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塩野七生 最後の歴史長編は「永遠の青春」アレクサンダー大王を描く圧倒的巨編。

ギリシア人の物語III 新しき力

塩野七生/著

3,456円(税込)

本の仕様

発売日:2017/12/15

読み仮名 ギリシアジンノモノガタリ03アタラシキチカラ
装幀 アレクサンドロスの胸像(アクロポリス博物館蔵)/カバー、高橋千裕/装幀
発行形態 書籍
判型 A5判変型
頁数 479ページ
ISBN 978-4-10-309641-2
C-CODE 0322
ジャンル 世界史
定価 3,456円

混迷のギリシア世界を弱冠二十歳で統一し、ペルシア帝国制覇へと向かったマケドニア王アレクサンダー。トルコ、中東、中央アジアを次々と征服し、ついにはインドに至るまでの大帝国を築きあげるも三十二歳で夭逝――。夢見るように生き、燃え尽きるように死んだ若き天才、その烈しい生涯に肉薄した歴史大作。

著者プロフィール

塩野七生 シオノ・ナナミ

1937年7月7日、東京に生れる。学習院大学文学部哲学科卒業後、1963年から1968年にかけて、イタリアに遊びつつ学んだ。1968年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。初めての書下ろし長編『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。1982年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。1983年、菊池寛賞。1992年より、ローマ帝国興亡の歴史を描く「ローマ人の物語」にとりくみ、一年に一作のペースで執筆。1993年、『ローマ人の物語I』により新潮学芸賞。1999年、司馬遼太郎賞。2001年、『塩野七生ルネサンス著作集』全7巻を刊行。2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。2006年、「ローマ人の物語」第XV巻を刊行し、同シリーズ完結。2007年、文化功労者に選ばれる。2008-2009年に『ローマ亡き後の地中海世界』(上・下)を刊行。2011年、「十字軍物語」シリーズ全4冊が完結。2013年、『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(上・下)を刊行。2017年、「ギリシア人の物語」シリーズ全3巻を完結させた。

