立ち読み:新潮 2024年2月号

ボート/内村薫風

 父は常に険しい顔をしていた。眉が力こぶを作るかのように盛り上がり、顔の上半分が常にボディビルのポージングをしているようだ。修学旅行の際に金剛力士像を見た時にはそっくりだった。ただ、別段、恐ろしい厳格な父親ではなかった。争いごとは好まず、感情的な言動を見せることもほとんどなく、美術館巡りを楽しみ、喫茶店経営でも常連客の聞き役に回ることが多く、母の批判や非難、言葉の集中砲火を黙ってやり過ごすような人だ。
 父の金剛力士像似の顔付きは、不機嫌や怒りのせいではない。頭痛だ。ある時期から偏頭痛に悩まされていたらしく、むしろ痛みがないほうが珍しいのだと話してくれたこともある。
――停戦が滅多にない紛争地域のよう。
 父がそう言った時、紛争地域で人生をもみくちゃにされている人々とただの頭痛とを一緒にするのは不謹慎だとたしなめた。今から考えれば父にとって頭痛は、まさに人生を削り取り、苦しめる戦争に近かったのだろう。
 三十歳で商社を辞めた父は知人から受け継ぐ形で喫茶店をはじめた。良いとは言い難い立地条件で――前オーナーも儲からないがために閉店したのだ――鬼の形相をした店主がいる店が長続きするはずがないと母ですら思っていたらしいが、結果的には細々と四十年以上続いたことになる。
 店のドアには小さな貼り紙があり、それが功を奏したのかもしれない。
 店主の顔が怖いのは頭痛が原因で機嫌が悪いわけではありません。心は優しいです。
――人相が悪いのは頭痛のせいだと分かれば、常連客になってくれた。理由が分かれば人は安心する。
 店で一緒に働く、母のコミュニケーション能力が高く、金剛力士像の顔による緊張感をうまく緩和させていたのだろうと私は思うが、それを言うと父が、いつだって誉められるのは母さんだよと子供のように落胆する――母は母でわたしのおかげだと鼻を膨らませる――ため、なるべく口には出さないようにした。
 四十歳を過ぎたころ、ちょっとした縁から、書いた小説を念願の文芸誌に載せてもらうことが叶った私に父が言ったことがある。
――阿吽の呼吸の阿形と吽形というのがあるだろ。阿は、物事の始まりを意味しているんだ。吽がおしまいだ。
――それが?
――お話をどこから始めていいか分からない時は、阿形から始めればいい。
 偶然にも、金剛力士像の話から書きはじめることになったのは推敲中に気づいた。

 父は今年の春に肺がんの転移が首から肩のあたりのリンパ節に見つかり、それから二ヵ月後に亡くなった。その二ヵ月のことを私はこの小説で書こうとしているのだが――結果的に書かない可能性もある――転移があったということはもともとの癌があったというわけで、阿吽の「阿」としては、原発性の肺がんが見つかった二年前のことを書く必要がある。
 きっかけはやはり頭痛だった。年末だというのに割れるような激痛をどうにもすることができず、閃輝暗点があったため恒例の偏頭痛だと確信し、「常備薬」を飲めば大丈夫だろうと軽く考えていたところまったく良くならず、いつものパターンが通用しない時ほど人は焦ることもないのだろう、家の近くの総合病院に駆け込んだ。が、これまで原因不明だった頭痛の原因がそこで突如として分かるわけがなく、馴染みの薬を処方されるだけで、そのことに嫌気が差したために父はいつになく粘り腰で、
――原因を調べてほしい。医者ならできるだろう。
 と頼んだのだという。強い口調だったのか、懇願するようだったのか。金剛力士顔に効果があったのかもしれない。医師はやぶれかぶれ的に、
――CTでも撮ってみますか。
 と全身の検査をした。父はこれまでの人生で何度もCT検査を受けてきたが、結局、頭痛の原因は明らかになったことがない。今度も間違いなく空振りだろうとはなから期待していなかったらしく、確かにそれは頭痛に関して言えば正解だったが、ついでのように肺がんが見つかった。
――これは気になりますね。
 白い部分を指差した医師は父に説明をし、年明けにもう一度、専門の医師に確認をしてもらいましょうと言った。
――先生は専門の医師ではないんですか。
――ええ、専門の医師に判断してもらったほうがいいでしょう。
 母から一人息子の私に連絡が来たのは、その後だった。
――もしかするとお父さん、肺がんかもしれないんだって。

(続きは本誌でお楽しみください。)