新潮社

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日本語版特別寄稿
史上初のグローバルインターネットテレビ

――2012~2018年

エンターテインメント業界再編の起爆剤

 本書が出版されてから6年の間に、ネットフリックスはさらに強力になった。世界のエンターテインメント業界に激震をもたらし、業界秩序を完全に塗り替えてしまった。この短期間で「グローバルインターネットテレビ」のパイオニアになり、独自コンテンツの制作費とエミー賞へのノミネート数で他社を圧倒したのだ。一時は株式時価総額で世界最大のエンターテインメント企業に躍り出ている。

 ネットフリックスは現在、「世界で最も価値あるエンターテインメント企業」の座をめぐってウォルト・ディズニーと競い合っている。ディズニーはテーマパークや映画スタジオだけでなく、ABCやディズニーチャンネル、ESPNなど複数のテレビ局を所有する。さらには、ミッキーマウスなど伝統的知的財産のほか、近年買収したルーカスフィルムの『スター・ウォーズ』シリーズやマーベル作品、ピクサー作品なども抱える業界の巨人だ。

 ネットフリックスがもたらす新秩序によって競争環境が激変し、エンターテインメント資産の再評価が行なわれている。結果として大型M&A(企業の合併・買収)が続出して大掛かりな業界再編が進行中だ。再編の渦中にあるのはディズニーや21世紀フォックス、タイムワーナー(現ワーナーメディア)など有力コンテンツを持つ映画スタジオ大手であり、AT&Tやコムキャストなどコンテンツ流通を担う通信・ケーブルテレビ大手だ。各社はネットフリックスを脅威に感じ、同社が世界のエンターテインメント市場で支配的地位を築いてしまうのを防ぐために再編に突き進んでいるのだ。

 シリコンバレー系IT(情報技術)企業もネットフリックスに狙いを定めて一斉に動き始めている。ファストカンパニー誌のハリー・マクラッケンによれば、IT業界の巨人はどこも何らかの形でネットフリックスと競争しているという。

 2018年10月現在、ネットフリックスの契約者は全世界で1億3700万人に達している。彼らは「バンドル」契約に反発し(アメリカではケーブルテレビに加入してセットトップボックス経由でテレビを視聴するのが一般的で、複数のテレビチャンネルがパッケージになったバンドル契約は月1万円を超えることもある)、自由にコンテンツを消費したいと思っている。当然ながら、バンドルにあぐらをかいてきたケーブルテレビ大手など旧来型メディアはジリ貧だ。

 毎週決まった日時に決まったチャンネルで視聴する「アポイントメントテレビ」の時代は終わったのだ。ネットフリックスの会長兼最高経営責任者(CEO)リード・ヘイスティングスは「ストリーミングの百年帝国」構築を目指している。エンターテインメント業界はこれから否応なしに「ストリーミングの百年帝国」をめぐる戦いに突入する。

 ネットフリックスはすでにIT業界の勝ち組と見なされている。株式市場で圧倒的なパフォーマンスをたたき出し、フェイスブック(F)、アマゾン(A)、グーグル(G)と共に「FANG(ファング=牙)」としてくくられるようになった。4社とも米ナスダック市場の上場銘柄で、3千銘柄以上に上るハイテク株・成長株全体のパフォーマンスを左右するほどの影響力を持つ。ちなみにネットフリックス以外の3社も独自のストリーミングサービスを開始し、ネットフリックス追撃態勢に入っている。

 ネットフリックス躍進の裏で同社の企業文化も変貌を遂げた。もともとのDNAはカオス状態で予測不能だけれども、創造性に富んだスタートアップ(斬新なビジネスモデルを探し出し、短期間で急成長を遂げる一時的なチームのこと)だ。そんなDNAは今では消え去り、代わりにヘイスティングスの肝いりで生まれたのがプロのスポーツチームさながらの競争文化だ。数字ですべてが決まる優勝劣敗の文化ともいえる。社員は大幅な情報アクセス権と自由裁量権を与えられながらも、失敗したら割増退職金を渡されて容赦なく首にされる。

