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仁義なき日本沈没―東宝vs.東映の戦後サバイバル―

春日太一/著

924円(税込)

発売日:2012/03/16

  • 新書
  • 電子書籍あり

ヤクザ映画vs.SF大作。1973年の大勝負。日本映画の興亡に躍った、映画人たちの熱いドラマ!

境界線は一九七三年。その年に公開された『仁義なき戦い』と『日本沈没』の大ヒットによって、日本映画の“戦後”は葬られ、新たな時代の幕が開いた。東宝・東映の両社は、いかにして斜陽期をサバイブしたのか。なぜ昔の日本映画にはギラギラとした活気がみちあふれていたのか――。エリートvs.梁山泊、偉大な才能の衝突、経営と現場の軋轢など、撮影所の人間模様を中心に描く、繁栄と衰亡に躍った映画人たちの熱きドラマ。

目次
はじめに
第一章 二つの戦後 東宝争議と東横映画
I 東宝争議
終戦/自由主義の牙城/東宝争議のはじまり/理想郷の建設/クーデター/労使対立/第三次東宝争議/兵糧攻め/米軍vs.撮影所

II 東映の誕生
東横映画/大日本映画党/独立への道/撮影所から夜逃げ/東映の誕生/大川の「改革」/東映はらわんと/東映と東宝の提携、そして決裂
第二章 時代劇戦争
日本映画の活況/二本立て興行の確立/『笛吹童子』の大ヒット/徹底した娯楽主義/美しきスターたち/東宝の製作再開/『七人の侍』/黒澤プロの誕生/東映時代劇の否定/リアルな殺陣/驕る東映/『椿三十郎』の一騎打ち/黒澤ショック
第三章 岡田茂と藤本真澄の斜陽期サバイバル
鬼の岡田/岡田茂の改革/任侠映画のスタート/藤本真澄の善良性/エロと暴力/岡田の若手抜擢/若手を拒む藤本/時代を見失う藤本/組合の復活/大作の復活/三船プロ陥落/止まらない不振/孤塁を守る「八・一五」シリーズ『軍閥』/頭は空っぽだ!/藤本奪権運動/力尽きる八・一五『沖縄決戦』/東映のお家騒動/岡田茂、社長になる/砧の問題/藤本真澄、社長になる/行きづまる任侠映画/藤純子の引退/お蔵と不入り/勝プロの快進撃/八・一五の終焉/黄昏のゴジラ
第四章 戦後日本の総決算 『仁義なき戦い』から『日本沈没』へ
『仁義なき戦い』のスタート/脚本のバイタリティ/深作欣二、京都へ/衝撃の深作演出/『日本沈没』のスタート/最高のチーム/リアルを作る/木村大作の台頭/戦後社会の生きにくさ/現代日本への警鐘/虚しい死
最終章 幸福な関係の終焉
二本立て興行の終わり/フリーブッキングの時代へ/東宝映画の合理化/プロダクションの苦悩/東映の手詰まり/映画村のスタート/テレビへの進出/藤本真澄の最期/「昔はよかった」
おわりに
主な参考文献

書誌情報

読み仮名 ジンギナキニホンチンボツトウホウヴァーサストウエイノセンゴサバイバル
シリーズ名 新潮新書
発行形態 新書、電子書籍
判型 新潮新書
頁数 256ページ
ISBN 978-4-10-610459-6
C-CODE 0274
整理番号 459
ジャンル 演劇・舞台、映画
定価 924円
電子書籍 価格 660円
電子書籍 配信開始日 2012/09/14

