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新潮文庫版『家族狩り』五部作──読者の皆様へ
 こんにちは、天童荒太です。『あふれた愛』以後、執筆にかかっていた作品を、ようやくお届けすることができます。急いだつもりでも、約三年の歳月が過ぎており、待っていてくださった方々には、心より感謝申し上げます。
 本作品は九五年に発表した『家族狩り』と同タイトルです。わかりやすく前作を95年版と呼ばせてください。今回は、文庫で全五部作、それぞれにタイトルを冠し、独立しても読める質の作品を目指しました。書き替えもしくは加筆訂正と思われるかもしれませんが、事情はすいぶん違っています。今回のような場合には、たとえ言い訳に聞こえたとしても、やはり皆様への確かな説明責任があると思われ、この点について書かせていただきます。
 いま現在、日々を懸命に生きている人々に、届ける必要がある物語や言葉は何か。それが作り手としての私の最も重要な創作動機であり出発点です。
『永遠の仔』の執筆と、その後寄せられた数千通に及ぶ読者の手紙により、私は明らかにそれまでの自分とは変わったことを意識しています。これをもとに『あふれた愛』を執筆し、さらに内面での成長や変化を発展させた作品を、読者に届けようとしたとき、ちょうど『家族狩り』を文庫化する時期を迎えました。
 もちろん95年版はそのまま文庫化し、いま必要と感じる問題は、まったく別の新作で展開すればよかったのでは、と思われる方もいらっしゃると思います。『家族狩り』を、前作とは違う形で、ふたたび新たに書き起こすことを選択した理由の一つは、自分の内面の問題とあわせ、現在の社会状況が関係しています。
 95年版を執筆当時、いまと同様さまざまな社会問題が起きていました。その解決案の一つとして「家族にかえろう」という風潮が、メディアや表現の世界に多く見られ、私はそれをうさんくさく感じていました。家族が崩れたことで生じた問題が多々あるのに、解決もしないまま、ともかく家族にかえろうとすると、結局は家族内の弱いものに我慢を強いることになる、ことに子どもにしわ寄せがゆくのが明らかだったからです。
 九五年以降、はたして社会は良くなったろうか……どんな事件が起きてきたろうかと考えます。以前にも増して、子どもに関係している事件、家族間の事件が目立ってきた気がします。被害者に対する想像力を欠いた、自己にとらわれた犯罪が横行し、当事者はもちろん、そのニュースにふれた人々をも傷つけています。
 一方、世界に目を転じると、多くの紛争が未解決のまま、むしろ悪化し、暴力の連鎖は、一定の地域の問題ではなく、世界規模になりつつあります。
 こうしたいまを生きている人々に、時代背景と密接に関係している『家族狩り』の物語を、旧来のまま届けることがよいのかどうか、送り手としてためらわれました。
 私には、いまのこの複雑な世界を把握したいという欲求があります。やりきれないことばかり起き、報われることの少ない世の中に、それでも生きる価値を、物語を通して模索したいという想いがあります。小さな家族の物語と、さまざまな個人の生き方が交錯し、世界的な問題とも重なり合う、この『家族狩り』というモチーフ(素材)には、自分なりにいま最も重要と考えることを的確にあらわせるテーマが、なお多くひそんでいました。
 国内の問題と、世界で起きている悲劇とは、何かしらの回路でつながっている気がしています。だとしたら……各地でつらい想いをしている人の存在に無関心でいて、身近に起きている問題を、解決に導くことは不可能ではないでしょうか。逆に身の回りの小さな悲劇を、世界の前ではたわいのないこととして無視するのは、結局は世界にあふれる悲しみを、放置することになるのではないかと思います。そうしたことに、しっかり目を向けた上で、ではどうすれば、虚しさやはかなさにも耐え、この世界に生きてゆく価値を見いだせるのか……21世紀版となる、この新しい『家族狩り』の登場人物とともに迷い、悩んで、解決策などありえないにしても、経過報告だけでも届けたいと願ったのです。

 ちなみに95年版は単行本として新潮社に残してもらえることになっています。
 発表当時、未熟な点が多々あったにもかかわらず、好意的な評価をくださった読者や評論家の方がいて、強く励まされました。さらに望外のことでしたが山本周五郎賞をいただき、『永遠の仔』を執筆する際の、長い時間と精神的な重みに耐える力を授けてもらいました。『家族狩り』がなければ、以後の作品は違ったものになったでしょう。いまでも本作と、支えてくださった人々には感謝しています。
 そして、その作品をまっすぐ文庫化しなかったことに、後ろめたい想いもなお残っています。大きな賞も受けた作品であり、不満をもたれる方もいらっしゃるだろうことは承知しています。ですが、悩んだ末に、自分の考えるところと切迫した創作衝動を優先させていただきました。長い目で見れば、きっと多くの読者の期待にかなうものと信じてのことです。
 もちろん、実際どう評価されるかは、読者にゆだねるほかありません。私自身は、今回の仕事で多くの発見をし、表現者としての成長を得ることができました。作家として、またいまこの時代を、多くの人とともに生きる一個人として、どうしても、この形で書かねばならなかった、その想いは遂げられたと感じています。

 今回の刊行形式についてですが、本作品は原稿用紙にして二千二百枚近くあり、95年版と比べても、ほぼ九百枚増えています。
 単行本の形式では、大きな負担を読者にかけるため、あくまで文庫形式でと考えると、五分冊になる計算でした。その時点で、五部作の体裁で作品を構成し、一部、一部読者にも大切に届けるため、月に一冊ずつ刊行するという考えが浮かびました。新潮文庫ではスティーヴン・キングの『グリーン・マイル』という同様の刊行形式をとった先例があります。それにしても異例なことでしたが、新潮社は希望通り、五部作、月一冊刊行の形式を採用してくれました。
 次の一ヵ月まで読者が待ってくれるのか、五冊も手に取りつづけてもらえるか、不安はいまもあります。けれど形式はどうあれ、こちらにできるのはつねに読者を決して失望させないよう努めることだけです。
〈対話〉ということが、『永遠の仔』以後の自分のキーワードです。第一部、第二部、第三部……と届けたおりの読者の応答によって、作品がいま以上に成長する可能性があり、自分自身、緊張感をもって、それを楽しみにしています。

 長い物語です。決して楽しいだけの内容ではありませんが、大切な時間を費やして読まれるものです。やはり、どうぞ楽しんでくださいと申し上げます。

  二〇〇四年一月
天童荒太