前の時刻

  

 24:13 新橋-銀座駅
 稲葉不二夫
(いなば ふじお)


    「詳しいことを伺ってもいいですか?」と六条忍達也に言う。「いつからなんですか? そういう能力っていうか……テレパシーができるようになったのって。子供のころからずっと?」

 どうすればいいのか、稲葉にはわからなかった。
 達也は、完全に暴走している。打ち合わせも何もないことを、こいつは俺をほっぽらかしたままやろうとしている。

「虫歯の治療をしてもらってからですかね」
 達也が答えるのを訊いて、稲葉は唖然とした。
「虫歯?」
 ほら、言わんこっちゃない。彼女が怪しむに決まってんだろうが、そんなこと言ったら。
 稲葉は、六条忍には気づかれないように注意しながら達也に首を振って見せた。

 ところが、どう受け取ってくれたものか、六条忍は納得したように達也にうなずいた。
「ああ……歯が疼くみたいな感じだって言われてましたよね」
 達也は、調子に乗って声を上げて笑っている。

「歯医者さんで、なにか特別な治療でもしたんですか?」
 と六条忍がたたみかけるように訊くと、
「いえ、ただ普通に虫歯を治してもらっただけです」
 と達也は平然と答えた。
 そして、あろうことか口をぱっくりと開けて、歯を六条忍に見せたのだ。
「この奥歯です。銀がかぶせてあるでしょ」

 いい加減にしろ、と稲葉は達也を怒鳴りつけたかった。
 どうやったら、このバカの暴走を止められるのか。台無しじゃないか。なんで歯なんて見せるんだよ、バカ。

「その歯が疼いて、相手の考えていることが心に浮かぶんですか?」
 六条忍はメモを取りながら、インタビューを続ける。
 お調子者の達也は嬉しそうにそれに応えている。
「ラジオみたいに聞こえるっていうのかなあ。受信機みたいにっていうか」

 やめろぉ!
 と、稲葉は、ほんとうに怒鳴りたかった。
 思わず眼を閉じる。

「受信機? 歯が?」
 六条忍は、訝しげにそう訊いた。
 何を考えているのか、達也はそれにニコニコ笑ってみせている。
 いや、こいつは何も考えていないのだ。
 いい加減にしろ、と稲葉は懸命に合図を送った。バカは、そんな稲葉にも笑いかけてくる。

「へんでしょ?」
 と、達也は六条忍に言った。

 救いようがない……と、稲葉は息を吐き出した。
 なにが「へんでしょ」だ。彼女を信用させなきゃ、なにもかもお終いになっちゃうんだよ。ふざけるな。

「なんていうか……想像がつかない」と、六条忍はなおも達也を問い詰める。「歯が受信機みたいっていうのは、そういう感じがするってことなんですか? それともほんとうに歯がテレパシーを受け取っているっていうこと?」
 達也が首を振った。
「聞こえるんです。まあ、クリアじゃないけど、注意深く聞くと、ときどきはっきり聞こえたりするんです。ほとんどはノイズみたいなもので、うまく聞き取れないことのほうが多いです」

 勝手にしろ、と稲葉は電車の吊り広告へ目を上げた。
 やってらんねえや、こんなバカバカしいこと。全部ばらしちゃってるじゃないか。歯が受信機になってるなんて種明かしをするヤツがどこにいるんだ。

「それは耳で聞くってわけじゃないんですよね。音として聞こえるんじゃないでしょう?」
「ええと、自分の感覚としては音みたいな──」

 突然、達也の言葉が途切れて、稲葉は彼に目を返した。
 達也は、ホームのほうを見つめていた。
 つられて稲葉もそちらを見た。

「…………」
 ホームの床にひっくり返っているおっさんが見えた。いや、おっさんというよりもジジイだった。

「どうしたの?」
 六条忍が達也に訊いた。
「あいつ……突き飛ばした」
「突き飛ば──?」
 彼女は、息を呑んだようにホームのほうを見つめる。

 なんなんだよ、いったい?
 と、稲葉は2人を見比べた。2人とも視線をホームのほうへ釘付けにしている。
 珍しいのかよ、ただジジイがけつまずいたってだけのことじゃないか。

 ところが、いきなり達也は、稲葉も六条忍もほったらかしにして、ホームへ降りていった。
 ジジイのそばでしゃがみ込み、「大丈夫ですか」などと訊いている。
 なんということか、六条忍までが、電車を降りていった。

 なんなんだよ、これは……。
 勝手に2人でやってろ。知らねえよ、もう。

「キャーッ!」という女の悲鳴が聞こえて、稲葉はギョッとしてホームのほうへ目をやった。

「…………」

 ホームの向こうで何かが激しく炎を出して燃え上がっていた。
 それが、動いているのを見て、稲葉は度肝を抜かれた。

 燃え上がっているのは人間だった──。

 冗談じゃないぞ、おい……。
 稲葉は自分の周囲を見渡した。
 ホームにいる連中も、この車内の乗客たちも、全員が燃えながら転げ回っている男を見つめていた。

 なんとなく足がすくんだ。
 思わず後ずさりして、後ろにいた男とぶつかった。その男も、びっくりした表情でホームのほうを見ている。
 稲葉は、反対側のドアのそばまで後退した。手すりをつかんで、自分の手が汗で濡れているのに気づいた。稲葉もやはりホームから目が離せなかった。

 ホームの達也が何かを叫んだ。
 それに応えるように六条忍が声を上げ、いきなり電車の後方へ向かって走り出して行った。

 こんなの打ち合わせにない……。
 稲葉はパイプの手すりにつかまりながらそう思った。

 もちろん、人間が突然燃え上がったり、という超自然現象のことはテレビで見たことがある。よく覚えていないが、くだらない番組だった。
 火の気の何もないところで、いきなり人間が燃え上がり、黒こげになってしまうんだそうだ。そんなのをおどろおどろしく扱ったテレビ番組は見たことがある。

 でも、そういうのは嘘だ。
 達也は、人の心なんて読めない。あいつは奥歯がFMの受信機になっているのだ。だから、モールス信号で送った言葉を、口に出して言うことしかできない。

「朝にします」だの「グイド」だの、それは偶然に過ぎない。
 ジジイがひっくり返ったんだって、男が燃え上がったんだって、それはちゃんとした理由があるからだ。

 なんだかよくわからなかった。

 こんなことは打ち合わせしてない。
 いったいどうしてこうなっちゃったんだ。

 いきなり、ホームが真っ白に光った。
 思わず、稲葉は声を上げた。
 しかし、その稲葉の声をかき消すように、爆発音が鳴り響いた。同時に、稲葉は電車がグニャリと曲がるのを見た。達也たちのいる銀座線のホームが、まるで津波のように稲葉の乗っている車両を押しつぶした。


 
    六条 忍  達也  ジジイ 
    燃えながら
転げ回って
いる男
後にいた

   前の時刻 ……