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【冒頭部分掲載】

「接近」

古処誠二


    *
 あなたはどこからやってきたのですか?
 ご両親はどこに住んでいるのですか?
    *
 両親はホノルルに住んでいる。フレッド・サカノ自身、ハワイからやってきた。
 沖縄攻略を目指すアイスバーグ作戦のスタートは輸送船上で迎えた。
 多少の紆余曲折の末に。

 前年、サイパンの戦いが終了していた。占領宣言は出されても、島にはゲリラ化した日本兵が潜み続け、サカノが在島していた頃は、迂闊にベースキャンプを離れると狙撃兵に狙われる状態だった。
 敗残の日本兵をどうにかして殲滅しなければならないのは当然だったが、わずらわしさは並ではなかった。彼らはいつ山を下りてくるか分からない。その行動は神出鬼没という他なく、ときにアメリカ軍キャンプに忍び込んできては食糧を奪っていった。パトロールとぶつかれば小競り合いになる。そして少なからずの犠牲が出る。連絡を受けてライフル中隊が駆けつける頃には日本兵は消えている。永遠に終わらないと思えるイタチごっこだった。
 業を煮やしたお偉方は、可能な限り森林を切り開き、道路を張り巡らせ、大規模な掃討を繰り返した。
 巧みに身を隠し続ける日本兵は、狡知に長けた野生動物を思わせた。これを殲滅するにはサイパンの森林をすべて消し去る以外に方法がないと誰もが認めるまで、そう時間はかからなかった。もっとも、そんなことが可能なら苦労はないのだったが。
 上に立つ人間はやはり頭がいいのだろうか。
 サカノはそう思う。
 お偉方はゲリラ化した日本兵を逆に利用することにした。戦闘訓練の相手と位置づけたのだった。戦闘経験のない新兵に実戦の空気を知ってもらうには、少数の日本兵の掃討は最適である。銃を構えての緊張を一度知った兵の成長は早い。おかげでサイパンは、限りなく実戦に近い演習を行える最適地となった。無論、上陸予行にも使われる。
 そうした中、日系二世の語学兵は「日本兵化」の訓練を受けた。収容された日本兵捕虜とともに寝起きし、何があっても日本語しか使わないという日々に、サカノも投げ込まれることになった。日本語をマスターしている語学兵とはいえ、微妙な訛りはなかなか抜けない。これをクリアするには日本人と生活するしか方法がなく、その思考さえも日本語で通す必要があった。身にまとうものも、背中にPWと書かれた日本兵の戦闘服だけ――それも、垢じみたものだった。一か月ほどで慣れはしたが、シラミにも慣れておけとばかりに洗濯さえもなかなか行えないのには辟易した。
 皮膚病にかかるだろうと思われる寸前に、軍医の診断と健康チェックを受けるというサイクルが続いた。二世の誰もが少々のことには動じない自信を持っていたし、劣悪な環境にもある程度は順応していた。それでも半数が二か月で脱落した。
 捕虜の群の中に捕虜として紛れ込み、疑われることなく生活できるようになった頃、サカノは寝言さえも日本語で口走っていることをトーマス・ナカネという語学兵から指摘された。そのナカネ本人が、日本語の寝言を口走ることをサカノは知っていた。同じテントで生活していた日本兵が、誰に宛てるのか分からない手紙を書きながら、布哇という漢字はどう書くのだったかなと尋ねてくるに至って、サカノは自分が環境に染まっていることを認めた。

 やがてハワイまで運ばれたサカノたちは、退屈で怠惰な捕虜生活をさらに続けた。
 生まれ育ったハワイに日本兵として戻ってくるとは、さすがに想像もしなかった。無論、家族は知らない。マッキンレー高校の同窓生たちも、よもや日本兵捕虜収容所の中にクラスメイトがいるとは思わなかっただろう。サカノは数奇な自分の運命を呪い、ときおり日本語の寝言を口走りながら、仲良くなったMPに日本語を教え、謝礼としてタバコをもらう生活を過ごした。そのまま戦争が終わってくれるに越したことはなかった。
「琉球諸島だ」
 サイパンで世話になった語学兵チームの班長(チーフ)は、訪ねてきた途端そう言った。簡易な尋問用の小屋の中だった。収容所のゲートを出たところに建っており、新たに捕虜が来たときだけドアが開けられる。有刺鉄線越しに見つめる捕虜たちは、新人の階級を予想して賭けをしていたが、それ以外にはなんの興味もない小屋だった。
「沖縄本島に潜り込む」
 チーフは、純アングロサクソンの顔を無表情に保ったままパイプの煙をくゆらせた。数か月離れただけの相手ではあったものの、以前と全く変わらないその姿はひどく懐かしかった。一緒に小屋へ入ったトーマス・ナカネはチーフとは初対面だったが、自己紹介もないまま黙って座っていた。
 サイパン戦では、二世語学兵のひとりが不可抗力で敵地に取り残された事例があった。その二世は必然的に日本軍の実状を間近に見ることになり、結果、総攻撃の予兆を持ち帰った。無論自軍は総攻撃を待ちかまえた。その日がサイパン島玉砕の日となった。沖縄でも日本軍は必ずどこかで総攻撃に打って出るだろう。彼の国の軍隊は、なぜかそういうパターンを繰り返す。圧倒的に不利だと分かっていながら全力を上げた攻撃を仕掛けてくる。サイパンを遥かに越える抵抗が予想される沖縄でその予兆を掴むことが出来れば――お偉方がそう考えるのも道理だった。
 昔話を口にすることもなく、チーフは淡々と後の行動をサカノに指示した。必要最小限の装備だけが揃えられ、新しく仕入れた知識といえば、サイパンで入手した日本軍の携帯無線機の扱い方と、モールス信号の打ち方だけだった。
 沖縄の文化や地理に習熟し過ぎることもあえて避けられた。沖縄本島には、最終的に二個師、一個旅の陸軍兵力が揃ったらしく、その大まかな配備状況もフィリピンから飛び続ける偵察機により判明していたが、単なる日本兵として潜り込むには余計なことは知らないほうが良いだろうと判断されたからだった。サカノ自身もそれが望ましいと思う。どの戦域でもそうだが、兵は自軍のことを大雑把にしか知らない。一兵卒が知っているのは、自分の中隊のことや駐屯地周辺の状況くらいだった。きっと沖縄に送られた日本兵たちも、沖縄の文化に戸惑いながら陣地構築にあたっているだろう。
 サイパンからハワイを経て沖縄へ。
 せわしない島でなければいいが。
 受ける予防接種の説明を聞きながら、サカノは琉球諸島の形を思い浮かべた。
 沖縄は、日系アメリカ人にとって特別な意味を持つ。日本屈指の移民県だからである。家計を支えるため、県民は南米や北米へ渡った。サカノが生まれ育ったハワイにも、そしてサイパンにも、沖縄出身者は多かった。おそらく五割以上はそうだっただろう。
 この戦争で翻弄され続ける沖縄の不幸の歯車は、一体どこで回り始めたのだろうか。
 そう考えたとき、必然的にサイパンでの光景が思い出された。あの島では、在島していた約二万人の民間人のうち半数が死んだ。アメリカ軍の砲火に倒れ、日本兵と共に槍で突撃し、断崖から飛び降り、情報漏れを恐れる日本兵に殺された結果だった。
 琉球絣のモンペをはいた女性が、泣き叫ぶ我が子を抱いたままバンザイクリフから飛び降りる姿を、サカノも見ている。

続きは本誌にてお楽しみ下さい。