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【冒頭部分掲載】

福田章二論

坪内祐三


 まず基本的な事実を確認しておこう。
 のちに庄司薫として『赤頭巾ちゃん気をつけて』(中央公論社昭和四十四年)以下の四部作を発表することになる福田章二は昭和十二年四月十九日東京に生まれ、日比谷高校を経て、東京大学教養学部の文科二類(現在の分類で言えば文科三類すなわち文学部志望コース)の二年に在学中の昭和三十三年秋、「喪失」によって第三回中央公論新人賞を受賞した。中央公論新人賞は、新人賞であるものの例えば第一回の同賞を受賞した深沢七郎の『楢山節考』は文壇を越えた話題を呼び、ベストセラーとなった。
『狼なんかこわくない』(中央公論社昭和四十六年)で庄司薫は、こう書いている。

 ぼくは、結局夏休み中あれこれと考えた末、法学部進学を決定した。
 第三回中央公論新人賞が決定したのは九月十五日で、ちょうど学期末試験とそして進学決定の直前にあたるなんともあわただしい時のことだった。

 ここで重要なのは福田章二が昭和十二年生まれであったこと、日比谷高校を卒業したこと、「学生作家」であったこと、そして、東大の文科二類に在籍しながら、ちょうど中央公論新人賞を受賞した時に、法学部への進学を決めていたことである。
 昭和十二年すなわち一九三七年生まれの表現者には例えば赤瀬川原平、別役実、養老孟司、つげ義春、山藤章二らがいる。その内の一人、東海林さだおは『本の話』(文藝春秋)の最新号(二○○四年十月号)の特集「ショージ君、かく語りき」に掲載されたインタビュー(「人生いろいろ、明るくクヨクヨ」)で、昭和十二年生まれの特徴について、こう語っている。

 僕たちの世代って、時代の両側を見てきた感があるよね。昭和十二年生まれの前後の人たちって、軍国少年も、その後の民主主義少年も、平等に見えるんです。昭和十九年に国民学校に入って、国民学校二年生の時には終戦になった。そして教科書に墨塗ってたんです。野坂昭如さんの世代は、戦後教育と民主主義でだまされた、みたいなことを言ってますが、ああいうのは僕らにありません。

 東海林さだおは、さらに、「十二年生まれって、意外にみんな淡々としてますね。思想的にもあまり力が入らないんです」と言葉を続けている。
 先に名前を挙げた昭和十二年生まれの人たちの顔を思い浮かべれば、東海林さだおのこの発言は、きわめて納得が行く。そしてそれは、福田章二(庄司薫)という表現者にもよくあてはまる。

続きは本誌にてお楽しみ下さい。