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資本主義の「終わりの始まり」―ギリシャ、イタリアで起きていること―

藤原章生/著

1,430円(税込)

発売日:2012/11/22

  • 書籍
  • 電子書籍あり

いま南欧に在る危機の真の意味と、「来るべき世界」の可能性とは?

EU金融危機の本質とは、単なる財政破綻問題ではなく、資本主義そのものが変容する前兆ではないか? 我々の意識の底で、成長至上主義が終わろうとしているのではないか? ローマ駐在の新聞記者が、南欧の街頭で市民の話に耳を傾け、歴史や哲学、政治、経済などの碩学の知見も集め、資本主義の「次の形」を探求した刺激的論考。

目次
第一章 アンゲロプロスが遺した言葉
アンゲロプロスの死/扉は開く/人間同士の関係とは
第二章 危機の中の緩く、もの悲しいギリシャ
アテネ暴動を見に行く/見物人たちの意外な反応/当局を常に疑う気質/ないに等しい遵法、納税意識/当てにならない数字/決して変えない生き方/日本の若者の手本ではない/貸した方が悪い
第三章 捨てられた首相
直感には理由がある/的中したアンゲロプロスの予言/国の信用を決める国債の利回り/ギリシャの二の舞/重鎮、シミティスの言葉/ギリシャで起きた奇妙なこと/国民投票/始まっていた謀反/見抜いていたギリシャ国民/座に恋々として大見得/そしてイタリア
第四章 福島の影響
「もう、うんざりだ」/「日本人の犠牲に感謝する」/三月十一日、リビア/ローマ人の過剰な反応/イタリア人の死生観/消えたベルルスコーニ話
第五章 「扉」の手前で何かが動き出した
何かを伝える手法/ウェブが運動を広めた/「福島が僕らに合致した」/暴力派と非暴力派/変わった政治運動の形/「低資源国」の終わり/世界の変化に追いつけない政治/疲弊するだけのイタリア/止まらない雇用の悪化/終身雇用の終わり/短期契約で起業もできず/大学は出たけれど/爆発するとすれば大学から
第六章 「扉」の向こう側
精神は変わるのか/新世界と旧世界の齟齬/西洋の“限界”/「南の思想」/高速化が奪う記憶と未来/地中海、アフリカ的視点を/実体経済に戻ろう/農業回帰などできるのか?/小さくまとまる/キロメトロ・ゼロ
第七章 家族、コミュニティーの復活
グローバル化で足元掘り下げ/薄っぺらな時代/家族のつながり/村のコミュニティー/福祉なしで何とかしのぐ/際立つ政治不信/「脱成長」はスローガン
第八章 資本主義の危機
息のつまる宗教/「信仰」と「信託」/人間性のアメリカ化/無限のシステムはない/どうやって落ちていくのか/大学の危機と社会の「博物館化」/前進をもたらさない技術
第九章 イタリア、ギリシャとつながる福島
お金をもらうたび怒りがつのる/故郷喪失と未来喪失/世代が時代をつくり、時代が世代をつくる/変化を知る世代/四十代の特徴/三十年後の世界/アンゲロプロスの結び
あとがき
主な参考文献

書誌情報

読み仮名 シホンシュギノオワリノハジマリギリシャイタリアデオキテイルコト
シリーズ名 新潮選書
発行形態 書籍、電子書籍
判型 四六判変型
頁数 256ページ
ISBN 978-4-10-603719-1
C-CODE 0033
ジャンル 経済学・経済事情
定価 1,430円
電子書籍 価格 1,144円
電子書籍 配信開始日 2013/05/31

