆けだし投手」は、かのヴァージニア・ウルフが賛辞を書いたほどの名作ですが、翻訳(69年筑摩書房)は残念ながら現在絶版、短編集が入手可能です。(90年研究社刊「ラードナー短篇集」)