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【冒頭部分掲載】

三月の5日間

岡田利規


 まだ二○○三年三月には六本木ヒルズは開業していなかったから、彼らは六本木の駅からだと西麻布方向の、緩い勾配の道沿いにある、スーパーデラックスという名のライブハウスに向かうとき、その左側の歩道をただ行くだけでよかった。彼らは六人でひとかたまりとなって歩いていた。絶えず話をしていて、日比谷線の中にいるときから、たたみかける調子で大声を上げていた。周りの静かな乗客たちの耳に厭でもそれは入ってきた。彼らの多くはしかしそれで不快になるというより、単に、どうすればいいか分からなくなり、その困惑に、時間と貴重な孤独とを、大人しく奪われていくままになっていた。六人は最後尾の車両に陣取っていて、その一番後ろの壁、車掌のいるブースとの仕切りになっている壁に背を預け、あるいはその壁に床と平行に取り付けられた手摺りと自分の背骨とをこすりつけるようにしながら、叫んだり、その叫び声を聞いたりしていた。彼らの大声は、車両の外で少し遠巻きすぎるように思われる聞こえかたで響いている走行音の軋みをさらに遠ざけたがっているように、思われなくもなかった。ただしそう思おうとしている誰かが特にいるというわけではなかった。同じ車両に居合わせてしまった彼らのことを見るでもなく観察していた人々のうち、ある者は電話の画面や広告に集中しながらそうしていた。ある者はあやふやに彼らの足元へ、視線をしかし執拗に投げ続けていた。みな大人しかった。ある者は、連中はどうせ六本木で降りるだろうからそれまで辛抱すればいいのだろうと考えていた。それは正しかった。六人は相当酔っていたが、六本木に到着したときは全員がそのことに一斉に、連動して気付いた。彼らの体は自然の流れにまかせるままにしていたらそうなったというように、あるいは開いたドアから吸い出されていったかのように見え、とにかく車両の外へすたすたと出て行ったのだったが、そのときも彼らは大声を出しながら話していた。彼らは六人で一つの話をしていたのではなく、それぞれが手近な人間と、つまりミノベは鈴木と、東はユキオと、安井は石原と、と言った具合に話していた。それはなんとなくのひとつのかたまりみたく見えた。酔っていたから、彼らは周りには他に誰も自分たちのような大声で話している者がいないことなどに気付いてはいなかったが、それはそもそも気付くつもりも改めるつもりもなかったということだった。車両を降りて改札への階段を昇る間も彼らの話し声は途切れなかった。列を成して一台の改札機を儀式めかして順番に通過していくときも、彼らは声を張り上げるのを止めていなかった。列の一番後ろにいた石原が、自分の順番がくる直前に切符をどこかにやってしまったことに気付いて、機械の前でしばらく立ち止まり、ズボンのポケットを一通りまさぐった。しかし見つからなかったので、そのときちょうど改札を通り抜けようとしていた安井に声をかけ、立ち止まらせて、石原は安井の尻に腰をつけて一体になって通過しようとした。改札機の羽根扉が感知した。閉まろうとしたが、安井と石原は酔っている分自分たちの体から出せる力のすべてを出し、思いっきり突き破って通過した。扉はばかになった。そこまで思い切りやらなくても扉は抜けられたが、まったく加減しないで力を出したので、のめって転んだ。傍にいてその様子を笑って見ている間も、ミノベや鈴木や東やユキオは変わらず大声を出し続けていた。彼らは地上に出てもひとかたまりのままだった。ライブハウスへ向う彼らの話し声は、地下にいたときと較べて一段と大きくなっていたが、それはそうしないと声が聞こえないように思われたからだった。実際のところはすでにじゅうぶんなわめき声だったので、それ以上に声を荒げる必要などなかった。彼らもやがてそのことに気付いたので、その後の叫び声は少しだけ小さくなったが、とは言えそれでも大きかった。六本木通りの道向かいにも、それは喧噪を乗り越えてじゅうぶんに届いてきていた。六本木通りにはこのときも絶えず車が往来していて、走行音や排気の音のほかにも、これは何々の音だとそれだけを取り出してきて特定するようなことはできない雑多な音の集積ができていた。それらはすべて喧噪という名前でとりあえずひとつの束にされてから、見えない渦のような相をとって、その次にはなぜかぐるぐるとこの界隈をめぐりながら、夜気に暖められて上昇していき、充分に高いところまで昇ってから、この光景を俯瞰しはじめるのだったが、あちこちの光は光点から離れれば離れるだけぼやけ、ぼやけたものどうしが合わさると、それは重たい煙が底に溜まって淀んでいるように見えるだろう。

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