書評

騎兵と歩兵、そして政治と人間

冨澤暉

 ともかく面白い本であった。著者の「ストーリーテラー」としての語り口が抜群であり、その魅力に引き込まれて私は大冊を一気に読了した。
 さて、私個人はといえば、12歳のアレクサンダーが大人の誰もが乗りこなせない怪馬ブケファロス(牛の頭の意)を見事に統御し、その馬と最後のヒダスペス会戦(29歳)まで共に戦い一度も負けなかったというところに最も感動した。やはり大王の武人としての本質は戦場に機動をもたらす「騎兵」であり、しかも短命ながら極めて運の良い人であったということが、元自衛隊機甲隊員、即ち騎兵の末裔と自負する私を虜にしたのである。
「歩兵戦に対するものとして騎兵戦というものが存在する。敵の肉体に直接打撃を与えつつ逐次にその抵抗力を奪っていくのが歩兵戦の姿とすれば、騎兵戦は敵の神経中枢に一挙に踏み込んで、一瞬のうちに敵を麻痺打倒するのをその理想の姿とする。このような騎兵戦はかつてアレクサンダー、ハンニバル、スキピオ等によって華やかに用いられたが、シーザーの『歩兵の熟練』から始まるローマ軍団の時代には、決戦兵種として用いられず逼塞していた」と英国の軍事評論家リデル=ハートは1927年に出版した『近代軍の再建』の中で述べている。そして、その後戦場における歩兵と騎兵の主導権争いには紆余曲折があったものの、連発銃・機関銃・大砲等火力の増大の前に騎馬が機動性を失った現代、騎兵に対抗する手段を踏みにじる装甲モーター(即ち戦車)は騎兵史にとってまことに偉大なものになるだろう、という意味のことを続けている。リデル=ハートの「近代軍の再建」とは同時に「戦場に機動をもたらす騎兵の再建」なのであった。
 しかし戦場に機動をもたらす騎兵とは「寡を以て衆に勝つ」きっかけをつくる、即ち相撲の「前捌き」にあたる騎兵のことなのか、それとも「衆を以て寡を圧倒する」、即ち「本腰」にあたる騎兵のことなのかについて彼は明言していない。
 私が『近代軍の再建』を読んだ1960年代の日本では「戦車不要論」という風が吹いており、四面楚歌の機甲職種にいた私は生意気にも「日本でも騎兵の再建を」と呟いたのだが、権力ある人々には無視された。その後「戦車不要論」は益々勢いを増し、かつて1200両あった戦車定数は300両に削減されている。本腰に使う戦車が無くなった以上、前捌き用の戦車・装甲車を増加し偵察警戒部隊を強化しようと機甲隊の後輩たちが努力し、それが近く実現されると聞く。米軍では30年も前に空中騎兵と装甲騎兵のコンビが確立されているのに、遅きに失した話だが先ずは一歩前進である。そして逆に、自衛隊の本腰の弱体化が問題となる。
 アレクサンダーの騎兵隊の隣にはいつも父フィリッポス二世が錬成した精強な歩兵(人数的には常に主力)がいて、その歩兵との協力の下に騎兵が「寡を以て衆に勝つ」決め手となり得たのである。アレクサンダー自身が優れた歩兵であったことも忘れてはならない。
 この騎兵・歩兵の問題の他に、多くのことを私は本書から学んだ。若い頃に悩んだ「海洋国家日本に陸上兵力は要るのか」「自衛隊は国民軍か傭兵か」「兵員補充・募集困難の常態化」「戦費調達の困難性」「持続的兵站の可能性」「国民・地元住民・外国軍との交流・協力の在り方」等々については2500年を隔てても変わらぬ難問であることを承知したが、やはり最大の問題は1.部隊統率、2.国内の統治(政治)、3.外国・外国人との協調(外交)だということを教えられた。
 米国大統領の安全保障担当補佐官、マクマスター陸軍中将は「ベトナム・アフガン・イラク戦を通じ米国政府は戦争をテクノロジーで解決できると考えてきたがこれが間違いであった。戦争は昔も今も政治的で人間的なものである」と言っている。
 自己・自国ファーストの蔓延で、やや分裂ぎみの現世界だが、アレクサンダー・シーザー・ナポレオン(=クラウゼヴィッツ)に通ずるこの正道に戻るべきときなのであろう。無論、「哲人王」も「真の民主主義」もあり得ないが、「無政府主義」・「一国平和主義」はもっとあり得ない時代なのである。
 著者は都立日比谷高校で私と同じ1年生であったらしい。そのことは後に知ったことで、私は当時の「地中海を夢見る乙女」を全く知らない。当然、進学校の「落ちこぼれ」であった私を著者も知らなかったであろう。アレクサンダーという今に影響を残す歴史上の人物について、本書を通じ軍事・政治・人間に亘る「夢と現実」を語り合えたことは幸運であり光栄であった。感謝の心をこめて。

(とみざわ・ひかる 軍事評論家)
波 2018年1月号より

インタビュー/対談/エッセイ

私は二千五百年を生きた 前編

塩野七生

聞き手 伊藤幸人(新潮社取締役)

「最後の歴史エッセイ」と決めて書いた作品が刊行されたばかりの塩野七生さん。選ばれた題材は、弱冠20歳でマケドニアの王となり、32歳で夢のように消え去ってしまったアレクサンダー大王。なぜアレクサンダーを選んだのか、歴史を書く喜び、読む愉しみについて聞いた。

――塩野さんが書いた文章がはじめて雑誌「中央公論」に掲載されたのが1968年。来年でデビュー50年ということになります。今日はこの間のことをいろいろとお聞かせいただければと思っています。私がはじめて塩野さんと仕事をしたのは28歳のとき、35年前ということになります。
塩野 聞き手があなたでなければ言葉を選ぶところですが、今日はちょっとしゃべりすぎちゃうかもね。それにしても35年ですか。ずいぶんうまいこと続いたわね。喧嘩もせずに。

――どうしてでしょうね。私も至らないことがずいぶんありましたが。
塩野 私が外国にいたからよ。あんまり会わなかったっていうだけ(笑)。喧嘩もせず、非常にいい距離感で仕事をしながら、この35年を過ごしてきたわけです。

