太陽
厳密に言えば、太陽は燃えているわけではない。
燃える、という現象は熱や炎を伴った急激な酸化を指すものであって、太陽の輝きはそのような物質と酸素が結合する現象とは違うものである。あれは、原子核同士が融合しているのだ。最も単純な元素であるところの水素原子四個が核融合し、ヘリウムへと変化する。その時、元の水素と出来上がったヘリウムの総質量に差異が生じ、差分の質量がエネルギーとして解放される。
そのようにしてようやく金は生まれる。が、これはある閾値を越えた質量を持つ恒星の話であって、太陽のことではない。
そのため、
金だ
金
金
金が必要だ
と切実に願う、太陽から数えて3番目の惑星の住人、
ドアがノックされ、乾いた室内に音が響く。春日晴臣は貧乏ゆすりをやめて立ち上がり、ドアを開く。目の前に立つ女性を見て、しめた、と思った。想定よりも整った顔立ちをしている。さらに言えば、春日晴臣好みでもあった。店のHP上の目元にぼかしが入った写真では、顔と体の輪郭から判断するしかないのだが、これは当たりだ。さすが俺だ。春日晴臣は女性の上から下までをじっくり見て自らの性欲を
さて、一通りのサービスを受け終えてからが春日晴臣の本領発揮である。射精を終えた春日晴臣は交渉を開始する。デリバリーヘルス店から禁じられている性交の要求である。もちろんただでとは言わない。いくらだと受けてもらえるのか? 駄目ですよ、と女性は答える。金の授受の伴う性行為は店から禁じられているだけでなく、そもそも違法だ。もちろん春日晴臣もそんなことは百も承知である。しかしながら百戦練磨の春日晴臣はその程度では
金だ
金
金
金が必要だ
もっと莫大な金が。だがそうこうする内に、倒錯した興奮も徐々に収まってきて、十万円は高すぎると考え直す。金を積めばなんとかなると思っている俺と、汚物でも見るような目付きで首を横に振り続ける美しい女。そして俺は金が足りない挙げ句に、要求を引っ込めるのだ。さらにこの場から去り家に帰ってしまえば、俺の人生にはなんの影響も出ない。女や金に
春日晴臣の相手をした女性、
一度ミソがついてしまうと、再び売り出しのための気運を高めるのは難しくなる。加えて、芸能事務所社長の
「柳原未央香」は背負った不幸を隠さないことで奇をてらう方針であったため、リストカット痕も隠さない予定だった。アイドルとしての彼女は自傷癖を克服したという設定になっており、そう決められると実際にリストカットをやらなくなりもした。傷跡を指摘されたなら、「そうなんですよ。
直接的には愛田創太の口車に乗った形だが、高橋塔子は愛田創太が説得に使った言葉を覚えていない。覚えているのはその時の彼の表情だけだ。その表情は彼女にとって
大抵の人間は金をなるべく多く集めようとするものだが、中には金を作ろうとした者までかつていたのだ。錬金術師と呼ばれる者たちのことである。古代ギリシア時代、アリストテレスが万物は、火、地、空気、水、の4つの元素から出来ていると見做し、元素を分解し組み直せばあらゆる物質が生成できるのではないかと発想したことからそれは始まった。試行錯誤の結果出来上がったものは金ではなく、
ドンゴ・ディオンムは金を得るのに生物の繁殖を利用した。彼が生産したのはもっとも身近で、かつ高値で売れる生物であるところの人間だった。ドンゴ・ディオンム自身も同じ種に属しているのだが、彼は同族意識にとらわれない観点に立って
