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 24:07 赤坂見附駅
 手賀徹矢
(てが てつや)


     徹矢は手すりのパイプを握りしめた。もう一方の手はズボンのポケットの中で固く拳を握っている。

 目の前に座っているみどりを見つめた。
 その手をつかみ、そのまま向こうの車両へ引きずっていきたかった。

 オレとのことはどうするんだ?
 そりゃ、もちろん結婚の約束なんてしなかったよ。オレには、まだそんな余裕なんてないからね。
 でも「あたしを、どうしたいの?」って訊いたのは君なんだぞ。
「どんどん、あなたのこと、好きになっちゃう」
 そう言ってしがみついてきたのは、君なんだぞ。

 だから、今度の連休には親父やお袋に会わせようと思っていたんだ。はっきり言ったわけじゃないが、ちょっと会わせたい人がいるからと、お袋には電話で伝えてある。
 すぐにってわけにはいかない。結婚となれば準備がいるからね。住むところだって、今のオレのアパートじゃ無理だ。だから、何年か先になる。
 そう思っていたオレは、いったいどうすればいいんだ。

「式場とか、決めたの?」
 横から美香がみどりに訊いた。
「これから。ジュンとあちこち見て回ろうかって思ってるの」
 みどりは、笑いながらそう答えた。その弾んだような言葉が、徹矢の気持ちをまた突き刺した。

「えーっ、まだなの? 再来月でしょう? 混んでるんじゃないの? 予約とか、ちゃんと取れる?」
「おそいのかなあ」
 と、みどりは横の湯川に目を向けながら言った。その手は、相変わらず湯川の手に握られている。

 くそお。

「おそいよ、ねえ」と、美香が真紀に言った。「普通、そういうのって、おそくても半年とか、そのぐらい前には準備するもんじゃないの?」
「電撃なのよ」と、真紀がからかうような口調で答えた。「急に決まったんでしょ。急に決めなきゃならない事態が発生したとか、そういうことよ、きっと」

「…………」
 ギクリとして、徹矢は真紀に目を返した。
 その目を湯川に向ける。

「あ! そうなの?」
 と美香がみどりのほうへ身をかがめた。みどりは、その美香に、きゃあ、と声を上げて否定した。
「ちがうわよ。やだなあ。ちゃんと気をつけてるもの。あ、やだ、なに言わせるのよぉ」
 向こうでが「ヒョーッ!」と馬鹿げた声を上げ、同時にみんなが笑い出した。
 徹矢は笑うどころではなかった。

「お待たせいたしました」車内アナウンスがしゃべりはじめた。「営団地下鉄銀座線をご利用いただきましてありがとうございます。この電車、浅草行最終電車でございます。どなたさまも、お乗り違えのないよう、ご注意下さい」

 ちゃんと気をつけてるもの――。

 みどりの言葉が、耳の奥で反響している。
 つまり……。

 したくもない想像が、徹矢の中に拡がる。
 みどりの肌の感触。耳にかかる息づかい。高く細くのびて、泣いているように聞こえる声。
 つまり、みどりは湯川に、そのすべてを……。

 許せない。

「いつ決めたんだよ」
 徹矢は、ポケットの中で手を握りしめながら湯川に訊いた。
「え?」
 湯川は、とぼけたように訊き返す。

「結婚するって、いつ決めたんだ」
 つい声が大きくなった。
「いや……」
 湯川は、苦笑いをしながら首の後ろを撫でてごまかした。

 見上げてくるみどりと目があった。
「おととい」
 みどりは、なんでもないことのように、そう答えた。
「…………」

 どうして、君は――。

 と、徹矢は声を張り上げたくなった。
 なぜ、平気な顔をしてオレにそんなことが言えるんだ?

「おととい? ウソぉ」
 美香が半分笑いながら言った。
 それに、みどりが答えた。
「おとといよ。プロポーズしてくれたんだもの。ね?」

 信じられなかった。
 いま、自分の前でみどりが口にしたことは、なにもかも聞き間違えだと徹矢は思った。
 そうにきまっている。

 だって、みどりが徹矢の部屋に来たのは、つい3日前だったじゃないか。
 その翌日、湯川のプロポーズを受けたというのか?


 
    みどり   美香   湯川   真紀 

       

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