 それだけに採用方針も徹底している。ネットフリックスに入る人材はトップクラスに限られる。いったん入社すれば「完璧な大人」として振る舞わなければならない。スケジュールや有給休暇取得、経費請求について百パーセント自分で判断するのはもちろん、上司・同僚の辛辣な評価も甘んじて受け入れる度量を求められる。ウォールストリート・ジャーナル紙はネットフリックスについて「ここには直言と透明性が何にも増して美徳とされる文化がある。問題社員を解雇すべきかどうかをめぐって公の場で活発に議論が交わされる。それは一種の儀式であり、ありふれた光景でもある」と伝えている。

 競争文化があるからネットフリックスはライバル勢よりも一歩先を行っているのか? 少なくともヘイスティングスの答えは明確なイエスだ。

合言葉は「打倒ネットフリックス」

 競争はますます激しくなっている。ソーシャルフローCEOのジム・アンダーソンはテレビのトーク番組「バーニー&カンパニー」に出演し、「ネットフリックスの周りは競争相手ばかりですよ。フェイスブックは10億ドル投じて動画配信サービス『ウォッチ』をスタート。Huluフールーもいるしアップルもいる。いまは映像コンテンツの黄金時代です。誰もがオリジナルコンテンツを制作・配信している。でも、こんなに大量のコンテンツを一体誰が見るのでしょうかね?」と語った。

 11年暮れに書いた本書エピローグの中で、私はケーブルテレビとコンテンツ制作の両業界に対して、「高額な料金、ひどいサービス、最低のコンテンツ」に消費者が不満を強めていると警告した。それから10年足らずで警告通りの展開になった。ネットフリックス主導で消費者が反乱を起こしたのだ。ここで映画スタジオは事の重大さにようやく気付いた。ネットフリックスに映画やテレビドラマなどのコンテンツを供給することで、知らぬ間に同社のストリーミングサービスを後押ししていたのである。

 テレビ番組制作も手掛ける映画スタジオ大手は当初、ネットフリックスとの提携は互恵的と考えていた。例えばあるドラマをテレビ局が放送中としよう。ネットフリックスが放送済みの古いエピソードをストリーミング配信すると、ドラマは大きな反響を呼び、過去の全シーズンを一気見する契約者が続出する。その後、最新エピソードがテレビで放送されると、彼らが大挙してテレビに押し寄せ、ドラマの視聴率ははね上がる。テレビ局幹部はこれを「ネットフリックス効果」と呼んだ。

 代表例がテレビドラマの『ブレイキング・バッド』と『マッドメン』だ。いずれも当初は苦戦したが、ネットフリックスで過去のシーズンが配信されると、状況が一変。突如として視聴率がはね上がり、高い評価を受けて大ヒットした。

 だからこそテレビ業界はこぞってネットフリックス詣でに乗り出したのである。ネットフリックスを「アルバニア軍」などと呼び、見下していた映画スタジオ大手タイムワーナーのCEOジェフリー・ビュークスも例外ではない。彼は人気テレビドラマ『NIP/TUCK マイアミ整形外科医』のほか、『ヴェロニカ・マーズ』『プッシング・デイジー 恋するパイメーカー』『ターミネーター サラ・コナー・クロニクルズ』のようなカルトドラマの配信権をネットフリックスに売った。それでありながら、ネットフリックスをなおもばかにしていた。もうどこにも売る相手がいなくなったときに最後に頼る相手だとし、「ゴミ収集のような公共サービス」と決めつけていた。

 ネットフリックスにとってハリウッドとの取引はますますうまみを増していった。同社の最高コンテンツ責任者(CCO)テッド・サランドスはリーマンショックの後遺症を引きずっていた映画スタジオに近づき、大枚をはたいて有利な条件でコンテンツを獲得していった。テレビドラマについては全シーズンの独占配信権を基本にしていた。視聴者のビンジウォッチング(一気見)需要に応えるためだ。

 映画スタジオ側が知らないことが一つあった。ネットフリックスのフォーカスグループ(グループインタビュー)によれば、視聴者はビンジウォッチングによって高揚感を得ている。何時間もぶっ続けでドラマを見ていると、ネットフリックスブランドにほれ込んでしまうのだ。

