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江國香織、池澤夏樹の両氏も大感動、大絶賛!!

  • 受賞第54回 毎日出版文化賞
  • 映画化愛を読むひと(2009年6月公開)

朗読者

ベルンハルト・シュリンク/著、松永美穂/訳

594円(税込)

本の仕様

発売日:2003/06/01

読み仮名 ロウドクシャ
シリーズ名 新潮文庫
発行形態 文庫
判型 新潮文庫
ISBN 978-4-10-200711-2
C-CODE 0197
整理番号 シ-33-1
ジャンル 文芸作品、評論・文学研究
定価 594円

15歳のぼくは、母親といってもおかしくないほど年上の女性と恋に落ちた。「なにか朗読してよ、坊や!」──ハンナは、なぜかいつも本を朗読して聞かせて欲しいと求める。人知れず逢瀬を重ねる二人。だが、ハンナは突然失踪してしまう。彼女の隠していた秘密とは何か。二人の愛に、終わったはずの戦争が影を落していた。現代ドイツ文学の旗手による、世界中を感動させた大ベストセラー。

著者プロフィール

ベルンハルト・シュリンク Schlink,Bernhard

1944年ドイツ生まれ。小説家、法律家。ハイデルベルク大学、ベルリン自由大学で法律を学び、ボン大学、フンボルト大学などで教鞭をとる。1987年、『ゼルプの裁き』(共著)で作家デビュー。1995年刊行の『朗読者』は世界的ベストセラーとなり2008年に映画化された(邦題『愛を読むひと』)。他の作品に『帰郷者』(2006)、『週末』(2008)、『夏の嘘』(2010)など。2017年6月現在、ベルリンおよびニューヨークに在住。

松永美穂 マツナガ・ミホ

1958年生まれ。早稲田大学教授。著書に『誤解でございます』など、訳書にベルンハルト・シュリンク『朗読者』(毎日出版文化賞特別賞受賞)、ジークフリート・レンツ『黙祷の時間』、へルマン・へッセ『車輪の下で』、ペーター・シュタム『誰もいないホテルで』など。

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立ち読み

1

 十五歳のとき、ぼくは黄疸にかかった。病は秋に始まり、翌年の初めになってようやく癒えた。年が押し詰まって寒さがつのり、天気がどんよりするにつれて、ぼくの体は衰弱していき、年が改まってようやく快方に向かうことができたのだ。その年の一月は暖かく、母はぼくがバルコニーで横になれるようにしてくれた。ぼくは空や太陽や雲を眺め、中庭で遊ぶ子どもたちの声を聞いた。二月のある夕刻には、ツグミの歌う声も聞こえた。
 ブルーメン通りの、十九世紀末に建てられたどっしりした一戸建ての三階にぼくたちは住んでいた。元気になったぼくが最初に出かけた先はバーンホーフ通りだった。前年十月のある月曜日、学校からの帰り道にそこで吐いてしまったのだ。その何日も前から具合が悪かった。これまでに体験したことがないような具合の悪さだった。一歩歩くのにも骨が折れた。家や学校で階段を上がるときなど、足がほとんど前に出なかった。食欲もなかった。お腹を空かせて食卓に着くのに、すぐに食べたくなくなってしまう。朝、目が覚めると口はからからに渇き、体のなかでは内臓がまるで間違った場所にあるように重たく感じられた。こんなに体調が悪いのが恥ずかしく思えた。吐いてしまったときには、すごく恥ずかしい気がした。吐くのは生まれて初めての体験だった。口の中に何かがこみ上げてきて、ぼくはそれを飲み込もうと試み、唇をしっかりと重ね合わせ、手で口を覆ったのだけれど、こみ上げてきたものは口から飛び出し、指のあいだから流れ出した。ぼくは建物の壁にもたれ、足もとの吐瀉物を見ながら、薄く色のついた胃液を吐いた。
 そのとき一人の女性が、ほとんど乱暴といってもいい態度でぼくの面倒を見てくれた。彼女はぼくの腕をとり、その建物の暗い通路を通って中庭に連れていった。庭の上には窓から窓へひもが張り渡され、洗濯物がぶら下がっていた。中庭には材木が積まれていて、窓を開け広げた作業場の中でノコギリが音を立て、おがくずが飛んでいた。中庭に入るドアの横に、水道があった。その女性は水道をひねるとまずぼくの手を洗い、くぼめた両手に水を受けて、ぼくの顔にかけた。ぼくはハンカチで顔をぬぐった。
「そっちを持ちなさい!」水道の脇にはバケツが二つ置いてあった。彼女は一方のバケツをつかんで水を満たした。ぼくはもう一つの方を水で満たして、彼女のあとについてまた通路を通り抜けた。彼女は勢いをつけて歩道に水をぶちまけ、ぼくが吐いたものを下水溝に押し流した。ぼくの手からもバケツをとると、もう一杯、歩道の上に水を流した。
 彼女は体を起こすと、ぼくが泣いているのに気づいた。「坊や」、彼女は不思議そうに言った、「坊や」。そうしてぼくを抱きしめた。ぼくたちは背丈がほとんど同じだった。ぼくの胸のところに彼女の胸を感じた。ぴったりと抱き寄せられて、自分の口臭と、彼女の新鮮な汗の匂いを嗅いだ。自分の腕をどこに回したらいいのかわからなかった。ぼくは泣くのをやめた。
 彼女はぼくに住所を尋ね、バケツを通路に置くと、家まで送ってくれた。片手にぼくの通学鞄を持ち、もう一方の手でぼくの腕をとって、彼女はぼくの横を歩いていた。バーンホーフ通りからブルーメン通りまでは大した距離ではなかった。彼女は急ぎ足で、決然と歩いていたのだが、その方がぼくには歩調が合わせやすかった。ぼくの家の前に来ると、彼女は別れの挨拶をした。
 その日、母が医者を呼んできて、黄疸の診断が下った。療養中のあるとき、ぼくは母にあの女性の話をした。そうでなければ彼女のもとを訪ねることにはならなかっただろう。しかし母は、元気になったらすぐお小遣いで花束を買って彼女のところへ行き、自己紹介してお礼を言わなくてはいけない、と言った。そんなわけで二月末のある日、ぼくはバーンホーフ通りへ行ったのだった。

