立ち読み

2016年4月号


「伯爵夫人」蓮實重彦

 傾きかけた西日を受けてばふりばふりとまわっている重そうな回転扉を小走りにすり抜け、劇場街の雑踏に背を向けて公園に通じる日陰の歩道を足早に遠ざかって行く和服姿の女は、どう見たって伯爵夫人にちがいない。こんな時間にこんなところで、いったい何をしているのかと訝しみつつ、あからさまにあとを追うのもためらわれたが、ほんの数歩も進まぬうちに、あたかも狙いすましたかのように女は振り返り、まあ二朗さん、こんな時間にこんなところで、いったい何をしてらっしゃるのとあでやかに微笑みかける。またまた辛気くさい歐洲の活動写真でもご覧になってらしたのかしら。出てきたばかりの活動小屋にかかっていたのはごく他愛もない聖林(ハリウッド)製の恋愛喜劇だったから、「辛気くさい歐洲の活動写真」などではなかったのだが、どうやらこの女には見すかされているという忸怩たる思いを晴らすべく、いえ、今日は朝早くからあなたの行動をじっと監視しておりましたと思いつきのいい逃れを口にしてみる。あのビルヂングの地下で密会しておられたお相手の素性だって、ほぼ突きとめております。
 まあ、ご冗談をと襟元に軽く手をそえ、濃い臙脂のショールを細い指先で代赭(たいしゃ)色のコート――あんな色の、と母が蔑むようにいっていた――の胸もとに整えながらそのでまかせを受け流し、じゃあ、せっかくですからご一緒にホテルへまいりましょう、ついておいで遊ばせと歩を早める。もっとも、このたまたまの出会いだって、人目を忍ぶ密会と勘違いなさるお方もどこかにはおられましょうから、今日のところはひかえておきましょうかと婀娜(あだ)っぽく首をかしげ、黒いハンドバッグを胸にあてながら上目遣いに二朗を見上げる。とんでもない、ぜひともお伴させていただきますとつとめて冷静さを装うと、ただただ苦いだけで何の薫りもしない褐色の熱い液体を、誰もが珈琲と呼んで恥じる風情も見せなくなってしまったこのご時世に、あそこの茶室でのお点前だけはさすがな趣きをとどめておりますから、この密会――ということにしておきましょう、ね――にふさわしく、二人でしんみりと賞味させていただきましょう。いたるところで物資の欠乏が本格化しているので、国産のお抹茶だって、いつなくなっても不思議ではありませんからね。
 立ち止まりもせず淀みなくそう語りかける影につつまれた女の横顔を、リズムは衰えながらもなおばふりばふりとまわっている重そうな回転扉の西日の反映が、見てきたばかりの活動写真の一景さながらに、二度、三度となまめかしく照らしだす。それにしても、目の前の現実がこうまでぬかりなく活動写真の絵空事を模倣してしまってよいものだろうか。そう呟きながら、二朗は、いま見た恋愛喜劇で聖林の女優が着ていた瀟洒なドレスを伯爵夫人にまとわせたらどうだろうなどと、埒もない空想にふけってしまう。写真で見くらべてみたことがあるが、夜会服姿の伯爵夫人のデコルテの着こなしは、鹿鳴館時代の祖母などとは段違いに堂に入っており、はっとするほど思いきりのよいものだったからだ。
 もちろん、誰から――あるいは、何から――遠ざかろうとして、彼女があのビルヂングの重そうな回転扉を小走りにすり抜けたのか、それを知ることにまったく興味がなかったわけではない。だが、しばらく前から同じ屋根の下で暮らしている伯爵夫人と肩を並べてこの界隈を歩くのは初めてのことなので、人影もまばらとはいえ、何やらこそばゆい思いがしたのも否定しがたい。死んだ兄貴が臺北(たいほく)のテイラーにひと晩で誂えさせたという一張羅の三つ揃いを着ているので、父のおさがりの古めかしい伯林(ベルリン)製の外套をクロークルームにあずけても高等学校の生徒と見とがめられることはまずあるまいから、和服姿の伯爵夫人に同伴してホテルに足を踏み入れてもさして見劣りはしまいとひとまず胸をなでおろす。お背の高さといいお顔の彫りの深さといい、亡くなられたお祖父さまにそっくり。年輩の親類縁者は口をそろえてそう証言しているが、二朗には祖父の記憶がほとんどない。
 とはいえ、この女が本物の伯爵夫人ではなかろうことぐらい、誰もが薄々とながら勘づいている。そもそも、華族会館の名簿にはそんな名前などまったく見あたらないと級友の濱尾はしたりげにいってのける。だが、あれは結婚前の名前だろうし、それに昨今の歐洲でなら、爵位ぐらいはいくらでも金で買えるはずだと二朗は抗弁する。実際、彼女の海外生活は充分すぎるほど長いものだったらしく、巴丁巴丁(バーデンバーデン)での季節はずれの湯治だの、古馬(コモ)湖畔での短い夏の休暇だの、佛領印度支那のホテルの冷房のきいたボールルームでの舞踏会だのといった話題もそれとなく口にしていたし、バッグやスーツケースのほとんどはれっきとした倫敦(ロンドン)製である。
 騙されちゃあいけない。そんなもんなら、客引きどもの群れをかいくぐって上海の英吉利(イギリス)租界をしゃかりきにさがしまわらなくたって、いまでは新嘉坡(シンガポール)のごく清潔な洋品店でいくらでも手に入る。上海にも新嘉坡にも行ったことなどあるはずもない濱尾は、まるでその目で見てきたかのようにそういいきってみせる。なるほど彼女の名前は、結婚前のものかもしれない。だが、れっきとした伯爵とその奥方とを少なくとも三組は見かけた例の茶話会で、遠くからそっと「伯爵夫人……」と呼びかけると、あの女はさりげなく振り返り、それとなく声の主を探ろうとする。本物の伯爵夫人が、そんな物欲しげなそぶりを演じたりするもんかね。ことによると、あれは爵位とはいっさいかかわりがなく、間諜どもが敵味方を識別するために口にする源氏名みたようなものかもしれない。そんな正体不明の女が、このご時世に、いつの間にか貴様の家に住みついてしまったのはなぜか、その理由を、二朗くん、多少とも真剣に探ってみたことはあるのかい。