書評

うんざりした時代の光明

内山節

 世界はいま、変わらざるをえないところに追い詰められている。何が原因なのか。どのように変わろうとしているのか。
 この問いに対する答えを、主にイタリアのさまざまな学者や、社会の現実と向き合っている人たちとのインタビューを重ねながら、今日のギリシャ、イタリアといった南ヨーロッパの情況からみつけだそうとする試みが本書である。この作業からみえてきたもののひとつ、それは、資本主義に内在化されている非合理な本質が、現在、顕在化してきているということだった。
 資本主義は、市場を通して合理的に展開する経済システムだと思われがちである。できるだけ規制を緩和し、市場に委ねていくのがもっとも合理的な結果をもたらすと考える市場原理主義が登場してくる土台もここにある。だがこの本に登場してくる多くの人々は「そうではない」という。資本主義はいくつもの非合理な前提の上に成り立っている「宗教」のようなものなのだと。
 永遠に経済成長を遂げつづけるという前提のもとに、このシステムは動いている。それはありえない非合理だ。自然を共存のパートナーとするのではなく、経済の資源として人間の手段にしていくシステム。ここにもいつか破綻するであろう非合理が内在されている。もっとも大きな非合理は、経済が神のように振る舞い、政治も社会も、文化でさえ経済の奴隷に変えてしまうことだ。そのことが社会や人間関係、家族や地域などをゆっくり、ときに急激に破壊しながら、人間社会の持続性を危機に陥れていく。それらを怠惰に受け入れてきたのが、資本主義の時代であった。
 これらの非合理が、ギリシャやイタリア、スペインといった国々では、国家の経済破綻とともに現実化し、経済的利益の追求がときに社会を「終わらせ」てしまいかねないことを教えたのが、福島の原発事故だった、と本書は訴える。
 私たちはこれまでとは異なる構想力をもって、新しい時代の扉を開く必要性に迫られている。とするとその構想力はどこから生まれるのか。それは過去と向き合うことからだと登場人物たちは語る。資本主義によって何が失われたのかを知ること、それが未来への構想力を生みだすのだと。そして無意識のうちにそれを知っているがゆえに、今日の社会改革運動は、近代的なイデオロギー対立や政治対決のかたちを回避している。それは家族のとらえ直しであったり、地域やコミュニティの再創造であったりする。あるいはそういうものを根底に置きながら、ネットをとおして自由に結びあう、指導者のいない社会運動だったりする。
 資本主義とともに生まれた仕組みに人々がうんざりしはじめた時代、そこに今日の現実と未来への可能性をみる、本書の深さはそこにある。

(うちやま・たかし 哲学者・立教大学大学院教授)
波 2012年12月号より

担当編集者のひとこと

うんざりする時代の「向こう側」

 最初に著者・藤原さんの原稿を読んで、その言葉を目にしたとき、「ああ、同じなんだ」と思いました。第4章の冒頭で、イタリアのコメディアン兼政治活動家であるベッペ・グリッロがこんな意味のことを言っています。――イタリア人は政治家や政治に、もううんざりして疲れています。結局、明るい未来なんてなくて、残ったのは借金だけ。僕たちはそうした人たちに寄り添うだけなんです。
 この師走、日本でも総選挙があります。今までも、誰に、どの政党に投票するかはさんざん迷いましたが、今回ほど、「うんざり」した気持ちにさせられたことはありません。第三極だ、野合だ、反TTPだ、脱原発だ……次々にできる新政党の政治家たちがてんでに主張するスローガンやお互いを批判する言葉を聞くと、もう勝手にしろよと言いたくなります。
 アメリカでも、2008年の大統領選にオバマ氏が登場した際には、民主党を支持した人たちはバラ色の夢を見ました。しかし夢見た人たちの多くは、今回はうんざりした気持ちで投票所に足を運んだのではないでしょうか。結局、誰がやっても同じなんだ、と。
 欧州、アメリカ、日本と、資本主義体制が進んだ国はどこも今、「うんざりする時代」に突入しているように見えます。そして、そうした重苦しい気持ちが、人々の心の奥底で、ゆっくりと、しかし大きな地殻変動を起こしているのではないでしょうか。
 それが、ギリシャの映画監督で今年亡くなったテオ・アンゲロプロスが藤原さんに遺した、「扉はいずれ開く。いま私たちは待合室で待っているのだ」という言葉と重なってくるように思います。
 とても瑣末なことですが、藤原さんと私(編集者)が思わぬことで一致したことがありました。それは、スケジュール帳に関してです。10年ぐらい前は、スケジュール帳に空きがあると意識して埋めようと心がけました。今はまったく反対です。なるべく、スケジュールを詰めないようにしています。スケジュール帳に空白があればあるほど、心が軽くなっていきます。
 自分の中を流れる時間感覚が、10年単位でそれほど変わったのです。そうした小さな変化が積み重なり、いつかきっと重い扉が開き、資本主義の「終わり」が始まって、私たちを資本主義の「向こう側」に連れて行ってくれるのではないか――本書はそんな気持ちにさせられる一冊です。

2016/04/27

著者プロフィール

藤原章生

フジワラ・アキオ

毎日新聞編集委員・ノンフィクション作家。1961年福島県常磐市(現いわき市)生まれ。北海道大学工学部卒業、住友金属鉱山に入社。1989年毎日新聞記者に転じる。ヨハネスブルク、メキシコ市、ローマ特派員、郡山支局長などを経て、2015年より夕刊編集部記者。『絵はがきにされた少年』(集英社、2005年)で第3回開高健ノンフィクション賞を受賞。『資本主義の「終わりの始まり」』(新潮選書、2012年)『世界はフラットにもの悲しくて』(テン・ブックス、2014年)『湯川博士、原爆投下を知っていたのですか―“最後の弟子”森一久の被爆と原子力人生―』(新潮社、2015年)など著書多数。

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