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冬の日誌/内面からの報告書

ポール・オースター/著 、柴田元幸/訳

1,155円(税込)

発売日:2023/12/25

  • 文庫
  • 電子書籍あり

いま語れ、手遅れにならないうちに。身体と精神を掘り起こして綴った幻想的回想録。

君がまだ3歳か4歳だった頃、君と地面はもっと近かった。君の父親がついた小さな嘘。母親が打った特大のホームラン。心揺さぶられた映画。性の目覚め。学生運動。パリでの暮らし。妻との出会い。外見はまるで変わっても、君はまだかつての君なのだ――。人生の冬にさしかかった著者が、身体と精神の古層を掘り起こし、自らに、あるいは読者に語りかけるように綴った、温かで幻想的な回想録。

目次
冬の日誌
内面からの報告書
内面からの報告書
脳天に二発
タイムカプセル
アルバム
訳者あとがき

書誌情報

読み仮名 フユノニッシナイメンカラノホウコクショ
シリーズ名 新潮文庫
装幀 大庫真理/カバー装画、新潮社装幀室/デザイン
発行形態 文庫、電子書籍
判型 新潮文庫
頁数 624ページ
ISBN 978-4-10-245120-5
C-CODE 0197
整理番号 オ-9-18
ジャンル 自伝・伝記
定価 1,155円
電子書籍 価格 1,155円
電子書籍 配信開始日 2023/12/25

書評

複数の時間にわたる声

滝口悠生

 先行して刊行された前作『冬の日誌』と同様、自らの幼少期の記憶を掘り起こす回想記である。怪我やスポーツ、性欲など、身体的な感覚を手がかりに綴られた前作と対の関係にある本書が沈潜してゆくのは、内面の記憶だ。
「思い出せることを元に、子供のころの心の中を探索するとなれば、間違いなくもっと困難な作業だろう。ひょっとしたら不可能だろうか。それでも君は、やってみたい気持ちに駆られる。」  自身のことを「君」と呼ぶのも前作と同じだ。一見不思議なこの語り方は、読めばごく自然なものとして受け入れられる。むしろ、子どもの頃の自分と現在の自分を地続きの同一人物と考える方が、不自然なことなのかもしれない。
「生きるということが新しいものへの絶えざる飛び込みだった」子ども時代の内面が、細やかに、丁寧に探られ、語られる。無知ゆえの不安定と大づかみな世界観のなか、自分でもそれと認識しない繊細さや厳密さがそこではたしかに働いている。時代や場所を越えて、読者も子どもの頃に自分を取り囲んでいた世界の感触を思い出す。たしかにあの頃、あらゆる事物に命があるように思えたし、世界は球体ではなく平らだった。
 そのような幼少期の世界が、印象的ないくつかのエピソードによって少しずつ変容していく。たとえば、六歳のある土曜日の朝に、突如彼を襲った恍惚感。六歳の今がいちばん素晴らしい、と感じたその瞬間を、五十九年経った現在も彼は鮮明に覚えている。おそらくその瞬間、彼はものを思う自分、つまり自意識を発見した。「その瞬間を境に、人は己の物語を自らに向かって語る力を獲得し、死ぬまで途切れなく続く物語を語り出すのだ」。つまり「君」はこの時に誕生し、以降ずっと彼の過去を支えてきた。彼が思考し存在したことを、ずっと証明し続けてきた。
 成長に従い、内面はそのように複雑に、多面的になっていく。一方で、ひとつに固まっていくものもある。ユダヤ人であるという自覚。移民二世の両親を持つ彼は、自分が単にアメリカ人であるだけでなく、ユダヤ人でもあると知る。まだ戦争が遠くない過去だった時代の空気、妻とふたりの娘をアウシュヴィッツで殺された親戚の存在、そして社会のなかで目にしたいくつかのケースが、まだ幼い彼に、絶対的な悪としてのナチスへの憎悪を根づかせる。そしてそれは、学校の先生が語る素晴らしいアメリカや、シナゴーグで学ぶ聖書のなかの神から、彼を遠ざけることにもなる。後に作家になった彼が、様々な形でそのことについて書き、語り続けていくことになるのは周知の通りだ。
 本書は四つの章で構成されている。子ども時代の内面を探る表題の章に続き、「脳天に二発」では、彼が十歳と十四歳の時に観て衝撃を受けた二本の映画(「縮みゆく人間」、「仮面の米国」)の全篇が詳細に語られる。続く「タイムカプセル」では、大学にいた十九歳から二十二歳までの時期、後に最初の妻となるリディア・デイヴィスに宛てたラブレターを抜粋しながら、葛藤と活気と混乱に満ちた若き日々が語られる。ベトナム戦争をはじめとした不穏な世界情勢のなかで、まとまりと落ち着きを欠いた手紙は、生々しい。そして最後に置かれた「アルバム」には、これまでの三章にちなんだ写真やイラストなどの図版資料が並ぶ。ミッドセンチュリーの古き良きアメリカ、行軍する兵士、故郷での動乱……。彼の人生とともに、様々な背反を抱えた「アメリカ」の姿もそこに見えてくる。
 変わった趣向と構成だが、「君」の記憶が元にあることは一貫している。自分のなかの他者である「君」を巡る語りは、過去の自分に語りかける声のようでもある。その声は、諦観と哀感を帯びつつも、明るく、優しい。
 そして不意に、現在から過去に向かっていたはずのその声が、過去から現在に、つまりかつての彼が未来の自分に向けて「報告」をしているようにも思えてくる。六歳の朝に彼が発見したのは、語られる過去の自分であるとともに、宛先たる未来の自分でもあるということ。思い出し、それを語るということは、過去の自分から思われ語られることでもある。そうやって複数の時間に遍在することで、私たちは同一性を保つことができ、過去の自分から大事なことを教えられたりもするのだ。

