立ち読み:新潮 2022年11月号

第54回新潮新人賞 受賞者インタビュー
二〇五二年から見た日本/黒川卓希

第54回新潮新人賞 黒川卓希

――受賞作「世界地図、傾く」は、二〇五二年の日本が舞台です。日本は事実上の移民国家となり、国際的な価値観と国粋的な価値観が分裂しながら混在しています。学校では英語を公用語とする「インター」と日本語を用いる「ナショ」に分かれ、企業においては国籍雇用均等法が施行されようとしています。一人称の語り手が二人いて、アキトは言葉と味覚の共感覚の持ち主の青年。かつて女装する男性と同棲していました。もうひとり、日韓ハーフのユイは「日本語は淘汰される」という価値観の親に育てられたアセクシャル的女性です。そしてもう一人、多言語多民族国家を象徴するかのような政治活動家キヌアのトリックスター的暗躍と悲劇が物語をドライブさせます。このような野心的な作品世界をどのようにして構想されたのですか?

 変わったことをやろうという気持ちはありませんでした。温又柔さん、崔実さん、李琴峰さんといった海外にルーツを持つ方が書かれた小説を読んで、それらが「言葉をめぐる小説」としても面白いことに気づいたのがきっかけでした。
 そこで、自分だったら、どんな「言葉をめぐる小説」を書けるだろうかと考えました。最初の出発点は、言葉と味覚との共感覚を持った人物を主人公にした内向的な話だったのですが、だんだん、社会を書くべきだと思い始めました。でも、「そもそも社会ってなんだろう」ってなったときに、種々雑多な人たちや法制度が社会なのかって言われたら、それは必要条件だけど、必要十分条件じゃない。
 ともかく多様な人物たちを登場させるにあたって、彼らをつなぐ共通の「フック」があるはずだと考えているうちに、キヌアという政治活動家を思いつきました。
 今年三月末の締切で応募した作品で、政治活動家キヌアが巻き込まれた「事件」が、まるでこの夏に日本の有名政治家を襲った事件を予見するかのようだと、「新潮」編集部の方はやや不審気味におっしゃっていました。実際のところは昨年、この小説を書いているときに京王線刺傷事件の速報が携帯に入ってきました。そのニュース記事を読んで、今回のラストを思いつきました。ハロウィンと政治ということで無関係な位相かもしれませんが、同じ社会の出来事なのでどこかでつながっているのかもしれないとは思いました。

――アキトひとりをとっても、ユニークなキャラクターですね。彼はアサリの味噌汁を飲むと「車」という単語が思い浮かんだり、「空」という言葉を認識すると焼鮭の味を口中に感じる共感覚の持ち主です。彼の元同棲相手シオンは知的かつ屈折した女装家の男性だったり、全登場人物が一筋縄ではいかない存在です。

 共感覚についてもジェンダー問題についても、見識が無くて恐縮なのですが……共感覚については、言葉の機能不全に関する良い設定がないかと思って、片っ端からリサーチしていて知りました。
 ジェンダーに関しては、いろんな立場の作家がいろんな切り口で作品化していますが、僕は自分固有の切り口を持てていないと思っています。
 二〇五二年の日本という設定については、さすがに今から十年後ではまだ日本が移民国家にはなってないだろうなと思って、三十年後にしました。近未来ものだとAIが出てくるのが定番ですが、この小説ではそうなっていません。そこはあえての逆張りで、技術の進化具合、というか進化してない具合はかなり意識的に書いたつもりです。
 日本の移民国家化についても、自分の意見を強く持っているわけではなく、小説における「言葉」を考えていったら、「社会」から逃げられなかったので、書きました。キヌアが日本のマスコミに対して「社会」という二文字を規制したというエピソードは書きながら手ごたえがありました。

