| 波 2005年12月号より |
情緒こそが人間を幸福にする 藤原正彦『国家の品格』 山田太一×藤原正彦
■GDPが半分になっても ■情緒が創造性を育む 歯どめが必要 藤原 初めまして。今日はよろしくお願いします。 山田 昔、小さな賞の選考でお父様の新田次郎さんと御一緒してたんですよ。本当に古武士みたいな風貌の、頑固な方で。 藤原 そうですね。 山田 息子さんが数学者におなりということはもちろん知っておりましたが、やっぱり回り回って武士道に戻られたのかと、この本を読んで感慨がございました。とても面白く読ませていただきました。 藤原 「国家の品格」とか言ってるわりには本人が下品なんで、対談を断られるんじゃないかと心配しておりました(笑)。 山田 教えられるところがいろいろありましたし、とても共感しました。合理性を重んじるアメリカに三年間いらして、それからイギリスを経験なさって、その結果として日本の情緒と武士道に還るというプロセスも、とても納得できました。私自身は「武士道に戻るべきだ」とまでは思っているわけではありませんが、今の時代に対する腹立たしさみたいなものは、藤原さんと同じだと思います。 藤原 私の場合は、すでに獲得された自由とか平等とか、あるいは「論理」とか、そういうものが行き過ぎになっているので、ちょっと歯どめをかけて、揺り戻しをしたいという思いがあります。 山田 なんにせよ歯どめが必要ではないかというのは、かなりの人が問題意識として持っていることだと思います。その一つとして武士道を掲げられたわけですね。 藤原 そうなんです。ただ、武士道を普及させるといっても、今七十歳以下の人は武士道を教えられませんよね。有効な手立ては読書文化の復活と活字文化の復活です。そのことは、この本でもしつこいくらいに書いておきました。 「弱さ」が認められる国 山田 そこは本当に難しいところで、私自身は、「歯どめ」の一つは、人間の弱さを感じることだと思うんです。人間は、例えば洪水が起こると非常に無力であることを思い知る、地震が起きると非常に無力感にとらわれる。生身の人間にとっては、あるところまで行くと「壊れてしまうよ」というポイントがあるわけです。 気づきにくいけれど、経済のグローバリズムというのも、すでに人間を物すごく壊していると思うんですね。 藤原 それは私の実感と一緒です。 山田 前にリニアモーターカーの実験で、スピードはすでに出せるけれども、その速度だと乗っている人間が死んでしまう、という話を読んだことがあるんです。リニアモーターカーの場合には、とにかく歯どめが見つかる。しかし、経済のグローバリズムでは、すぐにはダメージが見えません。 そろそろ人間の可能性ではなくて限界の方に光を当てるべきじゃないか。実は「人間の可能性」が私たちを幸福にしなくなってきてるんじゃないか。そういうことを藤原さんの本を拝読していて思いました。 藤原 山田さんのお話を伺っていて、一つ思い出したことがあります。知り合いの非常に優秀なアメリカ人女性で、日本に二年ぐらい住んでいた人なんですけど、彼女は「日本にいるとすごく気が休まる」と言うんです。アメリカにいたら、常に強く生きていないといけないが、日本は弱さを出しても認められる。こんな国は欧米にはない。そこが日本を一番好きな理由だ、と。 このことは山田さんのおっしゃった人間の幸福ということとつながっていると思うんです。私はグローバリズムとか市場経済を徹底的に糾弾しているわけですけれども、あれももともとはアダム・スミスのころから、それぞれの人間が利潤を最大にするように利己的に働けば、社会全体が神の見えざる手に導かれるという……。 山田 予定調和ですね。 藤原 予定調和でこの社会がうまく行くと。しかし、そこにあるのは結局、お金の概念だけなんです。人間の幸福はどこにもない。現在はやっている市場経済も全く同じです。何をするにも「消費者のため」と言いますよね。消費者が安く米を買えれば、日本から百姓がいなくなって、美しい田園がなくなってしまっても構わない、と。 つまり、流行中の新古典派経済学は根本的に間違っていると思うのです。人間の幸福は眼中になく、個人や社会の富裕度をいかにして高めるかしか考えない。「穏やかな心で生きる」を価値として認める余地などどこにもないですから。 山田 松竹の撮影所にいた頃、私が助監督としてついていた監督に木下惠介さんがいましたが、木下さんは強い人を描かなかったですね。弱い人を描いていた。弱いけど美しいというんじゃなくて、弱いからこそ美しい。口ごもるから美しい。相手とコミュニケーションをすぐできないから美しい。そういう人を描いていました。 考えてみれば、私たちは開かれた人間関係ばかりを求めているわけじゃないですよね。閉じられた人間関係、閉鎖的な場所、弱さ。