――歴史エッセイ、つまり塩野さんの定義するところの「調べて、考えて、歴史を再構築する作品」としては最後と決めてお書きになりました。
塩野 そう。これでおしまい。作家生命の終わりってわけ(笑)。

22年間、愛撫してきた

――最後の歴史エッセイ、編集作業を終えていかがですか。
塩野 これまでも一作ごと、「やった!」という感じで書いてきましたけれど、今度も「終わった!」という、ただそれだけです。あんまり私、過去は振り返らないので。振り返るほどの過去でもないし……。

――長大なマラソンを走り続けてきたみたいなものですよ。
塩野 まあ、そうかもしれません。誰も走らない道を。

――最後の作品をアレクサンダーでいくということは、ずいぶん前から伺っていました。一番最後に一番若い男を書く、と。有言実行ですね。先に宣言してしまって、それに向けて自分を追い込んできたということですか。
塩野 そんな格好のいいものじゃないんです。そんな真面目に考えていたら50年も続かない。ただ書きたいなと、ずっとそう思っていたというだけ。イタリア語で「アカレツァーレ」っていうんです。「愛撫する」という意味。「書こうかな、書きたいな」という想いを愛撫し続けてきた。時にはコラムか何かでちょっと書いてみて、自分の気持ちを確かめたりして。そして、これ以上はもう待てないというところまで持っていくわけ。カエサルについて書こうかなと思っていたときなんて、カエサルの名前を耳にするだけで気分が昂ぶりました。そこまで行って、ようやく書ける。ずいぶん時間はかかりましたけれど、それでもきちんと書いたでしょう? 私、自分の人生はね、あんまりオーガナイズできないの。なんだか散らかった人生です。でも仕事はオーガナイズする。もう二十数年前のことだと思いますが、アレクサンダーを「書ける!」と思って、それからアカレツァーレ、愛撫してきた。愛撫はするけれども、ベッドインまではしていないという感じでね(笑)。

――ベッドインするまでに二十数年もかけたわけですね。
塩野 こんなこと言っちゃっていいのかしら、私。「」の生真面目な読者には刺激的過ぎるかな。

――塩野さんらしい比喩です(笑)。
塩野 もともとアレクサンダーのことは、それほど好きではなかった。誰かの書いたものを読んで、なんだか優等生みたいなことばかり言うなという印象だった。しかしある時――『ローマ人の物語』の第4巻と第5巻でユリウス・カエサルを書き終えた直後の頃だと思いますが――大英博物館が企画したアレクサンダー展がローマに巡回してきて、それを昼下がりに見たんです。「イッソスの会戦」に代表される有名な戦闘を再現したミニチュアなんかを見ていて、「書ける!」と思った。「書きたい!」と。カエサルは「成熟した天才」でした。そのカエサルを書き終えた時だからこそ、「未完の大器」だった男を書きたい、書けると思ったんです。

――カエサルを書き終えた頃となると22年前ですね。
塩野 アレクサンダーという男は西洋史最大のスターの一人です。ヨーロッパ人であれば誰でも彼のことを知っている。それは彼が「永遠の青春」、その象徴だから。だけどおかしな話でね。『ローマ人の物語』だってはじめからローマの通史を書こうと思ってたんじゃないんです。ただカエサルが書きたかった。これは歴史家ブルクハルトの言葉ですけれど、歴史上にはなぜか過去がすべてその一人の人物の中に注ぎ込み、そのあとにやってくる時代のすべてがその一人の人間から流れ出すような、そういう人間がいるんです。