 いまのおれには、そこいらにうろついている特高警察の真似ごとをして悦にいってる余裕なんざあ、これっぽっちもない。そうそっけなく応じてはみたものの、たしかに、血縁ではなかろうこの中年女性が自宅に同居することになったのはなぜか――その気になって探ってみれば、それなりの深い理由にたどりつけもしようが――を両親に問いただしてみたことはなかったし、また、そっとしておくことがどうやらお家のためでもあるだろうと、二朗は理由もなく自分にいい聞かせていた。それに、このあたくしの正体を本気で探ろうとなさったりすると、かろうじて保たれているあぶなっかしいこの世界の均衡がどこかでぐらりと崩れかねませんから、いまはひとまずひかえておかれるのがよろしかろうといった婉曲な禁止の気配のようなものを、とりたてて挑発的なところのない彼女の存在そのものが、あたりにしっとりと行きわたらせている。
 二朗の家族と食卓をともにすることはなかったが、亡くなった祖父――母方の、である――の時代に建てましさせたものだという南向きのだだっ広い洋間にひとりで寝起きし、献立の異なる料理を朝昼晩運ばせ、ときおり機械仕掛けのピアノなど響かせているこの女は、納戸から厠まで、あるいは夜半にむつごとが洩れたり、どうかするとあられもない嬌声すら聞こえかねない両親の寝間に通じる薄暗くて細い廊下をも、まるで住み慣れた自宅のようなこだわりのなさですたすたと歩きまわり、風呂の湯加減について、誰よりもきっぱりとした口調で女中たちに文句をつけたりもする。
 いっそのこと、ちょっと奮発して、円筒形の長細い瓦斯(ガス)の自動給湯器でも伯林あたりから取りよせてはいかがかしら。誰にいうとなくそんな言葉を洩らしはするが、ことあるごとに倹約、倹約と叫ばれ始めたこの時代に、父がまともにとりあうはずもない。母は母で、まるで何も聞かなかったかのように、噂されている瓦斯や石炭の欠乏にそなえて考案したのだという保温にふさわしい薪木のくべ方を、手ずから女中たちに伝授して見せたりしている。お公家さんじゃあないとはいえ、まがりなりにも子爵の長女として生まれた貴様のおふくろさんが、湯殿の焚き口にうずくまって煤にまみれているなんざあ、まったくもって世も末だというほかはない。濱尾は、深く嘆息する。伯爵夫人も罪つくりなことをしでかしてくれたもんだねえ。
 あら、伯爵夫人のことでしたら、あの方はお祖父ちゃまの妾腹に決まっているじゃないの。蓬子はこともなげにそういってのけるが、まだ少女の面影をとどめた従妹の口から洩れる「めかけばら」という不穏な音の響きに、まだ誰にも触れさせたことはないという彼女自身の骨の浮いた白っぽい下腹を、二朗はついつい想い描いてしまう。一色海岸の別荘――次女である彼女の母親が、祖父から受けついだものだという――の、いくら戸締まりをしてもどこからか砂粒がまぎれこんでくる薄ぐらい納戸に二人して身を隠し、一回こっきりのことよと瞳を閉じた蓬子が、さわやかに毛の生えそろった精妙な肉の仕組みをじっくりと観察させてくれたのは、国境紛争が厄介な展開を見せ始め、父がかつてなく深刻そうに顔を顰(しか)めていたころのことだ。
 いずれ、手遅れにならないうちに、二朗兄さまの尊いものもとっくりと拝ませて下さいな、げんまんよ。そう口にしながらあっけらかんと笑いかけるためらいのなさが、心の機微とはいっさい無縁の背伸びした振る舞いでしかないと意識させてくれたから、二朗も妙な気にならずに医学的な興味に徹することができたのだが、離れた茶の間の柱時計がのんびりと四時をうつのを耳にしてそろそろころあいだなと思い、ぺちゃんこな胸を隠すように両腕で抱えた膝小僧に顎を乗せている蓬子のちっぽけな足に手をそえ、こびりついた砂粒をはらってやろうとやや無理な姿勢をとらせて土踏まずにふっと息を吹きかけると、いきなりぷへーとうめいて全身をわななかせ、今日のところはそこまでで堪忍しといて頂戴なと懇願するような瞳で訴えかける。

続きは本誌にてお楽しみ下さい。



蓮實重彦 ハスミ・シゲヒコ

1936(昭和11)年東京生まれ。東京大学文学部仏文学科卒業。教養学部教授を経て1993年から1995年まで教養学部長。1995年から1997年まで副学長を歴任。1997年から2001年まで第26代総長。主な著書に、『反=日本語論』(1977 読売文学賞受賞)『凡庸な芸術家の肖像 マクシム・デュ・カン論』(1989 芸術選奨文部大臣賞受賞)『監督 小津安二郎』(1983 仏訳 映画書翻訳最高賞)『陥没地帯』(1986)『オペラ・オペラシオネル』(1994)『「赤」の誘惑―フィクション論序説―』(2007)『随想』(2010)『「ボヴァリー夫人」論』(2014)など多数。1999年、芸術文化コマンドゥール勲章受章。


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