そういうネガティブと言われているものを、実はとても必要としている。合理的なことばかりを進めていくと、本当に幸福感がなくなると思います。 GDPが半分になっても 藤原 ドナルド・キーンさんがこういうことを言っています。生きているものがいなくなったり、古い建物が消えたりすると、欧米人でも悲しむ。しかし、儚いものに美を見出すのは日本人だけだ、と。木下さんの話は知りませんでしたが、口ごもることの美しさとか儚さの美とか、そういう美意識は日本人がとりわけ鋭いですね。 こういうものはローカルに思えますけれども、実はグローバルであって、非常に普遍的なんですね。欧米が遅れているだけなんです。私は向こうの大学で何年も教えていて、彼らのレベルも知っていますから(笑)、連中の首っ玉を捕まえてきて教えこんでやりたいですよ。 山田 ずいぶん勇ましいなあ(笑)。 藤原 ここ四世紀、五世紀の世界は、合理主義とか人間中心主義とかいう、究極的には人間を幸福にしない考え方に支配されてきた。そういう病に対する答えというものを、日本は豊富に持っていると思うんです。本当は「日本の逆襲」と言いたい。日露戦争に次ぐ、今度は精神面での欧米への逆襲である、と。山田さんは平和主義だから「逆襲」という言葉には抵抗を感じられることと思いますが。 山田 もちろん基本的には賛成ですけれども、しかし農村を守るとか弱さを評価するとかいうことをしていると、経済的にはどうしても落ちていきますよね。「経済的に落ちているけれども格好いい」というところまで持っていかないといけない。そのことに現在の日本人が耐えられるかどうか。 藤原 私がこの本で「国家の品格」の条件としたのには四つあって、その中の一つが「美しい田園」なんです。美しい田園が保たれていることは、その国が金銭至上主義に毒されていない証です。もう一つ、学問や芸術など、「役に立たない」活動が盛んであること。こうしたものがなくて経済だけが発展している国は、腹の底で世界中にばかにされるんですね。 「国家の品格」を守るためには、たとえGDPが半分になってもいい。日本の人口はこれから半分になりますが、GDPも半分になればいい。たかが経済です。それよりも、美しい田園や、伝統的な国柄を取り戻す。そのことを、また戦闘的ですけれども、今度は全ての日本人の首っ玉を捕まえて教え込みたいんです(笑)。 山田 でもそれは本当に難しいことですよね。国民全体のセンスを上げることは。 藤原 それでも他国はともかく、日本だけはそういう国にしたいですね。そのためにも、まず小学校で国語教育を徹底的にやる。初等教育は一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下。 山田 それは共感しますね。 藤原 国語力により読書に対するバリアをなくす。読書をすれば、いろんな感受性や情緒が発達してきます。無論、実体験や芸術や自然に親しむことも大切です。論理性や合理性だけを追求して情緒が未発達だと、結局は人間としても伸びないんです。 情緒が創造性を育む 山田 近親者の死とか病気とか、マイナス体験こそが情緒を培うことも多いですよね。だから、マイナス体験を合理的に片付けようとして、カウンセラーによって切り抜けさせたりするのはとても間違っていると思います。 藤原 欧米の発想ですね。対症療法です。 山田 深く悲しむ、あるいは簡単に忘れることでも人間は傷つきますよね。あんなに仲がいい友達が死んだのに、自分はこんなに早く回復してしまうのか、と。マイナス体験は、僕は物すごく豊かなものを持っていると思うんです。 藤原 私がケンブリッジにいた時、オックスフォードに十六歳でドクター論文を書いた女の子がいました。彼女は父親の方針で幼い頃から数学だけに邁進し、十七歳で海を渡ってハーバードの講師になった。いま三十代前半のはずですが、ここ十年、数学界で彼女の名前を聞いたことがありません。結局、友達と遊ばず、小説も読まず、失恋もしないまま一つの道を究めても、天井までは到達できても最終的に天井を突き破るまではいかないんです。 日本は数学の天才をたくさん出していますけど、これは日本が情緒の国であることと大いに関係している。一見無駄に見えることこそが独創性を育んでいるわけです。 山田 自然は飛び級ができません。人間も実のところ飛び級はできないと考えていいと思いますね。 藤原 特に情緒力はそうですね。技術力は飛び級できますが。三歳児を私に預けてくれたら、五歳までに微積分を教え込めます。そんなのは簡単なんです。しかし、それで数学者として大成するかというと、そんなことはない。創造性のある活動が営まれるには、美しい情緒が必要です。美しい情緒や形に満ちた品格ある国家こそが、日本の進むべき道だと思うのです。 (やまだ・たいち 脚本家・作家)
(ふじわら・まさひこ 数学者) |