前の時刻

  

 24:13 新橋-銀座駅
 六条 忍
(ろくじょう しのぶ)


     やっぱり通じている……と思いながら、忍は気持ちを切り替えた。訊くべきことは訊かなきゃならない。びっくりしてるだけじゃ何もならない。
「詳しいことを伺ってもいいですか?」
 言うと、別所は相変わらずの照れたような表情で忍を見返した。

「いつからなんですか? そういう能力っていうか……テレパシーができるようになったのって。子供のころからずっと?」
 別所は、いたずらっ子のような笑いを浮かべながら、首を縮めた。
「虫歯の治療をしてもらってからですかね」
「虫歯?」
 忍は眼を瞬いた。
「ああ……」
 忍は、手帳のメモに視線を落としながらうなずいた。
「歯が疼くみたいな感じだって言われてましたよね」
 えへへ、と別所が笑った。稲葉の笑顔はいやらしいが、この別所の笑顔はどこか可愛らしい。

「歯医者さんで、なにか特別な治療でもしたんですか?」
「いえ、ただ普通に虫歯を治してもらっただけです」
 そう言って、別所は大きく口を開けた。
「この奥歯です。銀がかぶせてあるでしょ」
 いい歯並びをしていた。指で頬を引っ張るようにして、別所は奥歯をみせてくれている。
「ああ……」
 どう反応していいかわからず、忍はただひとつうなずいた。

 口の中まで見せてもらって、忍はよけいに赤面している自分を意識した。
 本物なのだ……。
 別所を見上げながらその思いを確認した。
 虫歯の治療をしたら他人の考えていることが読めるようになったなんて、およそ超能力者らしくない。でも、それが逆に、作り物ではない真実味を感じさせるのだ。
 テレビなどに登場する〈超能力者たち〉は、どこか尊大で自信たっぷりに振る舞い、ことさら威厳を保とうとする演出が鼻についた。ところが、この別所にはそんなものがどこにもない。

 むしろ、別所は、自分のイタズラを見つかってしまった子供のように、恥ずかしそうに照れ笑いをしているのだ。

「その歯が疼いて、相手の考えていることが心に浮かぶんですか?」
 訊くと、別所は、うーんと首をかしげた。
「ラジオみたいに聞こえるっていうのかなあ。受信機みたいにっていうか」
「受信機? 歯が?」
 訊き返すと別所は、もう勘弁してほしいというような照れ笑いを返してきた。
「へんでしょ?」

 忍は、必死で手帳に別所の言葉を走り書きした。
 電車が停まり、駅に着いたようだった。
 とにかく、別所の言葉は、すべてが意外で新鮮だった。

「なんていうか……」と、忍は別所を見上げた。「想像がつかない。歯が受信機みたいっていうのは、そういう感じがするってことなんですか? それともほんとうに歯がテレパシーを受け取っているっていうこと?」
 別所は首をかしげて、言葉を探すように視線を宙に向けた。
「聞こえるんです。まあ、クリアじゃないけど、注意深く聞くと、ときどきはっきり聞こえたりするんです。ほとんどはノイズみたいなもので、うまく聞き取れないことのほうが多いです」

「それは耳で聞くってわけじゃないんですよね。音として聞こえるんじゃないでしょう?」
 別所が頭を掻いた。
 自分の感覚を人に説明するのは難しい。
「ええと、自分の感覚としては音みたいな──」
 突然、表情が硬くなり、別所はドアのほうを見たまま言葉を途切らせた。

「…………」
 不思議に思って、別所の視線を辿り、忍もドアのほうへ目をやった。
「……どうしたの?」
 訊いても、別所はそちらを見たままだった。ポツリと言った。
「あいつ……突き飛ばした」
「突き飛ば──?」

 ホームに老人が倒れていることに、忍はそのときになって気づいた。
 その老人の向こうを、身体の大きな男が酔っぱらったような足取りで歩いていく。老人の奥さんが、跪いて夫に声を掛けていた。

 すい、と別所がその場を離れた。ドアからホームへ降り「大丈夫ですか?」としゃがみ込みながら奥さんのほうへ訊いた。
 忍も慌てて別所に続き電車を降りた。

 そのとき、突然、ホームに「キャーッ!」という女性の悲鳴が聞こえ、忍はギョッとしてその場に立ち竦んだ。
 悲鳴のほうへ目をやって、思わず両手で口を押さえた。

「…………」

 人間が燃えていた──。
 男の人だ。必死で叫びながら、彼はホームを転げ回っている。転げ回っても彼の衣服の火はまるで消える気配がない。

 自分の膝がガクガクと震えているのに、忍は気がついた。
 膝だけではない、胸に抱きしめているバッグを握る手も、情けないぐらい震えている。

 利用客たちの何人かが、転げ回っている男の人のところへ走り寄り、着ていたジャケットを脱いで炎を叩き消そうとしていた。
 いったい、どうしたのだろう。

「救急車を──いや、駅員さんを呼んでくれ。担架が必要だ」
 別所が声を上げ、忍は、はっとしてホームの床に目を落とした。
 老人は、まだ倒れたままだった。
「呼んできます!」
 とっさに言い、忍は、身体を返して駆け出した。ほんの10メートルほど先に階段があるのはわかっていたが、無意識のうちにそちらは避けた。そちらへ向かえば燃え続けている男の人の横を通らなければならない。それは怖かった。

「お医者さんはいませんか! 誰か、救急車を呼んでください!」
 声を上げながら走った。
 何人かが忍の声に反応して走り出した。
 ホームが騒然としていた。

 別所さん──。
 と、走りながら忍は心に念じてみた。
 この思いが、別所さんには届いているだろうか。

 ホーム中程の階段のあたりまできて、駅員の制服を着ている男がこちらへやってくるのを見つけた。
「救急車を呼んでください!」
「なにが──あったんですか?」
 駅員は、緊張した声で訊いた。
 忍はブルブルと首を振った。

「ご老人が頭を打って重体の様子なんです。それと男の人が全身火だるまになって──」
「……どうしてそんな」
「わかりません。とにかく、早く助けてあげてください!」

 忍の言葉を振り切るようにして、駅員は別所たちのいるほうへ走って行った。
「そうじゃなくて救急車……」
 忍は駅員をあきらめ、自分で知らせるために中央の階段へ向かった。

 そのとき、強烈なフラッシュを焚いたようにホームが白く光った。
 忍は反射的に後ろを振り返った。

「────」

 何か黒いものが恐ろしいスピードで忍のほうへ飛んでくるのが見えた。避けようとした瞬間、凄まじい音響とともに、地下鉄構内の天井が崩れ落ちて来た。
 叫び声を上げる間もなく、落ちてきた瓦礫が忍の頭部を直撃した。


 
     別所   稲葉   老人 
    身体の
大きな男
老人の
奥さん
 
男の人 

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