波 2007年2月号より

周到な伊坂マジックの世界

伊坂幸太郎『フィッシュストーリー』

羽田詩津子


 わたしが最初に出会った伊坂作品は『重力ピエロ』である。そのとき感じたのは、え、こんな小説読んだことがない、という、すがすがしいほどの驚愕と、胸のときめきだった。まるで、長く探し求めていた幻の恋人にいきなり巡り会ったかのような。あわてて『ラッシュライフ』を読み、それ以来、伊坂ファンの一人として、新作が出るたびに幸せな時間を過ごしている。
 だが白状すると、『重力ピエロ』を読んだとき、斬新な小説世界に酔いながらも、この奇想天外な世界を理解できる人は少数派かもしれないと思った。それに、作品のあちこちにちりばめられた作者の音楽や文学へのこだわりに共感できる人も、限られてくるかもしれないと。そして、その「少数派」の一人になれたことに、不思議な優越感を味わったものだ。しかし、結局、その予想は見事に裏切られ、彼の作品世界は多くの人に受け入れられた。読者は、既存の小説では味わえなかった新しい魅力的な小説世界を求めていたということだろう。
 四つの中・短編からなる『フィッシュストーリー』にも、いい意味での荒唐無稽さが健在である。たとえば冒頭の短編には、夜の動物園で、シンリンオオカミの檻の前に寝そべっている元動物園職員の永沢という男が登場する。彼が動物園にいると、「動物園全体にエンジンがかかった感じになるんだよ。空気が震えて。嬉しそうで」と登場人物の一人はいう。つまり、永沢は「動物園のエンジン」だというのだ。すると、登場人物たちは、突っ立ったまま目を閉じて、エンジン音が聞こえてこないか耳を澄ます。
 こんなふうに、物語は常に現実とずれたところで進んでいくが、気がつくと読み手は伊坂ワールドにはまりこんでいる。それを支えているのは、周到に練り上げられた会話のキャッチボールだ。一見、脱力した、流れにまかせた会話のようだが、実は現実と非現実を違和感なく溶けこませるために、作者は緻密な計算をしているのではないかと思う。
 とりわけ「サクリファイス」は、山里の住人と、『ラッシュライフ』や『重力ピエロ』で登場した泥棒の黒澤との会話のやりとりだけでストーリーが進行していくといっても過言ではなく、その巧みさに舌を巻いた。そして表題作の「フィッシュストーリー」は、「二十数年前」「現在」「三十数年前」「十年後」の長い歳月を「僕の孤独が魚だとしたら、そのあまりの巨大さと獰猛さに、鯨でさえ逃げ出すに違いない」というフレーズを軸につないでいき、ひとつの物語を浮かび上がらせている。予想を軽やかに裏切る弾むような会話の流れという伊坂マジックによって、読者は小説世界の奥深くまでひきずりこまれてしまう。それだけに、伊坂さんの本は電車の中では読まない方が無難かもしれない。ついふきだしてしまい、けげんな視線を浴びる羽目になるからだ。
 この作品集でいちばん印象に残っているせりふは、「ポテチ」で、ビルの屋上から今まさに飛び下り自殺をしようとしている女性を制止しようとして青年がいう言葉だ。「キリンに乗ってくから!」「見たいだろ。俺なら見たいよ。仙台の街のそのビルの屋上に、キリンだよ。俺なら見てから死ぬね」
 笑いながらも、胸の奥にじわっと熱いものが広がった。ちなみに、このせりふを口にする泥棒見習いの今村は、『ラッシュライフ』にも登場している。引力の法則やピタゴラスの定理を「自分で」発見するユニークな青年だ。彼のはらはらするほどの熱さは、黒澤の「俺には、人にとって大事なことが分からない」というクールさと見事な対比をなしている。
「ポテチ」のラストでは、このコンビにやられた。まさにやられた、という言葉しかなく、鼻の奥がツンとした。自分がその場にいるような錯覚に陥り、はしゃぎながら今村とハイタッチをしたくなったのである。


(はた・しづこ 翻訳家)