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被告訴人らは、東京都港区赤坂一丁目一一番一号の宗教法人霊南山永劫寺の副住職である。告訴人らは、同寺従業員であった僧侶末永和哉(以下「和哉」という)の父母である。 |
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永劫寺は、同寺敷地内に別院を構え、永劫寺サンガと称して昭和六三年より修行僧二十名程度を雇用している。同サンガを設立したのは、同年から平成一〇年まで同寺副住職だった青巌院(東京都青梅市成木八丁目一〇三二番)の住職、福澤彰之である。被告訴人高木は、右福澤の後任として、平成一〇年から同サンガ代表者を兼務し、被告訴人岩谷も同年より同サンガの行持・法式を取り仕切る首座を兼務している。 |
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和哉は、平成五年慶応大学文学部を卒業後、株式会社電通に就職したが、平成八年に慈恵医大附属病院精神神経科で局在関連性てんかんとの診断を受け(甲1)、同年同社を依願退職した。その後一年間の通院治療の末、社会復帰可能な程度に病状が寛解したため(甲2)、平成一〇年一月、かねてより同人の希望であった僧侶を目指し、永劫寺サンガの参禅寮へ入門した。 |
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同参禅寮は、希望者が随時自由に入門出来るもので、将来得度して永平寺などに上山する者が大半であるが、和哉は健康上の理由から宗門の定める正式な履修は困難であったため、右福澤が和哉を特別に受け入れ、同年四月に永劫寺において得度をさせ、同時に同寺は同人を従業員として正式雇用した(甲3)。このとき同サンガでは、和哉が従事する寺務並びに修行全般について、単独行動や単独での作務をさせないなど、被告訴人高木と同岩谷が日常的に特別な指導監督を行う体制が取られた。 |
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同時期、告訴人らは和哉の健康状態を心配し、同人にサンガを辞めて帰宅するよう再三説得したが、同人は修行を続けたいとして、帰宅を拒否し続けた。 |
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同年四月、同人はサンガでの坐禅修行中、一時的に部分発作を起こし、永劫寺敷地内から迷い出て徘徊。同寺前の桜坂にて走行中の乗用車と接触する事故を起こした(甲4)。 |
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告訴人らは、再度同人に帰宅するよう説得したが、同人が拒否したため、告訴人ら代理人に依頼し、同寺側と協議した。同寺側の交渉担当者は被告訴人高木と、同寺事務局長田辺幸夫であった。その結果、同年五月八日、告訴人らと同寺との間で、第一に和哉の安全を確保するための指導監督を徹底すること、第二に同人を定期的に通院させること、第三に同寺の門扉を夜間施錠することの三点が合意され、双方で覚え書が交わされた(甲5)。 |
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ちなみに、このとき右福澤は一身上の理由で右記青巌院へ移っていたため、同協議には同席しなかったが、被告訴人高木宛てに手紙を送り、和哉の発作の前駆症状について記した上、同人の安全に一層の配慮をするよう依頼していた(甲6)。 |
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右福澤は、被告訴人らの上司として永劫寺に在任中、和哉の病状が安定していないこと、並びに坐禅による精神集中の反復が、同人においては特殊な体性感覚発作、視覚発作、聴覚発作を誘発しがちであることを正確に認識していた(甲7)。 |
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平成一三年四月、和哉が通院していた慈恵医大附属病院の主治医は、和哉の病状が単純部分発作から複雑部分発作へ進行しつつあると診断(甲8)、慎重な経過観察が必要であるとして、同人に入院治療を勧めたが、同人は拒否した。そのため同月末、右田辺と被告訴人らの三名が永劫寺において告訴人らと会い、和哉の処遇について話し合ったが、結論は出なかった。 |
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同年六月五日夜、和哉はサンガ僧堂内において僧侶十六名とともに定時の夜坐(八〇分)に参加した。夜坐終了直後の午後九時五分ごろ、被告訴人らは和哉の姿が見えないことに気づき、別院の内外を探したが発見に至らなかった。このとき同人は、施錠されていた永劫寺正門の門扉を越えて敷地の外へ出た可能性が高い。 |
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同人は午後九時五分ごろ、同寺から五十メートル離れた六本木通の車道に飛び出したところを、東京都大田区平和島五丁目三番所在株式会社平和運送所有で同社従業員大川健二運転の冷凍トラック(4t)に撥ねられ、即死した。和哉が時速五十キロで走行中のトラックの約十メートル手前に飛び出したため、大川はブレーキをかけたが間に合わなかったものである(甲9)。なお、現場は横断歩道のない幹線道路である。当夜の天候は雨であった。また、和哉の着衣は黒の直綴(雲水衣)で、裸足であった。 |
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右大川は同日、業務上過失致死容疑で警視庁赤坂署に逮捕され、翌六日に東京地検に送致されたが、同月二十六日に不起訴処分となった。 |
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告訴人らは、以上のように和哉が厳しい修行で病状を悪化させることを心配し続けてきた一方、同人が通常の社会生活を送ることを願い、永劫寺側とも再三にわたる協議を重ね、同寺が同人に対して適切な看護と指導監督を行うとする合意を得ていたものである。然るに、被告訴人らは死亡事故の二カ月前に進行していた同人の病状を知りつつ、これを放置し、事故当夜には同人の歩行自動症等による失踪を予見しつつ、これを防止しなかった。 |
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和哉は病者であり、永劫寺サンガは二十四時間の集団修行生活を行う組織であるから、同人の保護に責任があることは言うを待たない。従って、同サンガの日常の運営管理の責任を具体的に担う役職にあった被告訴人らの行為は保護責任者遺棄に当たり、その結果責任も負うべきものである。 |
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また、平成一〇年から一三年の三年間に同人の病状が進行しており(甲2、甲8)、さらにその病状は同サンガの特異な環境下で助長されたものである(甲8)ので、同サンガの坐禅等の行持は、身体生命の安全を左右する業務とみなされる。従って、同サンガの運営管理の責任を具体的に担う役職にあった被告訴人らが和哉の病状の進行を防ぐ積極的な措置を取らなかったことは、業務上過失傷害に当たる。 |