――カエサルがそうだったわけですね。
塩野 ソクラテスもそうかもしれない。イエス・キリストもそうです。卑近な例を挙げればエルヴィス・プレスリーもそう。黒人音楽やカントリー・ミュージック、ヒスパニックの音楽まで、何から何までもが彼に流れ込み、その後はすべて彼から始まる。ビートルズやローリング・ストーンズ――。だからカエサルを書こうと思ったら、彼の前の時代のローマを書かなければ話にならないと思ったし、彼のあとのローマも書かなきゃってことで、それであんな15巻もの長い作品になったんですね。アレクサンダーも同じことです。うちの息子には「ママ、アレクサンダーだけを書くって話だったんじゃないの?」って言われましたけれど。いろいろとお勉強をしてみると、この人はマケドニア王ではあるけれど、やっぱり「ギリシア人」だと。となれば、ギリシア人の歴史すべてを書かないといけない。

――それで全三巻になったわけですね。
塩野 一巻のはずが三巻に増えちゃった(笑)。

ボーダーレスな生き方

――塩野さんは、単に「若い男」というよりは「精神が若い人」が好きですよね。つまり、若々しい精神。
塩野 粕谷一希(中央公論社の編集者。塩野さんのデビューのきっかけを作った)が言ったことだったかな。私の好きな男にはタイプがあるんですって。まずもってエリートであること。それでいて偏見から自由な男。つまり「ボーダーレス」な男が好きなんです。

――境界を越える男。アレクサンダーもその一人ですね。
塩野 通史を書く以上は、ボーダーを越えられなくてウジウジする男たちのことも書かなきゃならない場合もありますが、中心的な人物は必ずそういうタイプだった。神聖ローマ皇帝だったフリードリッヒ二世だってその典型ですよ。彼はドイツとイタリアのハーフですしね。

――逆に「純血主義」とか「頑迷固陋」とか、柔軟性の欠如した人々は許し難いともお考えですよね。
塩野 私が一番嫌いなのは、「狂信的」な人。なにしろ私自身がボーダーレスなんです。普通ならばお見合いして結婚するのが私の卒業した学習院大学の女の子の伝統なのに、ヨーロッパに行って、イタリア男と結婚し、子どもまで作っちゃった。これだけでも相当に型破りだったんです。今でも覚えています。最初にヨーロッパに向けて発ったとき、飛行機の座席に座って、「もう後戻りはできない。お見合いして、妥当に結婚するという道は、もはやない」と思った。当時はね、イタリア男は「ラテン・ラバー」とかって言われて、いたく悪名高くてね。そういう国に娘を送ることになったんだから、うちの両親もちょっとばかりは心配したかもしれない。

――それはご心配だったでしょう。
塩野 帰国して、お見合いしたとしても、「イタリアに一年いました」っていうだけで、なんというか、「傷がついてる」とまでは言わないけどね(笑)。そう思われたでしょう。しかし普通の道から外れることを、私は選んだ。だから境界を悠然と越える男たちが好きなんですよ。それにもう一つ、私はリスクを負う男が好きなんです。「一人で全責任を負う」という男が好き。

――アレクサンダーはまさにその典型ですね。今度の作品の中で僕らがもっとも魅了されるのは、常に戦闘の最前線に立つという点ですね。「ダイヤの切っ先」という比喩をお使いになっていましたけれど。
塩野 彼は部下たち、つまり兵士たちに愛されたんです。だって、いつだって誰よりも先にリスクを負って飛び出すのだから。人間ってみんな、そうじゃないかと思うんですね。リスクを負う人間を愛するんです。

――リーダーにとって絶対に必要な条件ですよね。リスクを取らないリーダー、常に自分の身の安全を図ろうとするリーダーには誰もついていかない。
塩野 アレクサンダーを書くということは、私自身がリスクを負うということでもあったんです。何しろこちらは80歳で、20代の男を書こうというのだから。最後まで安全な人生は選ばなかったつもりです。だから書き終えた今は少しくらい休んでもいいんじゃないのかなという気分です(笑)。うちの息子は信じませんけれど。「ママは書いているから生きてんだ」って言ってます。それで、あなたはこの作品はどうでした? 面白かった?

