| 波 2005年3月号より |
早川謙之輔『木に学ぶ』(新潮新書) 早川謙之輔
私の住む付知町(岐阜県)から車で中津川市に向かうと、小さな峠を越えて市街に出る直前、目の前に恵那山の偉容が大きく広がる。 標高二一九一メートル。以西のどの山よりも高いという。前田青邨画伯は前山を隔ててその姿を仰いだ。熊谷守一画伯は二十五キロ北の付知から遠望した。作家の島崎藤村は長野県の馬籠側から間近に見ている。 名古屋・岐阜方向から見ると、この山は和船を伏せたような姿をしているので、「舟伏山」ともいわれる。しかし、北側から見ると、東中腹から富士見台と呼ばれる稜線がのびていて、木曽山脈に連なることがわかる。 富士見台の鞍部に、東山道の難所、日本武尊も難渋したと伝えられる神坂峠がある。今日では、車で折れ曲がる山道を抜けて峠まで行くことができるし、その下には中央自動車道のトンネルが穿たれている。 この峠のやや西に推定樹齢千年という大檜がある。近年になって発見されたもので、「神坂大檜」という。命名者は作家の高田宏さん。地名の「みさか」に檜の古名「ひ」を組み合わせたもので、今ではその名で定着している。この檜については新著『木に学ぶ』のなかで詳しく触れているが、はじめて見た時は、その巨きさに声も出ないほどであった。 馬籠も含んでいた旧・神坂村は昭和三十三年に長野県山口村と岐阜県中津川市神坂に分かれたのだが、この二月に、わが付知町も含め、中津川市に合併された。山口村にとっては越県合併ということになる。 長野県の人々の思いは複雑だろう。馬籠は藤村の郷里であり、その藤村を県民は誇りとしている。岐阜県に手放したくなかったに違いない。 付知町で長く生きてきた者にとっても、老年に中津川市民ではしっくりとこない。高田宏さんのエッセイに、大聖寺が加賀市となり、育った土地の名が失われた話があるが、今にしてその無念のほどがわかる。町には合併反対の動きもあった。ただ残念なことに、それは熊谷守一さ(「さん」の方言)の郷里云々とは無縁のものであった。 暖冬と伝えられていたが、昨年末にいきなり雪がきた。晩秋になると、この話も前掲書に書いたことだが、朴の落ち葉で雪占いをする。祖母に教えられたもので、なかなかに当たると思っているが、この冬は多雪と出ていた。 恵那山も今は雪をかぶって白い。神坂大檜も深い雪に埋もれて立っていることだろう。 付知町はこの二月まで恵那郡だった。幕末までは尾張領だった。しかし、江戸時代の六百年も前にこの神坂大檜は生きはじめているのである。 (はやかわ・けんのすけ 木工)
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