(たきぐち・ゆうしょう 作家)
波 2017年4月号より
『内面からの報告書』単行本刊行時掲載

肉体はすべてを記憶する

小川洋子

 もうすぐ六十四になろうとする作家が、過去の自分、“君”に向かって語りはじめる。語り手が見つめているのは、君の肉体に刻まれた、苦痛、恥辱、悲嘆、快感、幸福等々の記憶、あるいは文字通りの傷跡であり、そこから視線がぶれることはない。
“君の体は心が知らないことを知っている……”
 この言葉が、本書の核心を象徴していると言ってもいい。自分の感情を持て余し、混乱した心理状態に陥ると、君の体は変調をきたす。恋人と別れ、一人でパリへ旅立とうとした時には激しい胃痛に倒れ、突然、母を失った直後には、パニックの発作に襲われる。たとえ心が言葉をとらえきれずに行き場を失っても、肉体には確かな痕跡が残る。オースターはそうした跡を一つ一つ、丁寧に掘り返してゆく。
 オースターの編集した名著『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』が、無名な人々の物語の断片がアメリカ社会を構築していると証明してみせたのと同じように、本書は肉体的記憶の断片が一人の人間を形作っている、という真理を実感させてくれる。とにかく、掘り返される痕跡のすべてが、魅力的な物語なのだ。君の全存在を受け止める「一人キャッチ」。天使の救いにより折れずに済んだ、完璧に美しい妻の首。信じがたく安い治療費しか請求しないプロバンスの歯科医。生まれて初めて君が捨てた本の束。レフトのはるか頭上を越える母のホームラン。幻想の野球ゲーム。あらゆる場面が体温とともに読み手の肉体に移植され、鮮やかな感覚を呼び覚ます。空に描かれる白いボールの軌跡や、本が押し込まれた生ゴミの臭いや、秘密の宇宙に保存される試合結果の数字が、ありありと浮かんでくる。それらが何を意味するのか、知る必要も感じないまま、言葉さえ届かない世界の深みに身を浸している。心のドアではなく、肉体のドアから入った方がより遠い場所までたどり着けることに、気づかされる。
 心と肉体の他、もう一つポイントとなるのは、言葉と肉体の関係だろうか。真夜中のパリで、電話交換手の仕事を終えた君は、誰も待っていない部屋に帰る怖さに耐えきれず、一人の娼婦、サンドラと過ごす。ベッドの中で君が、詩を書いていると告白すると、不意に彼女がボードレールの詩の一節を暗唱しはじめる。詩とはつまりこういう時のためにあるのか、と思わせる、本書で最も印象的な場面だ。娼婦の声は君の人生に特別な一瞬をもたらす。ついさっき味わった肉体の快楽などあっさりと蹴散らされ、そこにはただ、詩の言葉の響きだけが満ちている。
 また別の局面では、全く逆のことが起こる。離婚して定職もなく、一年以上一篇の詩も書けない状態に陥っていた君は、ある日、友人の誘いで創作ダンスの公開リハーサルを見学する。ダンサーたちの優美さと活力に感動した君は、振付師が踊りについて解説をはじめた途端、肉体の前でいかに言葉が役に立たないかを思い知る。ダンサーたちが無言で表現したものの十全さに比べ、言葉は無力なのだ。ここで不思議な転換が発生する。“世界と言葉とのあいだにある裂け目”に自分が墜ちてゆくのを感じるのだが、そこにあるのは絶望とは正反対の、“自由と幸福の感覚”だった。そして再び君は、言葉の世界に戻ってくる。
