立ち読み:新潮 2017年2月号

秘密は花になる。/舞城王太郎

 電話がかかってくる。午後三時過ぎ。
 文化の日で、いい天気で、外から帰ってきたばかりの娘が電話を取る。
「もしもし」
「もしもし。瑠美子るみこさんいますか」
「あ、私ですけど」
「……あの、今から変態な話するね?」
「え?」
「瑠美子ちゃん、大人のパンツ、穿いてる?」
「………」
「穿いてきてね、学校」
 で、絶句したままの瑠美子を取り残して電話は切れる。
 それだけだ。
 でもそれだけのことに私は取り乱してしまう。
「えっ! 何それ! 気持ち悪い!」
 と叫んだ私を瑠美子が笑う。
「あはは。何でそんな。バカらしい。大げさだよー」
 その反応にギョッとする。大げさ? そんなことない! 性的な興味を実際に行動に移すような異性がいて、それが瑠美子の名前と電話番号を知っているんだよね!?
 夫のゆずるはそれなりに深刻に受け止めているが、
「その子、連絡網から電話番号手に入れたんだろうけど、イタズラ電話に利用されてるようだとマズいね」
 と言うだけなので、私は焦れる。
「その子の声、誰なのか聞き覚えないの?」
「ないよー。一瞬だし、ビックリしてよく判んなかったし」
「でもそれ、だからその子、同級生じゃなくて同級生の兄弟とかかもしれないじゃない。小五とかなら好奇心のイタズラってことになるかもだけど、中学生とか高校生だったらイタズラじゃ済まないよ」
「えーでも中学生とか高校生の声じゃないと思うけど。あと、変態な話するね? とかアハハ、子供っぽいじゃん。大人のパンツって。アハハハハ」
「るう、男の子のそういうのって怖いんだよ? 笑い事にしてほしくないよ、ママ」
「えーでも私あんまり気になんないし。実害ない」
「実害出たら遅いでしょ!」
「もう……大きな声出さないでよ。ママに相談しなきゃ良かった。私笑い話だったのに」
「るう、本当に気を付けて。変な子はこの世にたくさんいるんだから」
「イタズラでしょ? イタズラする子はこの世にたくさんいるよ。エッチなイタズラも多いし」
「………!」
「あ、怖い顔。本当にママ、やめてね? 気にし過ぎだから」
「ええ……? 何でるう、怖くないの?」
「怖くないんだもん。バーカ、って言ってやれば良かったなと思うくらいかな。次かかってきたら言うよ」
「やめて! 危ない! 変な恨み買ったらどうするの?」
「ちょっと……ママさ、何がそんなに怖いの? 電話かけてきてくだんないエッチな話しようとしただけじゃん。そんな子、怖くないでしょ」
「……また電話かかってきたらただ切りなさい」
「はいはい」
 と面倒くさそうに言って自分の部屋に行こうとする瑠美子のお尻を私は見つめる。小さな丸いお尻。もっと幼かったときよりは女の子らしくなってきただろうか?
 でもそのせいで男の人からの危険が増すなんて、不公平な気がする。人生の成り立ちみたいな、根本的な部分で。
 次の日学校で瑠美子がクラスの子とイタズラ電話の話で盛り上がっていたら別のクラスの子にも同じ内容のイタズラ電話がかかっていたらしくて、女子児童全体の騒ぎになり、一部の女の子が職員室に相談に行って大事になり、話し合いで朝の二時間が潰れる。その結果五年生だけでなく六年生と中学一年生の姉妹にもその電話を受けた女の子がいるらしく、被害者は少なくとも十三名にも上っている。全員が全く同じ内容で、名前で呼び出され、変態な話するね? と切り出されて大人のパンツを穿いてるかどうかを訊かれ、学校に穿いてきてねと言われて電話を切られている。
 ということを電話で教えられて、私は一瞬目の前が暗くなり、気付くと床に座り込んでいる。担任の先生がどどんと私が膝をつく音を聞いていて慌てた声で私の名前を呼ぶ。
筒井つついさん、筒井さん! 大丈夫ですか!? やだどうしよう……」
 何がやだだ。よくもこんな話を聞かせてくれやがって……!
 私の中に猛烈な怒りが涌き上がる。
 呑気すぎる!
「警察に連絡します」
 と私は言う。
「えっ! 警察ですか!? ……でも筒井さん、まだその段階には早いんじゃないですか? 単なるイタズラ電話かと思われますし……」
「学校としてはことを大きくしたくないんでしょうけれど、我が家の判断として、娘の被害を通報させていただきます」
「ことを大きくしたくないということではなく、児童の動揺を考えますと、もう少し話し合いの中で……」
「いいえ。娘の安全の問題です。早く警察に動いていただきたいし、私どもといたしましては……」
 娘の転校も視野に入れる、と衝動的に言いかけて、口を噤む。
 さすがにそんなことは私の独断で決められない。譲の帰りを待ち、相談しよう。
「わかりました。ではご家族でよくお話しされてください。瑠美子ちゃんの心情にも大きく関わることなので、瑠美子ちゃん自身ともお話ししていただいたほうがいいかと思いますが、もちろんご家族の判断です」
 と私のカッカを冷静に受け止めているふうの担任の口ぶりに私はいきり立ちそうになる。
「もちろんです!」
 と強く言ってから、現時点でいきなり担任を責めても仕方がないことに気付く。
 ちゃんと調べて報告してくれているのだ、学校も、今のところ。
「すみません。ちょっと娘のことで、私も冷静になれないので……」
 と私が言うと担任が穏やかに返す。
「いいえ。当然のことと思います。できるだけ学校も保護者の方がたも、誰よりも児童達が落ち着いたまま話し合って解決に持っていければと考えておりますので、どうか筒井さんの方でも、じっくりと話し合ってみてください」
 電話が切れる。娘が帰ってきて話を聞くと、やはり瑠美子は笑っていて
「すっごい! なんか犯人の子、可愛い子のリストかなんか作ってるみたいで、私とか他の電話受けた子、なんかタイプが似てるんだってー! アハハハハ!」
 えっ……!
 また私はしばし言葉を失う。
 駄目だ。どうしてこの展開で娘が笑っているのか全くちっとも理解できない。
「それ……どんな子ってこと? 見た目?」
「やー何か見た目ってよりは気の強い子っぽい! うるさいみたいな。いっつも男子のこと怒ってるような子だって」
「何それ……」
 マゾ気質のある男の子!?
 気色悪すぎて寒気がする。実際に背筋がぞくぞくして私の肩がびゅくっと飛び上がる。
「怖い……」
 と思わず呟いた私に瑠美子がぶーっと吹き出してから
「だーからさー、そんな男の子ちっとも怖くないじゃん。やっぱ昨日バーカって言ってやればよかったよ。そしたら喜んだんじゃん? アハハ!」
「駄目駄目!」
 そんな、相手の性癖に応えるような台詞! 何考えてんの!?
 慌てる私をじっと見て、瑠美子が言う。
「なんかさー、ママ、キモいよ?」
 私が!?
「……どこが? 人のことキモいなんて言わないで」
「でもキモいんだもん。何でこんなことに凄い反応してんの? 放っておけばいいじゃん」

(続きは本誌でお楽しみください。)