波 2005年9月号より

20年前への旅

吉崎達彦『1985年』

吉崎達彦


 その昔、ケータイがなかった頃、渋谷で人と待ち合わせることは一苦労だった。「午後七時に忠犬ハチ公前」程度の大雑把な約束だと、あふれんばかりの人の群れから、目指す人物を見つけ出せないことがあった。当時の筆者の常套手段は、待ち合わせ場所を「ハチ公の尻尾の延長線上にあるコインロッカーの前」に限定することだった。
 という話を、今時の若い女性にしたらビックリされた。彼女たちは「七時に渋谷でね」くらいのユルい約束を交わし、七時近くになってからケータイで居場所を教えあう。余計なお世話だが、ケータイがなくなったらどうするのだろう?
 ところで、筆者がハチ公の尻尾を目印に使っていたのは、今からほんの二○年くらい前のことである。四○歳以上の人なら、その手のことは誰でも記憶しているだろう。今となっては無用な知識だが、あらためて当時を想起すると、意外なほどの距離感がある。
 思うに、遠い過去のことは歴史として残っている。ちょっと前のことであれば、誰かに聞けば分かる。ところが二○年前は、ポテンヒットのような頃合いである。知っているはずなのに忘れている。あるいは正確に調べてみると、思いがけぬ記憶違いをしている。
 二○年前といえば、政治、経済、社会のいろんな面で、日本が曲がり角を迎えていた時期である。この時代を検証する作業を始めて、その面白さに熱中してしまった。歴史は普通、タテに読むものだが、ある時代を切り取って、ヨコに見てみるのも興趣が尽きないのである。
 一九八五年。世界はまだ冷戦の最中にある。ゴルバチョフがソ連の書記長になって、レーガンと首脳会談を行った。中曽根首相が八月一五日に靖国神社に公式参拝した。日米通商摩擦が激化して、プラザ合意があって、円高が始まった。ハイテク国家・日本を象徴する科学万博つくば'85が開催され、電電公社が民営化されてNTTになった。
 日航機墜落事故があった。阪神タイガースが二一年ぶりに優勝した。テレビではドラマ「金妻」が流行って、小林明子の「恋におちて」がヒットした。団塊世代の先頭は当時三八歳。日本人は全体にまだ若く、経済は右肩上がりの途中。日本車は小型車が中心で、地下鉄には冷房が入っていなかったが、日本経済には午後二時の眩しさがあった。日本人が「坂の上の雲」を仰ぎ見た最後のときであったかもしれない。
 二○年前への旅には、どこか不思議な幸福感がある。多くの日本人にとって、一九八五年はきっといい時代であったのだろう。そして当時を回顧するとき、人は今より二○歳若かった自分を懐かしく思い出すことができる。一人でも多くの読者に、二○年前への旅をお勧めする次第である。


(よしざき・たつひこ 双日総研副所長)