坂井祐治はクロマツの枝を刈っていた。肩の筋肉が熱を持って膨れ、破裂しそうだった。酷使して麻痺しかけている両腕と刈込鋏が一体となって動いた。脇を緩めすぎず、胸筋を絞るようにして枝を刈る。鋏が意思を持ち、ただ手を添えているだけでよかった。
再び枝を伸ばした樹木の形を頭に描き、不要な枝の途中を切らず、根元を切る。小雨に降られて脚立が滑るので、両足を踏ん張り、接している膝や腿にも神経をいき渡らせる。三メートルの高さから落下したら、ただでは済まない。剪定にばかり気を取られると、危険な作業をしていることを忘れそうになる。
上半身の筋という筋が突っ張った。背中全体、肩から上腕、前腕にかけて苦しかった。どんどん急になっていく坂を全速力で駆けあがる感じだった。いつまででも枝を切り続けられる気がした。誰と競うわけでもない。自分を追い込み、筋細胞を破壊する。全身の筋繊維が壊れては再生を繰り返し、何層にも重なって肥大し、鋼鉄と化していく。肉体とともに魂までもが天井知らずで上昇していくと思った。息があがる。残っていた燃料が空になる。緊張が解け、飽和し、腕が完全に動かなくなる手前、もう少しで踏ん張っている足の筋肉が攣るという瞬間に祐治は腕を止めた。
脚立の上から仕上げた庭を見渡した。
クロマツの奥に、玉造に刈り込んだ三本のチャボヒバが串刺しの団子のように浮かぶ。柔らかそうに見える仕上がりに祐治は満足した。現場は阿武隈川沿いの広い庭を持つ民家だった。脚立からだと、増水して茶色く濁った下流が塀越しに望める。祐治はしばらく無心で流れを見つめた。
これから梅雨がきて夏になる。野外で作業をする植木屋にとっては過酷な季節だった。長袖と生地の厚いズボンを身につけ、不快な汗にまみれ、汗疹で全身がかゆくなる。害虫も増える。スズメバチが纏わりつく。それでも祐治は夏が待ちきれなかった。焼けつくような暑さの中で鋏を振るいたかった。汗だくになって体の節々が軋んで音を立てるくらいに肉体に負荷をかけたかった。暑くなればいい。子猫みたいに日陰にいて何ができる。死ぬほど暑くなればいい。
電気が流れたみたいに腰に痛みが走った。朝から体がよく動き、祐治は無理をした。このまま休止していると二度と体が動かなくなりそうで、深呼吸してから作業に戻った。
午後三時頃、落とした枝を集めた。二トントラックでゴミ捨て場にいけばその日はしまいだった。トラックに乗る前、祐治は地下足袋の上に張りついていた毛のない明るい黄緑色の芋虫を木の枝で弾いた。今日は芋虫か、と祐治は呟いた。毛虫の類いには慣れなかったが、アマガエルが張りついている時はいいことがありそうだとでたらめな占いのように思った。運転席で汗を拭き、冷えに身震いし、しみじみと感じたのは鋼鉄の肉体の充実ではなく、衰えだった。
帰り道、祐治は亘理大橋を渡ったところで商売道具の二トントラックをとめた。日が傾いて、蔵王連峰の山並みに残る雪が青白く影になっている。阿武隈川の河岸を河口へ向かって歩く。海からの風が体を冷やす。
日の暮れるまでの間、今が狙い時だというように河岸沿いで釣り人がせわしなく仕かけを投げ込んでいた。
淡水の占める割合が多い河口水域では、地元の高齢の男たちが、ガラかけ釣りという単純な釣法で竿を振る。太く長い針をいくつかつけたテグスの先に重りを括り、とにかく川底を引きずるようにして魚を引っかける。川底に潜む生き物なら、ヒラメ、カレイ、マゴチ、ウグイ、マゴイ、ワタリガニと何でも引きあげた。
秋冬には産卵のために遡上してくる鮭を狙い、ガラかけをする人が集まる。卵を産んで一生を遂げようと戻った鮭は川の入り口で、傷だらけの体に針を引っかけられてコンクリートの河岸にぶちあげられ、また川へ戻される。ばたばたと暴れて腹から鮮やかな卵がこぼれた。
もう少し下って海へ出ると、若い連中が疑似餌でスズキやヒラメやマゴチを狙う。彼らはガラかけを野蛮だとか残酷だとか言って軽蔑する。それは高齢者と若者とが釣り場を巡って陣取り合戦をする時に口にのぼる決まり文句であって、ガラかけも疑似餌の釣りも大して変わらなかった。彼らは年中、目には見えぬ、川と海の境目の釣り場を巡り、世代間でせめぎ合っていた。
四十歳の祐治は、年長の者らを煙たがる気持ちも、若者を侮る気持ちも双方理解できた。
河口南岸の鳥の海公園の向こうには、荒浜港に係留された漁船の舳先がかすかに見えた。阿武隈川河口と並んで、海に口を開けて広がる汽水湖、鳥の海に漁港は面していた。北を向けば、貞山堀と呼ばれる運河が仙台湾に沿って遠く塩釜港まで続く。
災厄から十年以上経て、堀に沿って残る松林はまばらで、いくつかは立ち枯れが目立つ。祐治は頭の中で、一年、二年かけて、海の松を山へ移植させてみる。半分掘り起こし、根を切る。さらに一年して反対側の根を切る。それぞれの切り口に新たな根が張ったらいよいよ移植する。無理だと頭を振った。遠目ではわからないが、葉が茶色にくすみ、木の表皮も変色して赤黒い。
高く聳える立派な松だった。数え切れない巨大な台風にも耐えた松も海面がせりあがると軽々と浚われていった。
それでも残った幾本かの松を虫が食った。硬質の頭と顎を持ち、まるで柔らかい果実でも貪るようにして虫は木の内部を穿ち、侵入した。群がり、強靭な顎を貪欲に動かして掘り進む。食い散らかされた松は、色彩を失い、灰色っぽくなり、やがて朽ちるのを海風に吹かれて待つだけだった。倒れて土になるのも遠くない先と思われた。
災厄に見舞われたのは、祐治が造園業のひとり親方として船出した途端だった。そしてその災厄から二年後、妻の晴海をインフルエンザによる高熱で亡くした。晴海は心労で弱っていて、最期はひとり息子の啓太を残して脆く逝った。祐治は生活の立て直しに必死だった時期で、事態に心が追いつかず、晴海が肉体を残して魂だけ海に浚われたような思いだった。
(続きは本誌でお楽しみください。)