 ストリーミングはいつの間にか一般人が使う語彙の一つになり、消費者行動を根本的に変えた。サランドスはプレスリリースの中で「ストリームチート(だまし)」に触れて、次のような冗談を書いたことがある。

「パートナーをだまして先にテレビドラマを一気見してしまうとどうなるでしょう? 信頼関係が壊れたり、けんかになったり、離婚騒ぎになったりするかもしれません。でも、ネットフリックスは責任を負いかねます。どうかご自身で責任を持って視聴するように心掛けてください」

 しかしながら、サランドスとヘイスティングスは少しずつ危機が近づいているということも察知していた。映画スタジオはいずれ「インターネットテレビ=テレビの必然的進化形」という現実に目を向けるようになる。そうなったらネットフリックスへの映画やテレビドラマの供給をストップし、自らストリーミングサービスを開始するはずなのだ。

 ビュークスにも一理ある、とサランドスは思った。消費者がネットフリックスを利用するのは第一級のコンテンツを視聴できるからである。映画スタジオからのコンテンツ供給が止まったら、ネットフリックスは自ら第一級のコンテンツを作らなければならない。でないと古い映画とドラマで出来た埋立地になってしまう。つまり、ビュークスが言ったようなゴミ捨て場だ。

 映画スタジオはネットフリックスとの提携によって、多額の収入と視聴率上昇というメリットを享受してきた。だが、コンテンツ供給によってネットフリックスのストリーミング拡大を手助けしていたことに徐々に気づき始めた。それだけではない。不満を強めるケーブルテレビ契約者に対して、「こんなに安くて使いやすいサービスがあるよ」と乗り換えを勧める格好になっていたのである。

あらゆるデバイスに組み込まれたアプリ

 2000年代も終わりに近づくと、リーマンショックの傷跡もようやく癒えてきた。とはいっても、ネットフリックスにとって主な顧客となる若い消費者はなおも苦しんでいた。例えば、2000年代に成人・社会人になった「ミレニアル世代」は、経済的事情からなかなか家庭を持つことができなかった。家庭を持つとなれば当然ケーブルテレビを契約し、月額128ドルもの出費を強いられることになる。結局、ミレニアル世代の多くはブロードバンド回線だけを導入し、ストリーミングなどインターネット上のエンターテインメントへ流れていった。

 このような状況を見て、ヘイスティングスは営業チームにハッパを掛けた。インターネットにつながるあらゆるデバイスに、ネットフリックスのストリーミングアプリを組み込むよう指示したのである。家庭用ゲーム機、スマートフォン、インターネット対応テレビ、セットトップボックス、iPadのようなタブレット端末――。対象となるデバイスは枚挙にいとまがない。今ではネットフリックスのアプリは至る所に存在している。

 ネットフリックスは無数のデバイスから送られてくる膨大な顧客データを蓄積することで、ライバル勢よりも圧倒的に有利な立場を手に入れ、覇権を築いた。どのように映画を探しているのか? どこで見ているのか? 何時に見ているか? 1日何時間見ているのか? どのシーン・人物を何度も早送りしているのか? どの視聴者にとってどの俳優が魅力的なのか? 契約者の視聴パターンを細かく把握できるようになったのだ。

 ここからネットフリックスは個々の契約者について複雑なプロフィールを作り上げた。ビッグデータとアルゴリズムを駆使すれば、契約者の好みや行動がどのように変化していくのかを驚くほどの精度で予測できる。これを突き進めると、エンターテインメント業界で支配的な地位を築くための次のステージに進める。コンテンツ制作である。

 12年までにサランドスとヘイスティングスはハリウッドとの蜜月の終わりを確信した。ネットフリックスを阻止するために、映画スタジオ大手は最新DVDのリリースを遅らせると同時に、デジタル配信権料の引き上げに踏み切ったからだ。映画スタジオ幹部の一人はロイターの取材に応じて「われわれはネットフリックスについてすっかり勘違いしていましたね。数年前にデジタル配信権を売ったときには、いずれ脅威になるかもしれないなんてこれっぽっちも思っていませんでした」と語っている。