――面白かった。胸がすく思いがしましたね。若さゆえに成し得た大偉業、若さゆえに駆け抜けた。まさに「永遠の青春」ですね。
塩野 私はもう老いぼれだけど、老いぼれた作家が老いぼれた主人公を書くというのはリスクを負っていないということになると思うんです。だってそれはごくごく自然なことじゃないですか。書評家たちは褒めてくれるかもしれないけれど。「ついに塩野七生も老境を書いた、枯淡の域に達した」とかいってね。でも私が最後の作品で背負うことができるリスクというのは何かといったらね、32歳で燃え尽きるように死んでしまったこの若い男を、80歳になったこの私が書くということですよ。

歴史を書く喜び、読む愉しみ

塩野 私は独自性とかオリジナリティなんて考えたこともないんです。かのアインシュタインが「われわれの仕事の成果は95パーセント以上、先人の業績に負っている」と言うんだから、私のような凡人は100パーセント近く先人の業績に負っているわけです。私はアレクサンダーを書きたいんであって、塩野七生を書きたいということではない。塩野七生の独自性がどこにあるかといえば、このアレクサンダーという人間を選んだという、それだけのことです。

――しかしこれで、古代・中世・ルネサンスと、地中海が西洋史の中心だった時代をすべて一人で書きましたね。
塩野 神話のような時代を含めれば2500年くらいですか。この仕事を始めた頃から数えれば50年くらい生きてきたわけですが、しかし歴史を書くということは、その2500年を生きたということなんです。そしてそれは読者も同じことです。2500年を読むことで、2500年を生きることができる。これが歴史を書き、読む愉しみなの。私は読者にもそれを体験してもらいたいんです。

――塩野さんの後を追いかけて、歴史を追体験するようなものですからね。
塩野 私は「現代ビジネスマンのための世界史」というような本は死んでも書きたくありません。なぜなら、ビジネスマンのためになる史実、歴史だけをピックアップすることになってしまう。

――あとは捨象しちゃうことになります。
塩野 そう。それでは歴史を書いたことにはならない。それにもう一つ。作家としてはちょっとばかり打算的な計算もあるわけだ。

――打算的?
塩野 だって現代人のためだけに書いていたら、時代が変わってしまったときに困るじゃない。売れなくなっちゃうもの(笑)。そういうものって、必ずしも経済的に見ても利口なやり方ではないのではないですか? 時代に合ったものって、非常に早く時代遅れになりますから。

――しかし現代人のために加工した歴史は書かないとなると、読者に求める水準が高いとも言えませんか。
塩野 その通り。筋肉だってちょっと無理しないと強くならないじゃないですか。いつもできることばかりやっていたら筋肉は鍛えられない。頭脳もまったく同じなんです。

――でも塩野さんご自身は非常にビジネスマン的でもありますよね。
塩野 だってあなた、全力投球して書いた作品ですよ。いかに長い命を持たせるか考えるなんて、当たり前のことじゃないですか。

オープンな精神を持った人々に支えられてきた

塩野 といって私だって商売のことばかり考えているわけでもないんです。「アマデウス」という映画をご覧になりましたか。主人公のモーツァルトがお姑さんに何だか文句を言われているシーン。彼はそれをてきとうに聞き流しているわけですが、そんな時にあの「魔笛」の「夜の女王のアリア」のメロディが生まれる。ふっと……テイクオフするみたいに。「善悪の彼岸を超える瞬間」といってもいい。

――離陸する感じですか。ふっと。
塩野 いつまでも飛行場に留まっていては、私にとっては書く意味がない。テイクオフする瞬間がなければ、作家とは言えない。私の読者はみんなその瞬間を待ってくれているのですから。私の読者ってね、この50年の経験から言えば、まずもって男女の別がない。年齢の別もない。地位の別もありません。大会社の社長がいるかと思うと看護婦さんがいたり、小さい町の町長さんもいるし、公務員もいれば、学者、学生もいる。もちろん主婦もいる。でも彼ら彼女らに共通するのは、自分の世界に安住しない人だということなんです。自分の知らない世界へとテイクオフする勇気を持っている人々。オープンな精神を持った人。そういう読者に私は支えられてきましたね。

――狂信的とは真逆の人々ですね。
塩野 私はこの50年間、ボーダーを越える勇気を持った人々に支えられて書いてきたのです。 

(次号に続く)
波 2018年1月号より

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