しかしドンゴ・ディオンムの経験上、この稼業もそろそろ切り上げ時だった。人身取引にうるさい欧米諸国のジャーナリズムが工場の存在を知ったことに勘付いたからだ。彼らが問題視する場合、遠からず対策が打たれる。ドンゴ・ディオンムが子供の頃にも、児童労働が問題視されたことで、彼の働く農園が摘発されたことがあった。プランテーションの労働環境は経営主によって異なるが、ドンゴ・ディオンムがいた農園は働きやすい部類だったと言えるだろう。監視は緩く、疲れると各自が勝手に休むため、日によって生産性にかなりの波があった。労務管理はいい加減なものだったが、作業量が少なくなりすぎれば監視の目は厳しくなった。が、それにしても一週間もすれば元の緩やかな体制に戻る。騒ぎを起こさず生産性を下げなければ、子供たちは放っておかれた。そのことに気づいた十歳のドンゴ・ディオンムは子供たちを組織し、交代で休憩を取らせ、作業量をチェックするようになる。ドンゴ・ディオンムの
ドンゴ・ディオンムは行動を共にしていた少女と一緒にギャングに拾われ、様々な雑用の見返りとして与えられる食料でかろうじて口を
「赤ちゃん工場」摘発に向けた予備調査が企画された頃、ドンゴ・ディオンムの工場の初期の
十歳になったトニー・セイジを前に、ジョルジュ・セイジはクルーザーの赤ん坊の話をするようになる。それは
トニー・セイジは
高橋塔子とは対照的に、春日晴臣は金に愛着をもっている。では、春日晴臣は何を売って金を得ているのか。知識を売る、という言い方も可能なようだが、単純にそうとも言えない。彼の持つ知識の量や質は、同じ勤め先でも雇用形態の違う、客員教授や非常勤講師の平均と比べてみても、格段に低い。しかし給与は彼らよりも多いのだ。そのことからも彼が単に知識を売っているわけではないことがわかる。おまけに専任教員である春日晴臣は、定年に達するまでの雇用が保証されている。大学の運営が極端に失敗し教員のリストラが始まる可能性はゼロではないが、春日晴臣が所属する大学は志願者が多く、財務状況も良いため、その可能性は低い。だが、春日晴臣は平均的な人間であれば気にすることもない
同じ頃、高橋塔子にも海外での仕事が入った。柳原未央香の売り出しに失敗した損失を
高橋塔子と成金男性は、シャルルドゴール国際空港のロビーで落ち合うことになっている。彼女はここ二日ほど食事らしい食事をしておらず、機内食も食べなかった。鈍い痛みのような空腹を覚えるが、それに反抗するように何も口に入れずにいた。ベンチに腰掛け、空港をうろつく人々を眺めながら、この世にはゴミのような人間しかいないと胸中で
春日晴臣が向かっているのもまさにその土地である。高橋塔子のいるパリでのトランジットを数時間で終えた春日晴臣は、長旅の疲れから機内で熟睡し、気がつけばアフリカに到着していた。国連職員に指定された待ち合わせ場所のコーヒーショップへと向かい、
一方の高橋塔子は成金男性相手に体を開いている。滞在先であるシャンゼリゼ通りの四つ星ホテルで早速チョウ・ギレンに体を求められたからだ。高橋塔子は行為の間、ずっとチョウ・ギレンの様子を観察していた。額から落ちる汗。つながった
「Dr. Kasuga」
名前を呼ばれた春日晴臣はiPhoneのディスプレイを暗転させ、悠然とイヤフォンを外す。国連組織の調査団は、アメリカ、イギリス、フランス、インド、デンマーク、日本から招集されていた。アメリカとフランスからは各二名が来ている。合計八名の有識者の全員が
実際、ドンゴ・ディオンムから数えて9代後の子孫、
ドンゴ・ディオンムの息子、トニー・セイジはパリの外れのクリニャンクールでこの日も非正規品のキティちゃんを販売している。その前を通りかかったチョウ・ギレンは、店に並ぶぬいぐるみやTシャツ、毛布などを指差して、「あれ、私のところで作ってるものね」と高橋塔子の気をひこうとする。整形手術を行う前から十分に美女で通っていた高橋塔子を男性は放っておけない。ある者は単に美しい女性と交わりたいために、ある者は彼女の美しさを利用するために、高橋塔子に近付く。当然のことながら、美は金にもなる。
調査団の紅一点、カレン・カーソンも相当な美人である。実は、彼女の
