波 2006年10月号より

カラッとスッとぼけて

ガブリエル・ガルシア=マルケス
『わが悲しき娼婦たちの思い出』

立川談四楼


 こんなソソる書き出しは初めてです。とにかく「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、自分の誕生祝いにしようと考えた」というのですから。
「うら若い処女」を「狂ったように愛して」です。しかも「自分の誕生祝いにしよう」ですからね。何より目を引かれるのは「満九十歳の誕生日に」でしょう。九十歳です、九十歳。一体どうなっているんだと度胆を抜かれ、正気かと思い、その先が読みたくてたまらなくなるわけです。
 この著者の作品には、百五十歳、二百歳の登場人物がザラとは聞かされてました。それから『百年の孤独』という空前のベストセラーがあることは知ってました。我が国においては、どこやらのセンスのいい人が焼酎にその名を拝借したことも。もう一つ、ノーベル賞作家であることも。
 乏しい知識ですが、それらを知ってなお、「九十歳」という設定の主人公には驚きました。矛盾を承知で言いますと、かえって生々しいリアリティーすらあるのです。
 独身、馬づら、醜男。しかし玄人を相手にしては歴戦の強者で、何と相手は六百人超。そんな主人公は、このところご無沙汰だった娼館に乗り込みます。女主人が世話してくれた少女は十四歳、いよいよ「うら若い処女を狂ったように愛」する展開になるのかと思ったらさにあらず、何と主人公は少女に指一本触れず、帰宅するのです。
 寄る年波で、というのではありません。意外や、主人公は少女に恋心を抱くのです。その後も何度かともに時を過ごすものの、やはり指一本触れず、やがて娼館で殺人事件が起こり、少女は女主人とともに姿を消します。この時に主人公が少女を探し回るさま、少女が身の回りにいるかのごとき妄想は、九十歳のそれではなく、青年の苦悩そのものです。
 主人公は、少女のことを「恋愛論」として新聞のコラムに書き、それが読者の論争を巻き起こします。そうです、主人公は九十歳にして新聞社の名物コラムニスト、町の名士なのです。つまり表向きはジェントルマンの顔を保ちながら、裏では娼館通いのジジイとして描かれるのです。
 少女と再会するまでの一年間、九十一歳の誕生日までが描かれます。どんな再会になるかは読んでのお楽しみということになりますが、読後に湿った印象がないのはなぜでしょう。川端康成の『眠れる美女』をモチーフに書かれた小説であるにも拘らずです。
 著者がコロンビア出身で、小説の舞台もコロンビアの港町、ということと関係があるのでしょうか。それでこそラテン民族、ということなのでしょうか。日本人好みの情緒情趣は強調されず、主人公にはユーモラスな雰囲気すら漂うのです。もっと言えばスッとぼけた味わいがあります。これはいくらなんでもノーベル賞作家に失礼でしょうか。私はカラッとした文体と主人公を大いに気に入りましたが。


(たてかわ・だんしろう 落語家、作家)