――黒川さんは最初に大学の数学科に入り、その後に別の大学の医学部に移り、いまも医師を目指して在学中ですね。

 最初は数学者にも小説家にも両方なりたかったんですが、大学に行かずに小説ばかり書いてたら、勉強をしなくなりました。大学に入って小説を書き始めてから今年で七年目で、新人賞への応募は大学一年の年からしていました。
 高邁な考えで医師を目指しているかといえば、まったく違って、文筆以外の方法で自分の生活費を稼がないと、小説を書き続けられないと思ったんです。最初は昭和の文豪の「酒浸りの無頼派」みたいなものへの憧れもありましたけど、やがて、そんな環境では自分はぜったいに書き続けられないと思いました。しかも万が一、小説家になれたとしても、原稿=収入源になってしまうと、創作の失敗や編集者のボツもきついだろうなあ、と。
 ですから、まったくロマンのない理由で現状にいたり、今は医学部の四年生で、うまくいけばあと二年で卒業の予定です。医学への興味はむしろ入学して勉強しているうちに湧いてきました。たとえば、アウトサイダーアートと呼ばれるものの一部に、精神疾患を持った方々の創作がありますが、そのようなこころの病気と創造の関係には関心があります。

――黒川さんの文学的な来歴を教えてください。

 特定の作家に深くはまったことはないのですが、中学生のときに安部公房を読んだインパクトは大きかったです。「方舟さくら丸」は今も強く印象に残っています。あと、受賞作にだだ漏れになってしまっていますが、川端康成の「雪国」は偏愛の対象です。でも、たくさん読むようになったのは、大学に入って、小説を書くようになってからです。
 やっぱり、同時代に書いている先輩作家の作品は面白いなあと思うことが多いですね。「世界地図、傾く」を書きながら、円城塔さんの「道化師の蝶」は意識していました。言語のクレオール的な有り様については、どうやったら円城さんの二番煎じにならないかと思ってました。また、AIや仮想通貨といったIT的なテーマについては、上田岳弘さんの後追いにならないように意識しました。また、李琴峰さんの「彼岸花が咲く島」にも刺激を受けましたし、共通するテーマがあると勝手に思っていました。言語の「伝わらなさ」について、李さんとは違うアプローチで書けないかなと考えながら書きました。
 古典はあまり読めていないのですが、モダンクラシックではガブリエル・ガルシア=マルケスが好きですね。「族長の秋」などのマジックリアリズム的作品を読んでいて、失礼ながら、まるでコントみたいだなと思ったんです。
 僕はお笑いが好きで、M-1グランプリの予選動画などをよく見るんですけど、ある意味では、文学よりも漫画とかお笑いのほうに直接的な影響を受けているかもしれません。
 例えば漫画「キングダム」の人物造形には文学以上の影響を受けました。2006年から今にいたるまで連載は続いていて、毎週読んでいます。あるいは、バトル漫画「NARUTO(ナルト)」や「呪術廻戦」も好きです。従来のバトルものでは例えば物を出し入れする能力として処理されていたところを、レシートに書いてあるものを具現化できる能力、という風により具体的な切り口で描かれているところが面白いと思いました。車を買ったときの領収書から車が出てきます。漫画も進化し続けてるなと思います。
 お笑いは気に入った動画を何十回も見直しています。与えられたテーマを具体化することが大喜利だと思っていますが、その過程で笑いが表出することもあれば悲しみというかたちをとることもあるじゃないですか。そういう意味で笑いも悲しみも根本は同じ感情だと思っています。前者をお笑い、後者を文学が得意としているだけで、実質的に両者の扱っているものは同じだと思います。

――今後の創作への思いをお話しください。

 世の中では「自分のやりたいこと(書きたいこと)を貫きなさい」系のアドバイスがあふれていると思うんですけど、僕は「自分」というものをあまり信用してなくて、自分がやりたいことは自分の環境にそう思わされてるだけのことが多いんじゃないかと。そういう意味では、古典から文芸誌に載っているような最新小説まで、いろいろな作品を読んで、「このテーマをこの切り口で書いた人はまだいないのでは?」というところから大喜利して、その結果として「自分らしさ」が出ればいいなと思います。
 僕は「自分」を信用していないのと同じ意味で、評価される/されないという価値観が希薄です。だから、まずは楽しんで書くことを大切にしたいと思っています。

[→]第54回新潮新人賞受賞作 世界地図、傾く/黒川卓希