2

 バーンホーフ通りにあったあの家は、いまはもうない。いつ、どうしてそれが取り壊されてしまったのか、ぼくは知らない。長いあいだ、故郷に帰らなかったから。一九七〇年代か八〇年代にできた新しい建物の方は、五階建てで、屋根裏にあたる階も広くなっている。出窓やバルコニーなどはなく、外壁はつるつるした明るい色に塗られている。呼び鈴がたくさんあるところをみると、内部は小さなアパートに分かれているらしい。レンタカーを借りてどこかに乗り捨てるような感覚で、人が入居してはまた出ていくアパート。一階はいまコンピューターショップになっている。以前はドラッグストアと、食料品店と、レンタルビデオの店があった。
 古い建物は、同じ高さで四階建てだった。一階はぴかぴかに磨いた砂岩の角石で造られており、その上の三つの階の壁は煉瓦で、出窓と、バルコニーと、窓枠が砂岩でできていた。道路から一階に上がるところには、上へ向かうにつれて狭くなっている数段の階段があって、両側を壁で挟まれており、その段についている鉄の手すりは、一番下のところで蝸牛の殻のようにくるくる巻いていた。玄関の両側には柱があって、柱の上の台座の一隅からは一匹のライオンがバーンホーフ通りを右に、もう一匹が左に眺めていた。あの女性が中庭の水道のところにぼくを連れていったのは、通用口の方だった。
 小さいころから、ぼくはここを知っていた。通りの中で、この建物は他を圧していた。もしこの建物がもっと重たく、幅広くなるようなことがあったら、隣接している家々は脇に動いて、場所を空けてあげなくちゃいけないんだろうな、と考えたものだった。ぼくは中の様子を勝手に想像し、階段の踊り場にはしっくいが塗られ、鏡が置いてあって、オリエンタル模様の絨毯が敷いてあり、ぴかぴかに磨かれた真鍮の手すりが一段ごとについているんだろう、と考えた。こんな優雅な家には、上流階級の人々が住んでいるんだろうな。しかし、この建物が歳月と汽車の煙によって薄黒くなってもいたので、ぼくはここに住むはずの優雅な人々にも、陰気なイメージを抱いていた。多少変人で、ひょっとしたら耳が聞こえなかったり口がきけなかったり、背中が曲がっているとか、足を引きずっているとか。
 のちになって、ぼくはくり返し、この家の夢を見た。夢はどれも似ていて、一つの夢とテーマがヴァリエーションになっているだけだった。知らない町を歩いていてこの家を見かける、という夢だ。知らない区域のずらりと並んだ建物の中に、この家があるのだ。ぼくは混乱してさらに歩いていく。知っている家のようでも、その区域は初めてなのだから。それから、見たことのある家なんだという考えが浮かんでくるが、故郷のバーンホーフ通りではなく、どこか別の町、別の国のことを思い浮かべている。たとえば夢の中でぼくはローマにいて、あの家はベルンで見たことがあるのかな、と考えている。夢の中の記憶にぼくは安心し、その家を以前と違う環境の中に見いだしても、昔の友人にたまたま別の場所で会うようなもので、特におかしいとは思わない。ぼくは引き返して、その家のところに戻り、段を上がる。家の中に入ろうとする。ドアノブを押す……。
 その家が田舎にあるときは、夢はもっと長く続く。あるいは、目覚めたあとでも細部をよく思い出すことができる。ぼくは車を運転していて、右手にあの家が見える。都会の風景の中にありそうな家が、何もない開けた土地に立っていることをいぶかしく思いながら、とりあえずさらに車を走らせる。それから、見たことのある家だったと気づいて、二重に混乱する。どこでその家を見たのかに気づくと、ぼくは車をUターンさせる。夢の中では道路はいつも空いていて、ぼくはタイヤをきしませながら方向転換し、猛スピードで戻ることができる。遅れはしないかと心配で、ますますスピードを出す。そうするとまたあの家が見えるのだ。畑に囲まれて。それはプファルツ地方の菜の花畑や麦畑だったり、ブドウ畑だったり、あるいはプロヴァンスのラヴェンダー畑だったりする。土地は平らで、あるとしてもせいぜいわずかな起伏ぐらいだ。木は生えていない。明るい日で、太陽が輝き、空気はかすかに光り、道路は熱でてかてかしている。防火壁があるために、家が切断され、どこか不足しているように見える。あれはどこかよその家の防火壁なのかもしれない。あの家は、バーンホーフ通りにあるときよりも薄黒くなってはいない。しかし、窓は汚れていて、部屋になにがあるのかは全く見えない。カーテンさえ見えない。家自体が不透明なのだ。
 ぼくは道端に車を停め、道をわたって玄関に向かう。誰もいないし、なにも聞こえない。遠くでエンジンの音がするとか、風が鳴るとか、鳥がさえずるということもない。世界は死に絶えている。ぼくは段を上がり、ドアノブを押す。
 でもドアを開けることはない。目を覚ますと、自分がドアノブをつかんで押したことだけはわかっている。そうして夢全体を思い出し、前にも見た夢だったと気づくのだ。

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