| 波 2006年5月号より |
石田衣良『眠れぬ真珠』 藤田香織
本書を読んで、思い出したことがある。 数年前、インタビューをさせてもらった際に、とあるベテラン女優のAさんから言われた言葉だ。 春間近な三月の暖かい日だった。その日、私は黒いブーツに黒のロングスカート、同じ素材の黒いシャツを着ていた。 「黒い服」に特別な思い入れやポリシーがあったわけではない。ただ「黒は便利」だと思っていた。なんとなく、控えめな感じもするし。実際、それは働く女子の共通認識でもあって、その日同行した女性編集者も黒のパンツ・スーツを着用していた。別に珍しいことではない。よくある、通常ならば話題にもならない、取材時の服装。 ところが、取材場所のホテルの部屋に到着したAさんは、立ち並ぶ私たちを見て「まぁ!」と小さく声を上げたのだ。「羨ましいわ。黒い服を躊躇いなく着られるなんて」。パールホワイトのニットに身を包み、悪戯っ子のような目で私たちを見ながら、彼女はさらに続けてこう言った。 「女はね、年を取ると、段々黒い服が似合わなくなるのよ。私なんてもう十年以上、お葬式のときにしか着てないわ」と。 今思えば、インタビューはそこから膨らませていくべきだった。「黒が似合わなくなった」と感じたのは、何がきっかけだったのか。そこにどんな思いがあったのか。けれど、当時の私はそれに気付かず、大女優が世間話で場を和ませてくれた、と喜んでいた。なんとも鈍くて、うんざりするほど若かったのだ。 石田衣良の新刊『眠れぬ真珠』は、「大人の女」の物語である。 主人公の内田咲世子は、これまでの石田作品のヒロイン中、最高齢の四十五歳。新聞小説の挿絵などを手掛ける銅版画家だ。バツイチで、子供もいないが、仕事は順調。父の遺した逗子の別荘にアトリエを構え、体重三十キロのアフガンハウンドと暮らしている。住む家があり、好きなことを仕事にし、多少の贅沢が許されるだけの収入がある――加えて、気ままにベッドを共にする男だっている。相手の三宅には妻がいるが、別に結婚なんて望んでいないから問題はない。このままそう「悪くない人生」が緩やかに続いて行くのだろうと思っていた。 だが、気になることがひとつ。一年ほど前から咲世子は時折、身体の火照りや急激な発汗、幻覚に襲われることがあった。更年期障害によるホットフラッシュ。身体は、少しずつ、でも確実に女としての役割を終える準備を始めていたのだ。そんなある日、仕事の構想を練るために出かけた行きつけの店で、咲世子はひとりの青年と出会う。ウェイターとして働いていた映画監督の卵・徳永素樹。咲世子が初めて男と寝た年に生まれた素樹は、十七歳も年下だった。 四十五歳の女と、二十八歳の男。現実にはそれこそ女優でもなければ、いや、女優だっておいそれとは飛び込めないこの恋を、石田衣良はゆったりと、そして無理なく描いてゆく。 「悪くない人生」だと思い込もうとする反面、更年期障害に苦しみ孤独と不安を抱えていた咲世子は素樹を愛することで救われ、将来を嘱望されながらもトラブルに巻き込まれ腐っていた素樹は、咲世子のドキュメンタリーを撮るうちに再び意欲を取り戻す。互いに支えあい、相手への思いが力になる恋。 作中、咲世子は素樹との恋愛を「期間限定」と、ある人物と約束する。そのエピソードも、愛人関係にあった三宅のもうひとりの愛人に対する態度も、三宅との関係も、そして素樹との終わり方も、彼女は常に「大人」だ。四十五歳の立派な「大人の女」。でも、完全なる「大人の女」など、どこにもいないことを、作者はよく解っている。知っているのではなく、解っているのだ。これは石田衣良という男性作家の特性だと思う。誰にも真似できない、類のない資質。だから違和感がなく、肌触りが心地良い。 学生時代から「黒の咲世子」と呼ばれ、作品はもちろん、私生活でも「黒」を唯一無二の特別な色としてきた咲世子が「黒」から卒業してゆく過程も、女性読者なら胸に迫るものがあるだろう。 「わたしたちには未来なんて、ないのよ」 「でも、現在がある」 ラスト近くで交わされる咲世子と素樹のこの会話から続く場面には、切ないけれど、とてもあたたかな光が満ちている。 (ふじた・かをり 書評家)
【対談】 エイジズムを超えた恋愛(香山リカ×石田衣良) |