現地ガイドによって、調査団はドンゴ・ディオンムが運営していた赤ちゃん工場だった場所に最初に案内された。薄い合板でできた貧弱な建物は、長年捨て置かれた
カレン・カーソンは事前に得た情報から、この建物内で行われたはずの蛮行を思い浮かべようとした。かどわかされた妊婦、あるいはこの場で受胎することになる女性、乳児達の泣く声。建物に間仕切りはあったのだろうか。それともまるで豚小屋のように、皆一緒くたに詰め込まれていたのだろうか。目の前のがらんどうから読み取れることはほぼ皆無である。カレン・カーソンはそれでも、ここにいたはずの母子達の姿を想像しようとした。暗い室内で僅かな光を受け止めて光る目。いずれ奪い取られる子を抱く
客人たちが建物のあちこちを
報酬相応の仕事は終わったので帰ると主張する現地ガイドに、国連職員は今も稼働中の工場を教えてくれと食い下がった。現地ガイドはとぼけ続けるが、もし聞いた相手がドンゴ・ディオンムであったなら、「確かに稼働中の工場はある」と答えたかもしれない。ほら、御覧なさい、この地球そのものがそうじゃないですか。いろいろと問題山積であるとお前ら自身が決めつける世界に
ドンゴ・ディオンムの息子、トニー・セイジの露店では、高橋塔子がチョウ・ギレンに促されるままにキティちゃんグッズを手に取っている。チョウ・ギレンの縫製工場がパリに卸し、トニー・セイジの店がその一部を仕入れた品である。チョウ・ギレンは期間限定の愛人に、周囲の露店に差を付けている上出来のグッズを買い与えようとする。ありがとうございます、と言う高橋塔子は、内心ありがたがっているわけではない。そんな高橋塔子をトニー・セイジが見詰めている。トニー・セイジが東洋人に興味を持つのはこれが初めてだが、たいそう美しいと感嘆している。耳にかけた細く長い髪が、頭を傾けるたびさらさらと流れる。太陽の光が黒くつやのある髪に溜まって
トニー・セイジが高橋塔子に
機を見ることにかけては、ドンゴ・ディオンムも負けてはいない。他の工場主に先駆けて、いち早く赤ちゃん工場を手仕舞いすべく全方位で動いていた。ドンゴ・ディオンムはジープに乗り、不動産ブローカーとの待ち合わせ場所に向かっている。行き先は酒とコーヒーに加えて簡単な食べ物を出す店で、常連からは「
一方で、人身売買の
現地ガイドは確かに約束を果たし、知っている限りの工場を案内した。だが調査団が訪れるとそれらはすべてもぬけの殻だった。ガイドが現地のネットワークを通じ、その都度逃げろと警告したためだ。調査団の一人、トマス・フランクリンはその動きに気づいていた。ガイドの動きを封じることができず、またこちら側に彼の不正を追及できる情報も手段もない以上、どれだけやっても無駄骨にしかならないとトマス・フランクリンは理解した。アプローチを変えるべきだ。このままだと大学にレポート一つ上げられない。最近交替してきた学部長は、いかに公益性の高い仕事であったとしても常に実質的な成果を重視する。行ってみたもののもぬけの殻でした、というわけにはいかない。もっとも、トマス・フランクリン個人は、今回の旅で非常に有意義な時間を過ごしていた。将来的に彼のライフワークにも関わってくる「グジャラート指数」についての着想を得たからだ。だがそれはあくまでも個人的な研究課題であって、今回の調査団の目的にかなった成果は出ていない。苦境を打開すべく、トマス・フランクリンは国連職員に断りを入れてから、現地ガイドにこう頼んだ。赤ちゃん工場について情報を持っている人を紹介してくれないか、どのような立場の人なのかは
ドンゴ・ディオンムはジープを運転しながら報酬の交渉をし、この仕事を引き受けた。待ち合わせ場所に「爪の先」を指定し、もと来た道を引き返す。「爪の先」の店主はドンゴ・ディオンムが再び店に入ってきても特に何も言わなかった。いつものでいいかと聞き、