 ハリウッドからのコンテンツ獲得が難しくなり、ライバル勢が同じデジタル配信という土俵に入ってくると、サランドスとヘイスティングスはコンテンツ予算の配分先をコンテンツ獲得からコンテンツ制作へシフトさせ始めた。サランドスによれば、目標は「HBOがネットフリックスのビジネスモデルをまねるよりも先に、HBOに匹敵するコンテンツ企業になる」だった。HBOはコンテンツの質の高さで定評があるプレミアムケーブルチャンネルだ。

『ハウス・オブ・カード』の成功

 オリジナルコンテンツへの最初の大型投資は、イギリスの政治テレビドラマのリメークだった。リメークを模索していたのは映画監督デビッド・フィンチャー。『ソーシャル・ネットワーク』『セブン』『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』などで知られ、アカデミー監督賞にノミネートされたこともある大物だ。

 ドラマ初挑戦ということもあり、テレビ各局は一斉にフィンチャーにラブコールを送った。そんななか、ネットフリックスはどうにかして目立たなければならなかった。それまでに同社が自主制作したドラマは12年配信の『リリーハマー』という風変わりな作品しかなく、正面から張り合える状況ではなかったからだ。

 フィンチャーは、ソニーのスタジオを借りて各社のプレゼンを聞こうとした。だが、サランドスは通常ルートを避けて、フィンチャーのオフィスを直接訪ねて売り込みを掛けた。契約者データをフィンチャーに見せて、「ネットフリックスの予測アルゴリズムを使えば、多くの視聴者にアピールできます」と説明した。

 データによればフィンチャーと主演のケビン・スペイシーには興味深い共通項があった。両者とも一般視聴者の間では知名度は今一つだが、フィンチャー監督作品を一つ見た視聴者はフィンチャー監督作品をすべて見たがり、スペイシー出演作品を一つ見た視聴者はスペイシー出演作品をすべて見たがった。共通項はほかにもあった。フィンチャーとスペイシーのファンはそろって『ハウス・オブ・カード』に興味を持っていたのだ。これは1990年にイギリスで放送された政治テレビドラマで、実はこれこそがフィンチャーがアメリカ向けにリメークしようと考えていた作品だったのである。

 18年、サランドスは当時を振り返ってインタビューの中で次のように語っている。

「われわれにとって未来とは未知の世界を開拓することです。ここで役立つのがビッグデータです。新しいオリジナルドラマを制作しようというとき、ビッグデータを活用すれば適任の監督・俳優を割り出せるし、潜在的視聴者の人数も割り出せるんです。その一回目が『ハウス・オブ・カード』でした。われわれとしてはライバルを出し抜いてどうにかして『ハウス・オブ・カード』を手に入れたかった。

 長編映画からテレビドラマへ転身するわけですから、フィンチャーにとっても大きな賭けでした。われわれは『これまでのテレビドラマとはまったく違う先駆的なものに挑戦できる』と言ったんです。最後には彼はとてもエキサイトしてネットフリックスを選んでくれました」

 巨額の制作費も見逃せない。2シーズンの制作費としてネットフリックスはハリウッド基準でも破格の1億ドルを用意した。フィンチャーにとって魅力的な要素は制作費以外にもあった。同社経営陣はコンテンツには一切関与せず、監督への全権委任を確約したのである。

 ネットフリックスはアポイントメントテレビに対して痛烈な一撃も放った。テレビ業界の常識を覆して、『ハウス・オブ・カード』の第1シーズンの全話(全エピソード)を一気に配信したのだ。アナリストは「同時配信直後の加入者増は一時的な現象。全話を見終わった新規加入者はすぐに契約を切る」と予測した。しかしながら、アナリストの予想とは裏腹に同社の契約者数は拡大し続けた。『ハウス・オブ・カード』第1シーズンの配信(13年2月1日)から1年以内に契約者数は3割以上増え、その後も勢いは止まらなかった。

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