書評

波 2012年4月号より 「優等生」と「不良」の戦後映画史

川本三郎

日本映画史の本はいくつかあるが、本書が新鮮なのは、映画会社の活動に的を絞ったことにある。作品によってではなく、映画会社の動静によって戦後の映画史を辿る。作品論、監督論と違う。いわば文化としての映画ではなく、産業としての映画、ビジネスとしての映画に着目する。
そしてその際に東宝と東映という対照的なふたつの映画会社を主役に据え、ライバルどうしの戦いによって語ってゆく。両極から映画史を語る。卓見である。山あり谷ありの波乱のドラマになっていて、本書自体が一本の映画のようだ(どちらかといえば東宝より東映の映画に近い)。
いちおう戦後映画史のおさらいがなされる。「来なかったのは軍艦だけ」といわれた東宝争議、東映の誕生と初期の苦戦、「笛吹童子」「紅孔雀」のヒットによる東映時代劇の確立、黒澤明の「七人の侍」による東宝の巻き返し、さらに黒澤明の「用心棒」と「椿三十郎」が東映時代劇に与えた衝撃……と映画史の重要な出来事が、あくまでも映画会社の動きに即して語られてゆく。
昭和三十三年(一九五八)は映画人口が十一億二千七百万人という戦後最高の数字を記録した、まさに日本映画の黄金時代である。映画の質、量でも現代とは比較にならない強さを誇った。質、量に加えてもうひとつ、この時代の特色は、各映画会社がそれぞれのカラーを持っていたこと。
春日太一さんはそこに気づき、とりわけカラーの違う東宝と東映のあり方を対比的に論じてゆく。東宝は都会的で、サラリーマンものや文芸映画に強い。それに対して東映は子供向きの時代劇「笛吹童子」と「紅孔雀」がヒットして以来、徹底した娯楽映画路線を取った。
この両者の差を、自社の映画館の立地条件に求めているのが面白い。東宝が銀座や渋谷、新宿など山の手に映画館を持っているのに対し、東映は下町や地方に映画館が多い。だから東映の製作責任者、マキノ光雄は立地条件に見合った「ブルーカラー向けの泥臭い映画」を作ることにした。それが成功して東映時代劇は空前の活況を呈する。映画の興行に映画館の立地条件がいかに大事かがわかる。
東宝と東映では成り立ちも異なる。東宝は戦前からあった。歴史がある。何よりも大実業家、小林一三率いる阪急グループの傘下にある。阪急といえば関西の高級住宅地、芦屋を走っていることから分かるように社のカラーとして品がいい。
それに対し、東映は戦後、カツドウ屋マキノ光雄とその兄、マキノ雅弘を製作の中心に据えて設立されたが、その際、「大陸から引き揚げてくる映画人の救済」を目的にした。いわばアウトサイダーたちが集まってきた。さらに東宝争議で東宝を追われた監督たちや、レッドパージにあった今井正や家城巳代治らも受け入れた。右も左もイデオロギーは関係ない。映画が好きならばいいというカツドウ屋精神だった。
東宝が優等生とすれば東映は不良だった。だから映画産業が斜陽化していったあと、東映は十八番の時代劇に見切りをつけ、任侠映画を作ることが出来たし、さらにそれもあきられると、こんどは実録ものへ変わることも出来た。エログロと呼びたい異常性愛ものまで登場した。上品な東宝ではまず考えられない映画が次々に作られていった。
東宝を代表するプロデューサー、藤本真澄が暴力とエロを嫌ったのに対し、東映の社長となった岡田茂はなんでもありと開き直った。二人の個性の違いが会社のカラーの違いを強めていった。
東宝と東映のもうひとつの大きな違いとして、東宝は興行と配給に力を入れるのに対して、東映はあくまでも製作主体という対比も面白い。東映のほうが現場のカツドウ屋精神にあふれている。
ビジネスとして見れば東宝のあり方のほうがリスクは少ない。製作は他のプロダクションにまかせて、配給、興行だけを手がける。現在、東宝のひとり勝ち状態が続いている一因はここにある。
「日本の産業は、ものを作る側より、売る側が圧倒的に有利な構造になっている。それは映画界も同じで、製作よりも配給・興行の方が発言力は強い」。産業としての映画を見た時にここに大きな問題があるようだ。
本書にはヒット作の話だけでなく、期待されながら目をおおうような数字しかあげられなかった失敗作の話も多く、これも面白く読ませる。敗北のなかにこそドラマがある。

(かわもと・さぶろう 評論家)

著者プロフィール

春日太一

カスガ・タイチ

1977(昭和52)年東京都生まれ。時代劇・映画史研究家。日本大学大学院博士後期課程修了(芸術学博士)。著書に『天才 勝新太郎』『仁義なき日本沈没』『仲代達矢が語る 日本映画黄金時代』『あかんやつら』『なぜ時代劇は滅びるのか』『五社英雄』『役者は一日にしてならず』など。

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