“とにかく書くことができる限り、どこでどう暮らそうと違いはなかった”
 肉体的記憶によって再構築された一人の男の人生に寄り添って感じるのは、君はやはり書く人間なのだ、という事実だ。書きたいと願う思いはいつでも、あやふやな観念ではなく、確固とした、時に痛みを伴う肉体の感覚とつながっていた。君の肉体を探索することはつまり、君の言葉を発掘する旅でもあった。
 最後に一つ。肉体について語ろうとすれば、おのずとそこには際どい秘密も絡んでくる。オースターはそのあたり、こちらがはらはらするほどの素直さを発揮している。特に少年が、ある時青年に成長し、餓死するほどの性的欲求を覚える過程が興味深い。男の子はこんなふうにして大人になるのか、と初めて知ったかのような新鮮さがあった。自分の一部に、憧れの消防士のヘルメットを発見する五歳の君を、私は思いきり抱き締めたかった。

(おがわ・ようこ 作家)
波 2017年3月号より
『冬の日誌』単行本刊行時掲載

『内面からの報告書』短評

▼ニューヨークタイムズ・ブックレビュー
オースターの自伝的作品群は、寸分の狂いもないカットを施された宝石さながらに、どれもが光を放っている。本書の表題作でもある第一章は「完璧」と言っても過言ではない。

『冬の日誌』短評

▼パブリッシャーズ・ウィークリー
静かに胸を打つ、死と生をめぐる黙想。これは一人の男の身体を通じて作り上げられた、彼の歴史の精巧な目録である。

著者プロフィール

1947年生れ。コロンビア大学卒業後、数年間各国を放浪する。1970年代は主に詩や評論、翻訳に創作意欲を注いできたが、1985年から1986年にかけて、『ガラスの街』『幽霊たち』『鍵のかかった部屋』の、いわゆる「ニューヨーク三部作」を発表。一躍現代アメリカ文学の旗手として脚光を浴びた。他の作品に『ムーン・パレス』『偶然の音楽』『リヴァイアサン』『ティンブクトゥ』『幻影の書』『ブルックリン・フォリーズ』『写字室の旅/闇の中の男』『冬の日誌/内面からの報告書』などがある。

柴田元幸

シバタ・モトユキ

1954年、東京生れ。米文学者・東京大学名誉教授。翻訳家。アメリカ文学専攻。『生半可な學者』で講談社エッセイ賞受賞。『アメリカン・ナルシス』でサントリー学芸賞受賞。トマス・ピンチョン著『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞受賞。アメリカ現代作家を精力的に翻訳するほか、『ケンブリッジ・サーカス』『翻訳教室』など著書多数。文芸誌「Monkey」の責任編集を務める。

判型違い(単行本)

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